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僕と姉さんが二人暮らしを始めて、もう三年になる。
両親の海外勤務を知らされたのは、僕が中学一年生を、姉さんが高校一年生を終えようとしていた春だった。
その時の僕はどこか他人事のように、両親がこれから自分達をどう扱うのだろうか、ぼんやりと
見守っていた。
いずれにせよ、子供の身でどうこう言える問題ではない。
親の決定に従うだけ。そう思っていた。
両親も決して、自分本位で子供を顧みない人種ではない。
むしろ構ってやれない分、余計に責任感が募るというものだろうか。
父さん達が第一に懸念したのは、親不在の家庭が思春期の未成年に及ぼす影響について。
――やはり、このまま置き去りにしていくわけにはいかない。
――かと言って、今の子供達の世界を壊してしまうのも可哀想だ。
そして両親は提案した。おじさんの家、すなわち梓の父親の家で預かってもらおうか、と。
おじさんは大手不動産会社の重役で自身でもマンションを経営している、すなわちとても裕福な家庭の主だ。
家も広いし、責任ある立場の人で世間の信用も高い。住所が近いので転校の必要もない。
子供の頃から泊まりに行ったりしていた家だ。両親とも仲がいいので、喜んで迎えると言ってくれている。
子供達への影響が最も少ない、考えうる限りで最良の選択肢。
周囲のみんなが、その選択肢を支持した。父さん母さんも、おじさんおばさんも、梓も。
ただ一人を除いて。
姉さんだけが。
どういうわけか姉さんだけが、「この家」にこだわった。
「ここでこのまま僕と二人で暮らす」と言ってきかなかった。
そのためならどんなことでもすると言い張った。
当時、毎夜遅くまで姉さんと両親が議論していたのを、よく覚えている。
そして空が白みはじめる頃。自室に戻る前に姉さんは必ず、寝ている僕の傍らに座り込んだ。
「一緒にいようね。ここで、ずっと、一緒にいようね」
そう囁きながら、僕の髪を優しく撫で続けた。
……寝ている素振りをしていただけだから、それもよく覚えている。
そして、刻一刻と海外への出発の日が近づいていって。
一向に結論が出なくて。
姉さんが折れなくて。
「お前はどうしたい?」
ただぼんやり議論を聞いているだけだった僕に、急にみんなの目が集中して。
成り行き上、事態の決定票みたいなモノを押し付けられて。
姉さんが、僕の傍らで、縋る様な目で見つめていて。
その目をみていたら、くるしくて。
いつかみた、なつかしい何かが、こぼれだしそうで。僕は。
だから、
だから僕は――
――
―
そして今の生活が出来上がったんだ。
両親は今でも、この状況には反対している。
二人暮らしは事実上黙認してもらっているに過ぎない。
今年ハタチになる姉さんはともかく、僕は基本的におじさんの保護監督に服していなければならないのだ。
僕が物心つく前から家を空けがちで、ろくに責任を果せずじまいの後ろめたさからだろうか?
父さんも母さんも、僕に関しては五月蝿いほど過剰に心配するきらいがある。
そんな遠い異国の空の両親に、僕らのことを懇願に近い形で託されているおじさん。
それでも、可能な限り僕達姉弟の意思も汲み取ろうと、板ばさみになりながら努力してくれている。
「監視」という名目で家にお茶を飲みに来るおじさん。世間話に来るおじさん。
――これが落しどころだった。そしてそれすらも滅多にあることではない。
居を別にしている僕らを四六時中監督するには、おじさんは多忙すぎるのだ。
だから娘の梓がおじさんの代理として、こうやって家に様子を見に来る。
多いときには週に一度。最低でも半月に一度。
それも実際には「様子を見る」なんて堅苦しいものじゃない。
『ちょっと亜由美ちゃんとこに遊びに行ってくれんか。これ持って。秋人君の顔も見てきてやってくれ』
……結局こんな感じで、一人娘にお土産を持たせて、お使いを頼んでいるだけ。
ただ家に上がってもらい、一時間ぐらいお茶を飲むなり僕の部屋で本でも読んでもらうなりして、帰るだけ。
こんなのは単なる儀式だ。笑えるぐらいに無味乾燥な形式だ。
年頃の従妹の貴重な時間を奪ってしまっていることに、心苦しささえ感じる。
けれどそれでも両親にとっては至極大切なことであり、従っておじさんも蔑ろにはできない最低限の体裁。
そして何より、干渉がこれだけで済んでいるのは紛れもなく、おじさんが僕らのことを信用して
くれているからなのだ。
だから僕達は、そんなおじさんの心遣いと信頼を裏切らないように。
平穏に、自立して、正しく、健康的に生活していなければならない。
もし裏切るような真似をしでかしたのなら――
――少なくとも僕はすぐに、この家から引っ張り出されておじさんの下に預けられるだろう。
僕と姉さんの二人暮らしは、そういう基盤の上に成り立っているのだから。
二人では不自由なこと、いっぱいある。
努力しなければいけないことだって、沢山気づかされた。
それでも、僕は。
――この家で一緒に暮らしていたい――
あの夜の、姉さんの囁き。
想いの欠片。
かなえてあげるために。