過保護 第8回
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僕は今、白羊病院に居る。
黒崎先輩のお見舞いをするために。
混沌と言う言葉がある。
今の僕の心境を表すのにここまで適切な言葉は無いだろう。
あれから妙に最上が僕に構ってくるような気がする。
一昨日は人馬遊園地、昨日は双魚商店街。
一度受けた手前、僕は最上に誘われるままに遊びに行った。
まあ、その度にけっこう酷い目にあったような気もするけど、それでも楽しかった。
不覚にも、許される物ならもっと味わっていたいと思ってしまった。
でも許されはしない、人道からも僕の良心からも…きっと黒崎先輩からも。
いや、今のは正確じゃない。
僕の良心は…少しづつ、本当に少しづつ呵責を弱めていた。
それでも僕の良心は今の所は健在だった。
本当は…今日も最上から誘われていた。
けど今日は断った、今日だけは断りきれた。
昨日の夜に黒崎先輩の意識が戻ったと連絡があったからだ。
僕の良心は、黒崎先輩への想いは…まだ完全に死んだ訳でもなかったみたいだ。
最上は少しだけ悲しそうな眼をして…ただ一言、『待ってるから』と言った。
僕の足は…僕の腕は…辛うじて止まってくれた。
いっその事あの時あの場で最上を抱きとめてしまえばどれだけ楽になれただろうか?
でも僕には恋人が居た、どんなに想い離れていても恋人が居た。
曲がりなりにも僕の方から告白して恋人になってくれた人が居た。
そんな訳で僕は今、白羊病院に居る。
黒崎先輩への想いが本当に死んだのかどうかを確かめるために。
良し、考えはまとまった。
僕がここに来た目的も定まった。
もういつまでもドアの前に立っている意味は無い。
僕はもう一度ドアの上に取り付けられたプレートを読む。
『黒崎栞』たしかにそう書いてあった。
ご丁寧な事に個室であった。
僕は軽く深呼吸をして…ドアをノックした。
コンッコンッコンッ…
「はい、どうぞ」
声が聞こえた…何日かぶりに聞く黒崎先輩の声だった。
「黒崎先輩、入りますよ」
「健斗か!?ちょ…ちょっと待ってくれ、まだ髪に寝癖が…」
「怪我人が余計な事を考えないでください、入りますよ」
 ガチャッ…
「健斗…」
「おはようございます、先輩」
先輩が居た、頬を赤らめ先輩あからさまに慌ててるが…普段は絶対に見る事のできない慌てている先輩が…
不覚にも…可愛いと感じてしまった。

手の動かせない先輩の代わりに髪を軽く梳かす…
こうやって僕が先輩の世話を焼くのなんていったいどれだけ昔の話だっただろう?
最近はともかく、昔は私生活に関しては限り無くズボラだったな…
…っと、いけない、口元がにやけそうになっていた。
いくらなんでも怪我人の前で妙な顔はできない。
それに…僕の頭に最上の顔が浮かんでいた。
仮にも恋人である人の目の前で、僕は最上の事を考えていた。
だから僕は…僕は思いっきり顔を引き締めて言った。
「黒崎先輩、大丈夫ですか…」
「大丈夫、この位どうって事はないよ」
それはあからさまな強がりだとわかった。
現に先輩の両腕にはギブスが取り付けられているし、先ほどお医者さんからも容態を聞いたばかりだ。
「聞きましたよ、全治一ヶ月じゃないですか」
そう言うと今度はしゅん…とした顔になり、しおれてしまった。
こんなにも弱々しい先輩を見るのは初めてかもしれない。
僕はまた…胸が熱くなるのを感じた。
いつか…そう、いつか感じた感覚を覚えた。
「すまない、君には心配をかけた…」
しゅん…として、顔を下に向けたまま言った。
昔は…先輩と付き合い始めた頃は、こんな顔を頻繁に見ていたような気がする。
もう遥かな昔のように感じる日々が蘇ってきていた。
「別に…良いですよ…」
そう答えるのが精一杯だった。
僕にはそれしかできなかった。
一瞬でも気を抜けば今すぐにでも抱きしめたい衝動があった。
それでも僕の想いがそれを止めていた。
僕が最上に対して抱いている想いが…おそらく昔の黒崎先輩に対して抱いていた物と同質の想いが…僕を拘束していた。
だから逃げた…
「やはり、一人は寂しいよ…」
…先輩がそう訴えた。
僕を必要としているのがわかった。
今更ながら気がついた、僕は誰かから必要とされるのに弱い。
僕は助け舟を求められるのに弱い。
…とても弱い。
最上からも…黒崎先輩からも…これは僕の己惚れなんだろうか?
だから逃げた…
「あの…すいません、この後用事があるんですよ」
「えっ…?」
僕は呆気に取られる先輩にそう言い放ち、逃げた…
「その…先輩、おだいじに」
…ガチャン
逃げた…僕は逃げた…紛れも無く逃げた…
最上を想っていた、黒崎先輩を想っていた…僕にはその違いがわからなかった。
良心が最上への想いを捨てろと言った、良心が先輩への想いを捨てろと言った…僕にはその違いがわからなかった。
「先輩…なんで今更…そんな顔をするんですか…」
僕はそう呟いていた。


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