山本くんとお姉さん2 〜教えてくれたモノ〜 第2回
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電話のベルが鳴った。
姉さんが席を立って、僕は呻きながらソファーに身体を沈めた。


……
………
あれから。テレビを満足気に消し、にこやかに僕の方を振り向いた姉さん。
姉さんの正面には、一仕事終えた達成感の余韻に浸りお茶を啜る僕。
僕の前にはりんごのお皿。
お皿の上には、見事殉職を果した胃袋の善戦によってなんとか残り二人前にまで撃ち減らしたりんごども。
そして。
「お姉ちゃんの剥いたおりんご、一つも食べてくれないの……?」
これは、姉さんの第一声。

可憐に咲いた花びらがしおれていく様を、100倍速でビデオ再生するとこんな感じだろうか。
陽光に踊るような姉さんの笑顔が、みるみるうちにしょげかえって絶望色へと染まっていく変化を
見せ付けられる。

あぁ……。
あぁ、そうなんだね、姉さん……。

間違っていたのは僕の方だ、姉さんじゃないよ。
姉さんがとっとと片してしまった、山のような剥きカスどもは何も語れはしない。
剥きりんごの需要と供給のバランスを守るために散った胃袋の尊い犠牲は、誰も知らない英雄譚。
姉さんはテレビに夢中だった。だから僕の奮戦ぶりなど知らないし、剥かれたりんごの個数など関係ない。
知らないということは存在しないということだ。
姉さんに突きつけられたのは、「剥いてあげたのに弟が一つも食べてくれない」という事実のみだ。

『姉さんの目の前で、姉さんに感謝しながら、おいしくりんごを頂く姿を見せてあげる』
姉さんが僕に期待していたささやかな幸せとは、まさにそれ。たったそれだけ。
すなわち、姉さんがいつも言っている「弟としての当然の義務」
それ以外は初めから要求されていない。
それ以外には初めから意味がない。全く。全然。眼中にないんだ。姉さんは。
「さっきまで食べていた」という言い訳は、「昨夜宇宙人とババ抜きをした」という主張と同価値
でしかない。

うなだれきって、仔犬のように小さくなって、肩を揺らし始めてしまった姉さん。
握り締めたままの果物ナイフの刃先が、姉さんの喉元で怪しく震えている。ように見える。
ホラ、かける台詞は一つじゃないか。恐れるな、山本秋人。
「いただきます、姉さん」
ぱぁっとほころんだ姉さんの喜色に、勇気が奮い起こされる。
勇気がこの場でいかほどの戦力を為してくれるかは、まるっきりの別問題だったが。
………
……

唸りながらお腹をさすっていると、姉さんのスリッパがぺたぺた帰ってきた。電話終わったのかな。
見上げれば、腕組みしながら小首をかしげて、果物ナイフのフタでほっぺをトントン、としてる姉さん。
何か思案中なご様子だ。
……ねぇ。そのナイフ、いい加減片付けようよ。

「……秋くん」
「ん、なに?」
「秋くんは休日なのに、そうやって一日中ゴロゴロしているつもりなのかな?」
「は?」

さっきまでとは雰囲気一転、冷ややかな目つきで、急にそんなことを言い出す姉さんに狼狽した。
第一、別にだらだら過ごすつもりはない。
月曜までの山積みの宿題が用意されていたので、今日は一日がかりで片付ける計画だったのだ。

「もっとお日様の下に出ないと不健康だと思うな、お姉ちゃんは」
ビシッと、果物ナイフで僕の鼻っ面を指し示す姉さん。
……というか、それもう使わないんだから片付けようよ。

「だって姉さんいつも――」
そもそも僕があまり外出しないのは、姉さんの言いつけによるものだ。
買い食いや外食は固く禁止されているから、コンビニなどに出入りする必要もない。
たまに散歩に出ることもあるけど、気がつけば姉さんが隣りにいて、腕を組まれて一緒に歩いている。
中学までやっていた野球部も高校に入ってから辞めてしまったし、今は庭で一人で素振りをするぐらい。

