もし神様がいるのなら……。―完全版― 第2回
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初めて見た純也くんのプレーは正に妖精だった。
もちろん、純也くんの事を初めて知ったわけではない。
聞いたことくらいはある。

兵藤 純也。
天才の名を欲しいままにしている学園のヒーロー。

私は耳が聞こえない。
そして産まれてこのかた音を聞いたことがないため、音という概念がわからない。
ただ、それを今日初めてわかった気がする。

音とは空気の振動。
教科書に出てきそうな言葉だが、今の私には断言できる。
何故なら、それを今肌で感じる事が出来ているからだ。
それは、理科の実験で行われる目の前だけで起こる現象ではない。
もっと大きく、私の肌を直接刺激している。

小さな観客席が揺れている。誰も跳ねたり、飛んだりしている訳ではない。
恐らくは、声で揺れている。
私の周りでは、耳を裂くような大歓声が辺りを包んでいるはずだ。
どの程度の声量なのか、少し興味があった。でも、今は肌で感じるだけで十分だ。
音は邪魔でしかない。
誰にも邪魔されずに妖精の踊りにしばらく魅了されていたいから。

本当は嫌々きた全校応援のはずだった。
しかし、気が付くと身をのりだして、手を握り締めていた。
さっきまで死んでいた筈の妖精は蘇り、まるで水をえた魚のようにイキイキとピッチを疾走している。
音の振動とシンクロするような激しい心臓の鼓動の、言うあてのない緊張感が私を包んでいた。

ピッチの上では、純也くんが最後のDFと向き合っている。
純也くんは上体を左右に揺すり、まるでダンスを踊るかのようなステップで敵をかわしていった。

そして、そのまま角度のない所からはなったボールは、うねりをあげてゴールの中につきささった。

……その瞬間、音の振動が消えた。
さっきまでスタンドを、空気を震わせ続けた振動が、まるで神隠しにでもあったかのように……。
ただドクンドクンと高鳴る心臓だけが取り残され、私の全てを包んでいた。

 

ネットに突き刺さったボールが力を失い、地に落ちた時、再び空気が振動しだした。
まるで地なりのように揺れるスタンドは私の心臓の音も言いようのない圧迫感もすべて打ち消した。
ただ、私の胸に静かに宿っていた炎だけは、より勢いをまして燃え上がっている。

その体の熱りに身をまかせ、ふと目を瞑れば、揺れる空気の中に、私と純也くんしかいない
不思議な空間に溶けこんでいく。
まるで、溶けあうことが自然の事のように。そして、そうあるのが当然の成りいきのように。

突然ピーンと頭の中で糸が張るような戦慄が駆け抜けた。
カッと大きく目を開けて、思わず笑ってしまいそうな口を手で押さえる。

ふふふ、あはははは。
そうか、そうだったのか。
この溶けていく感覚は当然のこと。
なぜなら私と純也くんは元々一つの存在なんだから。

神様は、私に耳をくれなかった。
だから、純也くんは神様が耳の変わりに与えてくれたんだ。
それは疑うすべのない確信。

純也くんは私のもの。

家に着いてからも、私の激しく高鳴る心臓の鼓動が静まる事はなかった。
それは劇的な試合を見たからかも知れないが、恐らくは運命の人を見付けることができたからだろう。
ふふふ。
私はニヤける顔を取り繕うともせずに、そのまま誰もいない家の中を、急いで私の部屋へと向かった。
心臓の鼓動は一向に静まる様子がなかったが、またそれが心地よい高潮感を私に提供してくれる。
その高潮感が冷める前に、私は柔らかな椅子に座り、机の上のパソコンの電源を入れ、
そのままネット回線を繋げた。
回線が繋がるまでのこの時間がもどかしかったが、不思議と嫌じゃなかった。

しばらくして回線が繋がると、私は急いでキーボードに指を走らせ"兵藤 純也"で検索を開始した。

カーソルが砂時計に変わってから幾分たつと、パッと画面が変わった。

思った以上のヒット件数。
さすが、純也くんね。

 

私は大量の情報の中から、出来るだけ役にたちそうな情報を集める。

兵藤 純也。誕生日は早生まれの3月14日。ホワイトデー生まれ……もう、忘れる事は無さそうね。
身長は178センチ、体重68キロ。右利きのO型。代表歴はU-13、U-15、U-17、U-20代表候補。

あっ、家族構成までのってる。
凄いわねこのサイト……。
どこでこんな情報手に入れたのかしら?

えーと、母子家庭で母と妹との三人暮らし。
彼が二歳の頃両親が離婚し、父親に引き取られる。
今の一緒に住んでる母は再婚相手で妹も連れ子。
父親の死後も、そのまま一緒に住んでるみたい。
ちなみに、妹は聾唖で手話をマスターしている。

……手話?
その言葉を見た瞬間に、私の心臓は一際強く高鳴った。
純也くんは手話ができるの?
心臓の辺りから何とも妙な優越感が、ジワジワ全身に広がっていく。
……ふふふ、やっぱりね。私と純也くんは繋がっているみたい。
私は回転椅子をくるりと回し、丁度私の真後ろにあるベッドに飛込んだ。
枕を顔に押し当て嬉しさを噛み締める。
運命の糸って本当にあったんだ。

しばらくそのままの体勢で、暴走しそうな優越をやりすごすと、私は大きく息をついて、
ベッドに座りなおし、ぼーっと左手の小指を見つめた。
ふふふ、ここから見えない赤い糸で純也くんと繋がっているんだ。
そして、やがて二人は結ばれる。

そうだ。
思いつくやいなや、私は急いでパソコンの元に向かい、あるワードで検索をかける。
少し恥ずかしい……けど。
"兵藤 純也 高山 円香"

ヒット件数は……ゼロか。
まぁ、しょうがない。今はまだね。
でも、もうすぐヒットするようになる。最もその時は高山 円香じゃなくて、
兵藤 円香になってるかもしれないけどね。


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