ジグザグラバー 第2幕
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 陸崎さんが教室を出ていって数秒、クラスは緊張に包まれていた。クラスメイトは
 気不味さと恐怖に黙り込み、華は今にも暴れだそうと体を震わせ、僕に至ってはあまりの出来事に
 思考を遥か銀河の彼方まで飛ばしている状態だ。
 と言うか、あれが僕の初キス。
 どうしよう。
 取り敢えず僕は華を抱えて椅子に座るとシャツの下に手を滑り込ませて、滑らかなお腹を撫で始める。
 今日も抜群の感触の肌は、触れていて快い。
 普段はこれで大分機嫌も直るのだが、今回はいつもより強く抱き締めた。
 少しでも気にくわない事があると、周囲の人間を際限無く傷付ける。それが華のあだ名、
『殺戮姫』の所以だ。『暴君』と似ているが、あちらはルールを守っていて、華はノールール。
 それが二人の違いだろう。
 それから三分程して、机と椅子を持った陸崎さんが戻ってきた。
「よう旦那、さっきは悪かったね。流石に初めてって事は無いと思うけど、そっちのお嬢ちゃんには
 悪い事したなと思ってさ。ま、私の初物って事で許してくれよ」
 ヘラヘラと笑いながら、よく喋る。
 だけど、その勝負ならこちらの得意分野だ。
「僕の周りでのルールを言ってなかったね。悪いけど、半径2m以内に近付かないでくれるかな?
 それが友好関係の第一ルールだ」
 陸崎さんはどっこいしょと僕の後ろに机を置くと、しかし椅子に座らずに僕を向いた。
 恐らく、さっきのように華が攻撃してくるのを警戒しているんだろう。
「最初に無理って言わなかったっけ? 興味が湧いたら一直線に走っていく、それが私のあだ名
『疾走狂』の所以だよ?」
「それこそ距離を取らないと。道やゴールが無かったら、走るものも走れない」

 

 多分、この言葉さえも時間稼ぎにしかならないだろう。こんな目をしたタイプは、勝手にルートを
 決めてつき進む。さっきからの僅かなやりとりでも分かるが、陸崎さんは馬鹿じゃないから尚更危険だ。
「それに、何で僕なんだ? 他にも沢山良い男は居るだろう、例えば…勇二」
 僕の声に、勇二が顔をこちらに向けた。浮かんでいる表情は、巻き込むなの一言だ。
「あれは女子だろ? え? 嘘? 男?」
「どうだい?」
 僕は薄笑いを浮かべて陸崎さんを見たが、視線は既にこちらを向いていた。
「アレは無し、彼氏が彼女より可愛いくてどうすんの。それに一目惚れって言ったでしょ、
 旦那の存在に惹かれたの」
 かなり厄介な上に、しつこい。本当に偏執的な性格らしく、一目惚れとは思えない程に
 食い下がってくる。成程、僕の後ろの席にも着くわけだ。
「それこそ無理だ。僕の隣は華の名義で、墓穴の中まで予約済みだよ。それにキスも、
 僕だって初物なんだから許すことなんて出来ないね。せっかく、華の成人まで取っておいたのに」
 気は進まないが華の御機嫌取りも兼ねて、強攻手段に出る。この方法を使うと一週間は
 依存が酷くなるのであまり使いたくなかったが、背に腹は変えられない。
 これで諦めてくれるかと思ったら、完全に予想外だった。
「そうかぁ、えっと…華ちゃん以外には?」
 ヘラヘラと笑いながら、近付いてくる。
「予約殺到中でね、僕はこれでもモテるんだ」
 主に変人にだが。
「だから、大分並ぶよ?」
「だったら先頭まで走っていくさ、それが『疾走狂』だからね」
 駄目だ、今の彼女には言葉は通じない。
 僕は溜息を吐くと、
「とにかく僕に嫌われたくなかったら、離れて離れて」
 以外にもこの言葉が効いたらしく、陸崎さんはあっさりと距離を取った。
 腐りきっても、根っこの部分は乙女らしい。

