たぬきなべ 第4回
[bottom]

 現状を再確認してみよう。
 場所は昇降口。
 時刻は放課後夕暮れどき。
 抱きつき魔の後輩に囚われて、周囲の視線がマジ痛い。
 其処へ現れた救世主、生まれた頃からのお付き合い、毎朝昼晩と美味い飯を作ってくれる幼なじみ。
 アイコンタクトなど朝飯前の間柄。
 現在の僕の困った状況、こやつなら何とかしてくれるに違いない。
 
 そう思い、幼なじみに目配せを。
 
 しばし、ぽかん、とこちらの様子を眺めていた幼なじみだったが、僕の目配せに気付いた後には、
 すぐに歩み寄ってきていた。
 つかつかつか、とつま先を叩き付けるような足音が響いたかと思うと、
 
 がつん、と。
 
 四角く硬い学校指定の黒鞄で、後輩の後頭部を殴りつけていた。

 ……はい?
 目の前で展開された光景が、さっぱり欠片も理解できない。
 いきなり人を殴ったのに、怖いくらいに無表情な幼なじみ。
 いきなり頭を殴られたのに、振り向くどころか手の力を緩めようとすらしない後輩。
 なにがなんだか、わからなかった。
 
 ぎりり、と後輩の抱きつく力が強くなる。
 息が詰まり、軽く咳き込む。
 それを見た幼なじみが、後輩の襟首を、ぐい、と掴んだ。
「ねえ、たっくんが困ってるの。離れてくれないかな?」
「…………」
「離れようよ。ほら、みんな見てるよ。恥ずかしくないの?」
「…………」
「離れてよ。離れなさい!」
 激高した幼なじみが。後輩の髪の毛を掴んで引っ張った。
 ぶちぶちぶち、と髪の毛の千切れる音がするも、後輩は一向に抱きつく力を緩めない。
 僕はといえば、天地がひっくり返ったかのような展開に、眼を白黒させるだけである。
 なんで、幼なじみはこんなに怒っているのだろうか。
 なんで、後輩はこんなにも意固地になっているのだろうか。
 僕の知る限り、幼なじみは人当たりも良く誰にでも優しく接していたはずだ。
 僕の知る限り、後輩は人見知りする方で、誰かに強く言われると断れない面があったはずだ。
 なのに。
 二人は僕を挟んで、まるで牙を剥いているかのような対立を見せていた。

 このままわけのわからない膠着が続くかと思われた。
 しかし、ふと、後輩が口を開く。
「……なんで、単なる幼なじみの貴女に、そんなことを言われなくちゃいけないんですか?」
 後輩のものとは思えない、固く尖った声がした。
「ただの幼なじみなんでしょう? 私と先輩はこういう関係なんですから、見て見ぬふりをすれば
 いいじゃないですか」
 言いながら、胸や腰をこすりつけてくる。
 普段の僕なら、その甘い感覚に腰砕けにもなりそうだが、今の僕にはそうなれない事情があった。
 
 目の前。
 幼なじみの表情が、般若のように歪められていた。
 
 今まで見たことのないその表情に、恥ずかしながら、僕は完全に凍り付いていた。
「こういう関係? ただ階段の踊り場で、写真を見せ合うだけの関係のくせに、
 そんなはしたない真似が許されると思ってるの?」
 あれ?
 幼なじみに動物部の活動内容を話した覚えはないはずだが。
「……それでも、“ただの”幼なじみの貴女よりは、私は先輩に近いですよ?」
 こんなこと、したこともないでしょう? と呟きながら、後輩は体を僕にこすりつけてくる。

 ――と。
「ただの、幼なじみなんかじゃ、ない」
 その声には、どこか陶然としたものが含まれていたような。
 幼なじみは、後輩から目を逸らし、そのまま僕の真正面に顔を合わせ、
「って、ええっ――んぷっ!?」
 
 おもむろに、唇を重ねてきた。
 
 突然のことに頭の中が真っ白に染まる。
 ぬちゃり、と舌が侵入してきた。
 とっさに頭を引こうとしても、がっちりと後頭部を押さえられていたので離れられない。
 舌先で歯茎をなぞられたかと思うと、こちらの舌を巻き込むように絡め取っていく。
 つぷ、ぷちゅ、と湿った音を響かせて、幼なじみの舌が僕の口内を蹂躙した。
 その舌使いは、とてもスムーズなもので、熟達した技術を伺わせる。
 しかし、僕の記憶が確かならば、幼なじみは異性と付き合った経験など皆無なはず。
 なのに、この接吻の慣れようは、一体何処で積み重ねられたのだろうか。
 後輩が振り向く気配がした。幼なじみの顔しか見えないので、どのような表情をしているのかは
 わからない。
「いやっ!? やめてっ!」
 悲鳴のような声と、ぐいぐいと後輩の暴れる気配。
 しかし、幼なじみの顔が離れることはなく、後頭部を固定されたまま、幼なじみの口づけは終わらない。
 後輩に抱きつかれていたかと思ったら、今度は幼なじみにキスされています。
 誰か助けて。
 
「貴方達! こんなところで何をしてるの!」
 
 願いが天に通じたのか、今度こそはの救世主が現れた。
 救世主は、風紀委員の腕章が似合う、いつも落とし物を届けてくれる先輩だった。
 やっぱり今日はラッキーだ。先輩が見回ってくれていて助かった。


[top] [Back][list]

たぬきなべ 第4回 inserted by FC2 system