もし神様がいるのなら……。―完全版― 第5回
[bottom]

朝の陽射しを顔に浴びて、私はむくりと起き上がると、少し眠たい目を擦りながらリビングへと向かった。
朝の光が射しこんでいるとはいえ、雨戸で閉ざされた家は薄暗く、もう朝の六時をまわった頃なのに
リビングには電気さえついていなかった。
家族はここにはいない。父の転勤に母が付いていってしまったからだ。
普通の神経をしている親なら、耳の聞こえない娘を一人おいて単身赴任などできないだろう。
要するに、彼等にとっては私はその程度の存在なのだ。
私は少し自潮気味に笑い、そのままの笑みを浮かべ、台所へと向かった。

オーブンでパンを焼き、お湯を沸かす。
そして、それらを持ってリビングへ再び戻ると、大きなテーブルに座り食事をはじめた。
三つの椅子が並べられた大きなテーブルには、私ひとりしかいない。
物寂しいように見えるが、私にとってはこれが日常。
逆にアイツ等がいると私の気分重くなるだけなので、一人の空間の方が私には心地よかった。
何よりあの無機質な、まるで空気でも見ているかのように私の存在を否定する目でみられるのが
嫌だったから。

アイツ等にとって、私は邪魔者でしかないのだ。
そのくせ、世間の目を気にして、いつもは見せない笑顔まで浮かべて、よく学校行事に参加してきた。
結局のところ、アイツ等は人の前でこそ障害児の面倒を見る優しい親を演じているだけで、
仮面の下の瞳に私は入っていない。
昔はそのことで悩んだこともあったが、今はどうでもよくなった。

私は純也くんの瞳の中に入っていればそれでいい。

 

朝焼けに染まる空と、誰もいない校門。
ずいぶんと早くついた学校のグラウンドでは、サッカー部以外が朝練をやっていた。
いつもの朝は、運動部の朝練が終わった静かなグラウンドしか見ていなかったので、
砂煙舞う今の状態に少し違和感を感じた。
しかし、これも日常。
どうやら私の知らない日常はたくさんあるみたいだ。
私は日常の多彩さに少し感心した。
そして、私はそれを横目に見ながら、朝特有のハイなテンションで下駄箱へと向かった。

 

まだ朝早く、人影のない三年校舎にある純也くんの下駄箱。
今一度辺りに誰もいないのを確認し、その中を覗いてみると、靴の上にちょこんと置かれた可愛らしい
便箋が数枚発見できた。
やっぱり。
昨日の明日だし予想していた事なので、特に驚くことはなかったが、何か許せないモヤモヤが胸に募った。
ねぇ、純也くん。こういう事は気を付けなきゃ駄目だよ?
悪い虫がついちゃったら嫌だからね。
私は下駄箱の中から手紙を乱暴に取り出すと、それをクシャクシャにまるめ、鞄の中に突っ込んだ。

やるべきことはまだある、次は教室。
私は踵を返し、朝日でピカピカ光る無人の校内に入っていった。
人一人いない校舎とは、不思議なもので、人混みがない分、いつもの階段や廊下がひどく広大な
ものに思える。
そして何より、窓から溢れる朝日も、少し埃を被った階段も、果てしなく続くのではと思わせる廊下も
とても新鮮に感じられた。
私は腕時計でまだ時間があるのを確認すると、のんびりといつもとは違う世界を満喫しながら階段を
上っていった。
私の教室は二階、でも目的は三階。
三階には純也くんの教室があるからだ。

三階階段横にある教室。ここが純也くんの教室。
私はゆっくりそこに近付くと、開けっぱなしのドアから中を覗きこんだ。
中では窓から降り注ぐ光がいくつかの机を照らしていたが、それだけで人影は見えない。
私は小さくガッツポーズをとると、その無人の教室へと入っていった。

普通のクラスの教室は私のクラスとは違い、たくさんの机がある。
私のクラスは、いわゆる特別クラスで聾唖の生徒で編成されている。
本来なら聾学校に行くべきなのかもしれないが、この近郊にはそれがない。
そのため、特例として公立学校であるウチの学校に設置したわけだ。
最も、そんな生徒は三学年合計で三十人足らず。
だから、ずっと壁一枚隔てた普通がうらやましかった。

あ〜、そう言えば純也くんの妹も特別クラスらしいわね。
茜ちゃんと言ったかしら?
もしかしたら、何度か話した事があるかもしれない。
普通クラスとの合同行事は少ないくせに、特別クラス同士の行事はやけに多いから。

 

私は教壇の中に置いてあった座席表で、純也くんの席を確認し、数ある机をすり抜けて純也くんの机へと
向かった。
窓側の後ろから三番目、せっかくの窓側のメリットを無効化する柱の横にある席で、ここからは
外は見えない。
そのくせ陽当たりは最高で、窓から斜めに降り注ぐ光により、手をのせた机の表面は木のもつ暖かさとは
違った太陽の暖かさが感じられた。

……?
加地、カカ、中村、シェフチェンコ、リケルメ……。
目を下ろした暖かい机の上にどこかで聞いた事のある外人の名前や、日本人の名前が書きこまれている。
うーん、純也くんの好きなサッカー選手の名前だろうか?

私はなんとなく机の文字をツーッとなぞり、笑った。
サッカー選手の事はよく分からないけど、純也くんの生活に少し触れた気がして、
心の中から沸き上がる嬉しさのようなものを感じたからだ。

さて、誰かが来ないうちにさっさと終らせないと。
しばし感傷ににひたっていた私は、思い出したようにゴソゴソと机のなかに手を突っ込み、
一度中のモノを全て出すと、それを机の上に広げた。
そして、一つづつ机の上に広がっているものを調べてみる。
すると国語や日本史の教科書に紛れて、明らかに不自然なほどの綺麗な便箋に包まれた手紙があった。
しかも四通も……。

私は少し苦笑いをすると、その全てをカバンにねじこんだ。
残念ながら想像以上に邪魔者は多いみたいだ。
私はひとつ大きな溜め息をついた。

まぁ、ひとまず手紙を書いた人には申し訳ないけど、全て焼却炉行きね。
純也くんはわたしのモノだから。

やるべきことを全て終らせた私は、机の上に広がるものを整理し、丁寧に机の中に戻した。
何とも言えない圧迫感がさり、事を無事にやり遂げた事による安堵の溜め息がもれた。
しかし、ここから出ようとは思わなかった。
時間はまだあるはずだ。

 

時間があるのを確認すると、私は純也くんの椅子や机をベタベタとなでまわしはじめた。

純也くんはここで学校生活を送っているんだ。
そう思うと、今まで感じたことのない暖かい気持ちが心の内からジワジワと広がってくる。

その気持ちをもっと味わいたくて机をなで続けていると、ふと机の横にかけてある布袋に気が付いた。
一端なでるのを中断し、手にとってみたそれは意外に重かった。
何だろ、これ?
私は何の気なしに袋に右手を入れ、ひとつだけ中身を取り出してみた。

出てきたのは左胸に"兵藤"と刺繍のしてある体操着。
そしてそれは心なしか湿っているような気がした。

ドキドキドキドキ。
自然と心臓が脈打つペースを上げていく。
それほど今、私の右手にあるモノは魅力的で刺激的だった。
ドキドキドキドキドキドキ。
顔がカーッと熱くなっていく。
そして、その熱い顔のままでキョロキョロと辺りを何度も確認した。
誰もいない……。

これ、もらってもいいよね?


[top] [Back][list]

もし神様がいるのなら……。―完全版― 第5回 inserted by FC2 system