「お姉ちゃんお留守番してるから、たまには友達と外で遊んでおいでよ」
「でも孝輔だって今日バイトだし……。みんな都合あいてるかなぁ」
「そんなの関係ないよ」
いや関係あるでしょ。
「あのさ。僕今日は、夜まで部屋で宿題やろうと思っていたんだけど」
「そんなの駄目だよ。行っておいでよ」
駄目って言われても。

「じ、じゃあ……図書館……。図書館で宿題してくる……でも、いい?」
「いいからっ!うだうだ言わずに早く行きなさいっ!」
有無を言わさずソファーから引っ張り上げられた。
仕方ないなぁ、それじゃあまず、荷物を鞄に詰めて、それから……。
ん……。
「あ、でも姉さん。図書館は屋内だから、お日様の下で健康的な外出ってのにはならないんじゃ」
「もうっーー余計なことはいいからっ! 行〜く〜のっ!!」
姉さんがぶんぶん腕を振って力説した拍子に、果物ナイフのフタが外れて飛んで行った。
慌てて行って、拾って、戻って、刃先にはめてあげる。
「ねぇ、それ、もう仕舞わない?」
「愚図愚図せずに早よいけーーーーッ!!」


……
………

「あ、姉さん待って携帯忘れ――」
「秋くんッ、聞き分けの悪い子お姉ちゃん嫌いだよッ!? さっさと行くッ!」
退路を塞ぐように廊下に立ちはだかって、僕をぐいぐいと押し出していく姉さん。
「いや、でも、携帯――」
「もうッ! いいから言うこと聞いてッ! 急いでッ!」
「……その果物ナイフ、ずっと持ってるの?」
「秋くんッ! お姉ちゃん怒るよッ!?」

何をそんなに慌てているんだろう……?
まるで僕を追い出したがっているような態度に、反発を覚えなかったと言えば嘘になる。
なんだよ……人を急に、邪魔者みたいに……。
僕に会わせたくない、誰かでも来るのかよ……。

久しく感じなかった苛々に、不快感をもてあまし始めていた僕。
だから玄関を開けた時には、もう既に仏頂面で。
そこに居た人の質問にはぶっきらぼうに答えた。
「お出かけですか、秋人さん?」
「図書館だよ」


……ん?

「あ。あず?」
「こんにちわ、秋人さん」
表情ひとつ変わらない、静かな挨拶が返って来る。
制服姿のこの細身の少女は、山本梓。僕より一つ年下の父方の従兄妹だ。

「あず、今日来る日だったんだ?」
「学校の帰りについでだから寄って行ってやれと、さっきお父さんから電話がありまして」
「そっか、いつも悪ィな」
「けど、図書館にお出かけなんですよね?」
「僕はね。でもどーぞ、上がっていってよ。……姉さん?」
玄関先で、なんだか固まっている姉さんだ。

「……秋人さん。折角ですから、私も図書館までご一緒していいですか?」
「いや、でも……。僕は構わないけど、いいの?」
「読みたい本もありますし、たまにはいいでしょうから」

単に宿題やりに行くだけなのに……。また梓に余計な負担をかけやしまいか?
いやでも、どうやらこれから、家にお客さんが来るみたいだ。それも、僕が邪魔になるぐらい重要な……。
だったら梓も連れて行った方が、邪魔にならないだろう……。

「じゃ、行って来るよ、姉さん」
相変わらず固まったままの姉さんにかけた言葉。少しだけ冷たいモノが混じろうとするのを、止められない。
……どうぞ、ごゆっくり。僕は行くから、さ。

「あ、秋くん? やっぱり今日は雨降りそうだから――」
「亜由美さん、予報では夜半まで降水確率0%です」
「で、でも梓ちゃん、もう遅いから――」
「亜由美さん、まだ午後二時です。秋人さんと一緒におりますからご心配なさらずに」

ぺこり、と可愛らしくお辞儀をして、梓が玄関を閉めた。


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