ジグザグラバー 第10幕
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 華と水が屋上に行っている間、僕は何とも暇を持て余していた。
 僕が出来ることは全てやってしまったし、喧嘩の結果がどうでも僕は華の隣に居るつもりだ。
 交渉では喧嘩を止めるようにしたし、本気で止めようと思ったけれど、無理だろうな、
 という感情もある。結局は依存が問題で、根本的な解決をしなければこれからも多分続いていく。
 今だって、きっと喧嘩の最中なんだろう。そんな諦めにも似た思いが僕の中にあり、
 結果的には思考の停止が起きていた。
 あまりにもすることがないので、目の前の空間に華を作り出そうと空中をこねてみる。
 無理だ。
 所詮偽物なんて、いくらあっても本物には勝てはしない。
 だけど、
 人の脳は今だブラックボックス。そこには無限の可能性が…!!
「何をなさっているんですか、御主人様」
 心の底から嫌だが声のした方向を向く。
 クラスメイト達は、華や、今となってはもう一人の危険人物である水に関わりたくないらしく
 既に全員が帰った後だ。そして声の主は唯一人、この高校で僕をこんなイカれた名前で呼ぶのは
 後輩のさくらしか居ない。周りに人影も見当たらず、つまりはこの異常者と二人きりで
 過ごさなければいけないということだ。
「何か用かい? 僕は今とても忙しい」
 再び、僕は自分の限界に挑戦を始めた。
「交渉が、あります」
 僕一人の教室に、冷たい声が響いた。
 今、彼女は何と言った。僕に対して向けられたのは、僕が普段口にする単語。

 しかしそれは、相手を利用して自分の駒にするという意味合いを持った戦線布告の宣言。
 今は、まずい。
 只でさえ問題ばかりで解決の糸口は見えないのに、これ以上の問題は御免被りたい。
「何でですか? 今は、二人とも屋上じゃないですか」
 その言葉に、僕は心の中で溜息を吐いた。
 どうにもタイミングが良いと思ったら、やっぱり水の差し金か。耳が早いという線もあるが、
 流れとしては水が関わった可能性の方が高い。
 少し考える。
 この後輩も馬鹿じゃないから敢えて今、華と水の事を口にしたんだろう。簡単に人の言うことに
 従うタイプとも思えないから、きっと水とも交渉をした筈だ。とすれば、問題なのはその内容。
 こちらの興味を引くために言い出したことなら、価値はあるかもしれない。
「まずは、要求を言え」
「せっかちですね、でも良いです。今の言葉は、交渉を始めるということで良いんですね」
「早くしろ」
「急かさないで下さい。それとも」
 いつものとろけた表情と違い、嫌らしく痛ぶるような視線。
「華さんが来たら困る話ですか?」
 言葉の端々が、やけに絡んでくる。いつもの、馴れ馴れしいが一歩引いて僕に遠巻きに接してくる、
 そんな矛盾した彼女ではない。例えるならば、まるで水のような、強制的に自分の内側に
 引っ張り込もうとする態度。
「図星ですか?」
 黙り込んでしまった僕の態度を肯定と受けとめたのか、彼女は唇の端を上げた。
 心の中で舌打ちを一つ。

 このままの流れだと相手のペースで話が進む。普段交渉しているからこそ、それが痛い程に分かる。
 話し合いでのこのタイプのマイペースは、一種の禁じ手だ。無意識でやっているとしたら、尚更質が悪い。
 だが、禁じ手には、禁じ手が一番効く。
「そっちこそ。早とちりだなんて、せっかちも良いところだね」
 上げ足取りは、実は結構有効な手段だ。相手との会話のテンポを乱すし、言葉の一つ一つが
 相手の感情や思考を少しづつ奪っていく。立場が同等か自分以下のワンマンタイプには、正に天敵だ。
「僕は問題無いさ。そっちこそ、水に聞かれたらまずいことは無いのかい?」
 僕は言いながら、心を落ち着かせた。
 華には聞かれたくないに決まっている。だからこそ、冷静にいかなければいけない。
 交渉を早く終わらせるこつは、一つづつ問題を消してゆくこと。相手をパニックにはさせても、
 焦らせてはいけない。どちらがが焦れば話は泥沼になり、かえって時間がかかる。
 僕は吐息を一つ。
「さあ、交渉を始めよう」
「キメ台詞ですか?」
 少し恥ずかしかったが、今の僕はそんなことは気にしない。
「そっちから仕掛けてきたってことは、そっちの要求がまずあるんだよね。言ってみて、
 少なからず応えるよ」
「では、私からは二つ。距離の限定解除と、御主人様の立ち位置です」
 距離の問題は、多分大丈夫だろう。
「立ち位置ってのは?」
「御主人様の隣に居るのは、華さんですか? それとも一人ですか?」
「何を馬鹿なこ…」
 言いかけて、僕は愕然とした。