 これは、使える。
 僕がそう思って陸崎さんを見ると、その視線は下を向いていた。
「ところでさ」
「うん?」
「さっきから気になってたんだけど、何で華ちゃんの腹を直撫でしてんの?」
 お前のせいだ、という言葉を飲み込むと僕は笑みを作り、
「これをしてると、気分が落ち着くんだ。最高の触り心地だぜ、他の誰にも触らせたくないから
 分からんかもしれんがな」
 華を刺激しないように、落ち着かせるため、とは絶対に言わない。それに、この言葉は
 僕の本心でもある。他の誰かが触っていることを考えるだけで、気分が悪くなる。
「へぇ」
 陸崎さんは唇の端を歪めると、華を見下ろした。
 それに気が付いたのか、気持ち良さそうにしていた華は顔を上げると、
「何見てるんだ、この泥棒猫。見せ物じゃないぞ」
 表情を厳しくして、陸崎さんを睨みつける。
 逆に陸崎さんは、表情をヘラヘラとしたものに戻すと、
「泥棒猫ね。その名前も良いんだけと、私にゃもう、『疾走狂』って名前があるから頂けないね」
「容量の少ない奴だな」
「まぁね、ひひひ」
 そう言うと、陸崎さんは独特な笑い声をあげた。
 本当に、よく笑う娘だ。
「まぁ。その代わりにささやかではあるけども、『疾走狂』の名前にふさわしい働きをしてみせるよ。
 昼休みを楽しみにしておきな」
 そう締め括って、陸崎さんは席に着いた。

 

 華を抱えて授業を受け、昼休み。授業中、教師が溜息や疲れた視線を送りながらも注意をして
 こなかったのは、悲しむべきなのか、喜ぶべきなのか。陸崎さんを含め、クラスメイトが
 何か諦めきった悟りのような表情をしていたのもいろいろ考えるべきなのだろう。
 華だけは始終御満悦で、それだけは嬉しいことだ。
 『女』が『喜』ぶと書いて、『嬉』しい。
 閑話休題。
 僕たちは超満員の購買に居た。今日は二人とも寝坊をしたので、僕も華も弁当無しの状態だ。
 それに手を差し延べたのが陸崎さんで、朝の詫びにとパンを奢るつもりだったと言われて
 僕たちはのこのこと着いてきたという話だ。
「混んでるねぇ」
 楽しそうに陸崎さんが笑いかけてくる。
 確かに今日はいつもより人は少ないが、それでも多過ぎるので僕は入っていけない。
 僕の胴体にしがみ付いている華が原因で上手く歩けないし、何よりあんな沢山の人に囲まれたら
 暴走した華によって一瞬で地獄絵図だ。

 どうすんの、と言おうとして隣を見ると、何故か陸崎さんは準備運動をしていた。
 そして5m程下がると僕に向けて笑いかけ、
「危ないから端っこに寄ってしゃがんで」
 嫌な予感がして、僕は言われた通りにした。
 次の瞬間、陸崎さんは一瞬で加速するとそのままの勢いで壁を疾走。窓枠を踏み切り台にして跳躍し、
 先頭に居た男子生徒にドロップキックをしつつクッションにして着地した。
 化け物。
 その一言が頭をよぎる。
「おまたせ」
 帰りはモーゼのように人垣を割りながら悠々と歩いてくる。
 パンを華に放り投げながら、
「どう? 少しは凄いでしょ」
 少しどころではない。
 華が指紋を拭き取ったパンを受け取りながら、僕は視線で訊いた。
「昔は『偏執狂』だったんだけど、陸上にハマった時に頑張りすぎてこんな事まで出来るように
 なったのさ。それ以来、私のあだ名は『疾走狂』。心配しないで、それとも残念なのかな。
 下にはスパッツ穿いてるから。夏にはムレて困るぜ」
 言い終えると、ヘラヘラと笑いながら教室へと向かっていく。
 僕は、とんでもない奴に目を付けられた。


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