「遅いッ!」
自室で痺れを切らしたわらわは思わず声を張り上げてしまった。
「ウィリアムはいったい何処をほっつき歩いておるのじゃ!」
心を落ち着かせるために部屋の中を行ったり来たりするが苛つきは一向に治まってくれない。
いっそのこと自分で捜しに行こうか、そう考え扉の方に向かう。
それを見て慌てたように侍女が止めに入った。
「い、今、城の者に捜させていますのでどうかもうしばらくお待ちください!
城内には居らっしゃる筈ですから」
……分かっておる。何処にいるかは分からぬが誰といるかは簡単に予想がつく。
恐らくあの女――――騎士団長マリィといるのじゃろう。
ウィリアムが遅いときは決まってマリィに捕まっているときじゃ。
わらわがウィリアムを『王の盾』に推したときも独り猛然と反対しておった。
だが『王の盾』に任命することは王の勅命じゃ。
いくらトレイクネル家出身の者といえど覆すことなどできるはずがない。
それ以後のあの者のわらわに対する目は王家に仕える騎士とは思えぬ。
ほぼ間違いなくわらわがウィリアムに恋心を抱いていることに気づいておる。
わらわがあの女の心情に気づいたように。
ウィリアムのことは戦争中だった頃から噂で聞いていた。
国を勝利に導く救国の戦姫マリィ=トレイクネルの側で戦う、
彼女の「懐刀」と呼ばれている騎士の存在。だがわらわはさして気にも止めなかった。
その頃は騎士を「野蛮な種族」と蔑んでいたから少しも興味が沸かなかった。
しかし、嫌々出席した戦勝パーティーで彼を見たとき。わらわの身体を衝撃が走り抜けた。
完璧な一目惚れだった。
ウィリアムがわらわの手の甲に挨拶のキスをした瞬間なんか頭の中が真っ白になったほどだ。
あぁ、この者が欲しい……「野蛮な種族」にわらわは恋をしてしまった。
とはいえ、一国の王女が自国の騎士、ましてや平民出の者に愛を告げることなどできるはずもなく。
彼のことを想い自慰に耽る悶々とした日々を過ごすしかなかった。一時はもう諦めようとさえ思った。
そんなある日、城内で偶然ウィリアムとマリィが楽しそうに談笑しているのが目に入った。
その時のマリィの表情は今でも忘れられない。必死でウィリアムの上司として振る舞ってはいるが、
わらわにはハッキリと見えた。その瞳の奥に激しい恋慕と情欲が宿っていることを。
なぜあの女がウィリアムの側にいるのか。なぜあそこにいるのがわらわではない。
なぜあの女はウィリアムと楽しそうに笑っているのに
わらわは諦めねばならない…?なぜ、なぜ!なぜなぜなぜなぜなぜなぜ!!!
その瞬間わらわの決意は固まった。どんな手を使ってでもウィリアムを我が物にしようと。
にしても本当に遅い。まさかマリィに襲われたのではないか。心配になってもう一度扉に
向かおうとしたその時。
「失礼します」
ノックと共にその声を聞いて全身がかぁっと熱くなった。
「ウィリアム=ケノビラック、只今戻……おわっ!」
「ウィリアム!ウィリアムウィリアム!どこに行っておったのじゃ!」
さっきまでウィリアムが来たら説教してやろうとか困らせてやろうとか考えていたのに
彼の顔を見た瞬間嬉しさのあまり飛びついてしまった。
彼の身体に顔を押し付け、鎧の鉄の匂いと共にウィリアムの匂いを肺いっぱいに吸い込む。
それだけで下半身に湿り気が帯びる。
それと同時にかすかにあの女の匂いがした。
やはり。今まであの野蛮人と。
―――よかろう、マリィ=トレイクネル。
このアリマテア王国王女、マリベル=ノブレス=アリマテアが全力を以って
貴様よりウィリアムを奪取する。
部屋に入った途端、いきなり姫様に抱きつかれた。
「こ、困ります、姫様。は、離れてください」
「イヤじゃイヤじゃ!ぜっっったいイヤじゃ!今日はもう一日中離れぬからなっ!」
更に強くしがみ付かれる。随分と気に入られたものだ。
姫様の『王の盾』になることが決まった直後、同僚に「うちの姫様は大の騎士嫌いだからな、
覚悟しとけよ」
と脅され戦々恐々としていたのに、いざ会うと一体全体どういうわけか最初から俺に懐いている。
好いてくれるのは嬉しいが、なにぶん相手は王女様。こんなところを国王陛下や貴族連中に
目撃されたら首を飛ばされかねない。
少々扱いに困るのが正直なところだ。
「えーと…それで姫様。俺に何か御用ですか?任務に戻るのが遅れたとはいえ侍女が総出で
捜しにくるほど慌てていたようですが」
「え?あー…その、なんじゃ……そう!またおぬしの昔話が聞きたい」
「は?…えと、それだけ?」
「……駄目か…?」
おずおずと尋ねる姫様。まったく。姫様は本当に甘えるのが上手い。
そんな顔されたら断れるわけないじゃないか。
陛下が姫様を溺愛するのものも頷ける。
「構いませんよ。何をお話しましょう?」
「フォルン村で暮らしていた頃の話が聞きたい!」
姫様は満面の笑みで答えた。その笑顔にふと幼馴染みの顔がだぶる。
「またそのような顔をして……そんなにわらわがキャスとかいう娘に似ておるのか?」
キャスのことを思い出していたのが表情に出ていたようだ。俺は無言で苦笑すると昔話を姫様に聞かせた。
キャサリン=ウィーバー。フォルン村の村長の娘で俺の幼馴染みの名だ。
母子家庭だった俺の家は貧しかったが村の皆の助けもあってなんとか暮らせていた。
特に俺たちによくしてくれていたのが村長の娘、キャスだ。
病気がちな母に代わってに家事の一切を引き受けてくれた。
引っ込み思案で、そのくせ困っているヤツを放っとけなくて。俺はそんなあいつが大好きだった。
キャスへの想いが募ったある日、俺はとうとう告白した。今思えばかなり滑稽だったと思う。
もうちょっとマシな告白の仕方もあっただろうに
その時の俺はいっぱいいっぱいだった。それでもあいつは笑顔で俺に答えてくれた。
凄く。凄く嬉しかった。
―――でも翌日。村は血の色に染まった。
性格は全然違うが姫様はキャスに瓜二つだ。だから俺は『王の盾』になった時、運命を感じた。
あのときキャスを守れなかった俺に神様がもう一度チャンスをくれたのだと。
その日は時間が許す限り、姫様に昔話を話し続けた。