 さっき僕は、何を考えていた。あれほど華が嫌がっているのに、既に一人目の侵入者を許し、
 今は二人目を作ろうとしていた。今までは絶対に破られなかった不文律が、
 簡単に崩れそうになっている。華に対して妥協を許すようになったのはいつからだろうか、
 と考えたらすぐに答えは出た。水が関わり始めてからだ。
「僕からの要求は一つ」
 今は無駄な思考を捨てて、冷静に答えを出す。聞きたいことは二つ程あったが今すぐにではないし、
 そもそも知っているかも分からない。
「先に二つ目の質問に答えるよ。僕の隣は華しか居ない。こっちからの要求は、
 水と交わした契約の内容だ。二つ目の答えだけで不満なら、もう一つ要求を言ってくれ」
「では水さんと交わしたという契約で、水さんから話しかけられない、というもの。
 それに変化はありますか?」
 随分と直球だ。
 だが今の言葉から考えると、さくらと水の交渉も大体予想がついた。これはまだ推測だが、
 多分その契約のことで水がさくらに持ちかけたのだろう。内容としては、水から話しかけることが
 出来ないのでそれを何とかする代わりに、今のような僕との二人での会話の状況を作ることか。
 それなら僕が一人の今、タイミング良く現れたのも分かる。
 ここで嘘をついても後で水がばらすだろうし、それどころかそれをネタに交渉が始まっても厄介だ。
 仕方なく僕は吐息し、
「一日三回までは許可した」
「そうですか」
 さくらは少し考え込んだ様子だったが、すぐに僕の顔を見ると、
「では肝心の距離の限定解除は」
「無理だ」

 これも後で再交渉をして、水を何とかしなければ。
「何っでっ」
 突然の涙声にさくらを見ると、うつむいて体を小さく震わせていた。その数秒後に液体が床を打つ
 小さな音がして、泣いているのだと理解する。
「何で華さんじゃないと駄目なんですか。私じゃ駄目なんですか」
 叫びながらさくらが詰め寄ってくる。今までは、手紙を渡すのにも律儀に距離を守っていた
 さくらだが、完全に無視をしてきた。
「何で」
 襟首を掴まれ、
「何でなんですか!!」
 僕が何かを言おうとした直後、さくらは唇を重ねてきた。
「何を」
 しやがる、と言う前にさくらは、僕にもたれかかりながら崩れ落ちた。
「ごめんなさい、ごしゅ、先輩。謝ります、謝りますから見捨てないで下さい。
 お願いしますお願いしますお願いしますお願いします」
 異常な程に謝る彼女。しかし、僕はそれ以外のことに驚いていた。
 鉄パイプ。
 その言葉で表される存在は、近くに居た。知らない間に水と知り合いになり、
 更には華とも共通の存在。華がたまに付けるからかぎ慣れた、血の匂い。
 本物の、異常者。
 僕が呆然としていると、突然さくらが離れた。
「すいませんでした。もう帰ります」
 涙声で教室を出ていくさくら。
 数分。
 まだ呆然としていると、教室に華が入ってきた。
「おかえり」
「ただいま」
 その目には涙が溜っていて、声は涙声だ。
「今日は手を繋いで帰らないか? あ、嫌なら良いんだ」
 いつもなら有無を言わさず抱きついてくるのに、それをしないのは朝の交渉が原因か。
「それ位なら良いよ」
 言いながら手を繋ぐ。
「なぁ誠。誠はボクのことを嫌いにならないよな」
「当然だ」
「愛してる」
「愛してる」
 僕らは揃って教室を出た。


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