Bloody Mary 第7話
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 トレイクネル家の自室。
 静かな部屋でくちゅくちゅと水っぽい音だけが響いている。
「は………んっ……」
 自分ではいつも日課にしている自慰と同じつもりだった。
 していることは同じ。でも身体の反応はまるで違っていた。
「あっ……あっ…あっ…あっあっあっ」
 ビクビクと自分の意志とは無関係に腰が震えだす。
「ウィル……ウィル…私っ…私っ…」
 優しく私を愛撫するウィルを夢想する。
 そしてそっと指で唇をなぞった。
 ―――ここに、ウィルの……
「んッッ!!!!」
 一昨日の夜を思い出した瞬間、身体は硬直し頭の中は真っ白になって意識が霧散した。
「はっ!……はぁ…はぁ…はぁ…んく……はぁ……はぁ―――」
 ……すごかった。ただ一昨日のキスを思い出しただけでこれほどなんて。
 これで初めてウィルと結ばれるときはどうなってしまうんだろう。
「っ!!!」
 駄目…想像したらまた達してしまった。

 呼吸が整ってから一昨日の一連の出来事を思い出す。
 ウィルをデートに誘ったのは私にとって一世一代の大勝負だった。
 約束は午後からだというのに、朝早くから起きて念入りに髪の手入れをして、
 服を選ぶのも慎重に何度も着替え直した。
 だからウィルがいつもと違う目で私を見てるのは凄く嬉しかった。
 あぁ、ウィルが私を女として見てくれている―――そう思うと全身が甘い痺れに襲われた。
 舞台の最中もウィルの視線が気になってずっともぞもぞと腿を擦らせていた。
 少し浮かれていたのかも知れない。
 そのせいもあってあの夜、ウィルの口から“姫様”と聞いたとき私は猛烈な不安に襲われた。
 本当はあんなこと言うつもりはなかったのに一度溢れ出した言葉は途中で止めることなんてできなかった。
 言いたいことを気が済むまで吐き出して、ウィルが何か答えようとしているのに気づいてから
 私は「しまった」と後悔した。
 怖い。ウィルから答えを聞くのが怖い。ウィルに拒絶されるのが怖い。
 ウィルの口を塞ぎたい。思い立ったらすぐだった。気が付けば私はウィルにキスをしていた。
「やった!やったやったやったやった!!」
 ガラにもなくベッドの上ではしゃいでしまう。
 ホントはもうあのまま押し倒してしまおうかとも思ったけど流石にそれはマズイですよね。
 ウィルも相当驚いてたみたいですし。
 うん。でも次に会ったときはもっと積極的に行こう。もう騎士団長の立場とか気にしない。
 ガンガンいきますっ!
 ふふっ。待っててください、ウィル。
 私があなた無しには生きられなくなったように、あなたも私なしでは生きていけなくしてあげます。
 すぐに、ね。

 ぐっと握り拳を作ったとき、ふと鏡に映る自分の姿が目に入った。
 鏡を見ながら頭に付いているブローチに手をやる。
 プレゼント。
 ウィルが私に、私のために、私のためだけに買ってくれたプレゼント。
 あはっ。
 鏡に映る顔がだらしなく綻ぶ。
 また、ウィルと舞台見に行きたいなぁ……
 確かあの舞台、同じ原作者の別の本が舞台化されてたはず。
 タイトルは何だったかな……えーと…
 度忘れしたのか思い出せない。やだなぁ。あ、でも確かお父様の書斎にその本があった気がする。
 ちょっと面倒だけど見に行くことにした。

 本がずらりと並ぶお父様の書斎で目当ての本を探す。
「たしか―――あった。そうそう!これ」
 一冊の本を引き抜こうとしたとき。
 バサリ
 隣にあった本も一緒に本棚から抜け落ちてしまった。
「もう。お父様ったらぎゅうぎゅうに本を詰めるから―――あれ?」
 拾い上げようと屈むと、落ちた拍子に開いてしまったページを目にして私は違和感を感じた。
「これは……日記?どうしてこんなところに……」
 思わずしげしげ日記を見つめてしまう。
 日付は戦争が始まる少し前。
 やめておけばいいものを、私は好奇心に駆られ、日記を本格的に読み始めてしまった。

 

 

 

「いいか、よく聞けよ。
 あの戦争な、隣国の侵略戦争ってことになってるが事実は逆だ。
 侵略したのはこの国、アリマテアの方なんだよ。
 始まりは作物の不作でガタガタになりそうなのを打開するためだったらしい」
「な、に?」
 うろたえる俺に「やっぱりか」というような顔をする師匠。
「戦争の原因―――フォルン村の虐殺事件は王国の茶番だ」
 俺に農作業を教えてくれた隣家のおじさん―――
 差し入れをしてくれたおばあちゃん―――
 村長の心配そうにこちらを見つめる眼―――
 キャスのはにかんだ笑顔―――
 村のみんなの顔が浮かんでは消えていく。
「茶番…ってどういうことです」
「これだ」
 手に持っていた紙の束から一枚抜いてこちらに差し出す。
 ………これは、モルド傭兵部隊に宛てた契約書……?
 そこにはフォルン村を襲う見返りに報酬を支払うというような内容がつらつらと書かれていた。
「これは…?」
「捺印を見てみな」
 師匠に促されもう一度契約書に目を向けた。
 この捺印の紋章は……前に何処かで。
 盾を抱えたオオタカの前を交差する二本の剣。確か……
「トレイクネル家の家紋ッ!?」
 なんだ。
「フォルン村が襲われたのはトレイクネルの差し金だ。
 ゲイル=トレイクネル―――確かお前んとこの騎士団長の親父だったよな?
 最後にそいつのサインがある」
 なんだよ。この契約書は。
 なぜ団長のお父さんとモルドが契約なんかしている?いったい何のために。
「戦争でも起こして自分の家の権力を強くしたかったってのが自然だな。
 武器商人やらトレイクネル派の貴族がグルになってあの虐殺事件を起こした。
 金儲けやお零れを与るためにな」
「じゃあ……まさか、まさか…隣国は―――」
「全くの濡れ衣で戦争を吹っ掛けられたことになるな」
 その言葉で俺が三年間積み上げてきた心の主柱は音もなく瓦解した。
「ただ戦争を起こすべきだと進言しても穏健派あたりから反対されるのは目に見えている。
 だからあんなまわりくどいことをしてモルドと契約したんだろう。
 モルドの連中が事件の後何人も死亡しているのは多分口封じ……
 って、おい!ウィル!しっかりしろ!おい!」
 ―――あのせんそうで……おれは、ひとをたくさんころして……
 でも、そのひとたちはかんけいなくて――――――
「ウィル!おい!ウィ―――」
 俺の意識はそこで途絶えた。

 

 

 

 最初、何が書いてるのかさっぱり解らなかった。
「何…?これ…?」
 その日記には戦争の発端、フォルン村の虐殺事件の真実が淡々と書かれていた。
 え?あの事件って確かウィルが巻き込まれた事件だよね?
 なんでお父様が関わってるの…?あれは隣国の侵略じゃなかったの?

『俺は、絶対にあいつらを許さない』

 いつか私に過去を教えてくれたウィルの言葉が頭の中で何度も反芻する。
「あ………あ……あぁ……」
 私のお父様が原因だったんだ。
 私のお父様があの村を襲わせたんだ。
 私の家がウィルの大切のものを奪ったんだ。
 私の血がウィルを苦しめたんだ。
 私が!私が!私が私が!私が私が私が私が私が私が!!
「あああああああぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!!!!!!」
 ウィルが私に背を向けて、離れていく光景が酷くリアルに想像できる。
 ウィルに真実を知られるのが怖い。
 ウィルが私から離れてしまうのが怖い。
 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!!!!

 私は恐怖のあまりその場にへたりこみ、ガタガタと震えていた。


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