リボンの剣士 第29話
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あくびを噛み殺して、今日も私は伊星くんを待つ。
伊星くんは、いつも部活の朝錬並に早い時間に登校するから、私もそれに合わせると、
やっぱり眠くなっちゃう。
でも、あくびは出さないよ。眠たそうな表情にもならないよう気をつけて、
笑顔で迎えるようにしないとね。
本当は、一番早く顔を見せたいんだけど、伊星くんにとって、朝一番に会うのは新城さん、
ってほとんど決まっていて、私はまだそこまで割り込めない。
……ねぇ伊星くん。私、結構本気で頑張ってるの。
だから、そろそろ私のほうも見て欲しいな。
「ふぅ」
信頼一つ、手に入れるのも楽じゃない。

少し経って、新城さんが走って門から入ってくるのが見えた。でも、側に伊星くんはいない。
一人、だけ?
新城さんは、息を切らせながら、中庭の方に近づく。私は見つからないよう、植え込みの陰に隠れた。
なんか、いつもと様子が違う。
しばらく中庭で突っ立っていたかと思うと、また走って校舎に入っていった。
離れて見ていたけど、新城さんは、ずっと暗い顔をしていた、かな。
伊星くんと一緒じゃない。加えて、覇気のない表情。
……ケンカでも、したのかな?
だとすれば、私にチャンスが巡って来たことになる。二人の仲が気まずくなった状況なんて、
全開のドアより入り易いよ。
時計を見ると七時十六分。いつもなら、二人揃って二十分ちょうどに学校に来るから、
もう少し待てば、伊星くんが一人で来るはず。
もういいよ。そのままケンカ別れしちゃえ。

時計の長針が四のところにカタッと動いたとき、校門から伊星くんが入ってきた。
左右を見渡しながら、中庭のほうへ。
私は、笑顔を向けて迎える。
「おっはよ〜っ!!」
「あ、木場。明日香を見なかったか?」
……。
あいさつを返さず、いきなりそれ?
そう、伊星くんの頭の中、新城さんの事で、いっぱい、なんだ。
入ったスイッチを、急いでオフにする。
大丈夫大丈夫。これくらいは想定の範囲内だよ。
伊星くんが、常日頃から新城さんに気を遣っているのは、とっくにわかってるから。
「見て、ないよ」
「……学校にはまだ来てないのか」
「何かあったのかなぁ」
わざとずれた振りをする。本当は、何か無い限りそんなことは起こらないよね。

伊星くんの顔に、痣ができていた。
「ねぇ伊星くん。その痣はどうしたの?」
よく見ると、鞄を持っている右手の手首にもある。
「ああ、これは、この前のバーゲンで押し合いになって、誰かから肘鉄をもらったんだ」
「ふ〜ん……」
嘘だ。昨日、伊星くんの顔に、そんな痣はなかった。
昨日の放課後、伊星くんは新城さんに連れられて教室を出た。あれからバーゲンに行ったとは思えない。
家でちょっとぶつけた、にしても変。顔と手首、一日で二箇所も痣ができる?
伊星くんは、そんなドジじゃなかったはず。
今日、二人は一緒じゃないから、ケンカでもして……。
ケンカ。そう、ケンカだよ。
伊星くんの痣は、きっと新城さんとケンカして、できたものなんだ。
痣ができるほど、顔を強く攻撃した……。

熱い。熱いよ。
伊星くんが暴力を振るわれたら、酷く傷つくことは、私にだってわかる。
それを、あの女は、新城明日香はやったんだ。

ああ、熱い。燃えてる。何が? わからない。
風邪を引いた伊星くんのお見舞いに行ったあの日もそう。
ちょっと頭にきたら、すぐ手を上げる。自分に都合が悪くなったら、柄物を振るう。

何が幼馴染だ。何が信頼だ。
自分の思い通りに、人を動かそうとする。

そういうの、洗脳――――って言うんだよ。
ああ、凄く熱い。
あの女の腕をもぎ取って、私のこの炎で丸焼きにしてやりたい。

「まぁとにかく、座ろ?」
でもこれはまたとないチャンス。今なら、伊星くんの新城さんへの評価も下がってる。
私が先にベンチに座って呼びかけ、伊星くんも続く。けど――。
空いてる。
昨日より、隣に座る伊星くんとの距離が遠い。物理的に。
気のせいじゃない。

私が色々話し掛けても、伊星くんは、あまり明るく答えてくれなかった。
生返事というか、どうでもいい、って言いたいような雰囲気が伝わってくる。
初めの頃のような、素っ気ない態度。
少しずつ、近づいてきたと思ったのに、また、離れていく。
その理由が、すぐ思い付くのが悲しい。
屋聞くんによれば、私が男を奪ってすぐ捨てた、っていう噂が、伊星くんの耳にも入っているらしい。
確かに私は、彼女がいると知りながら、男の人に近寄ったことがある。
だって、羨ましかったの。

たまたま公園で目にした、日野山さん……だったかな? その人が作ったと思う、
あまり出来の良くないお弁当を、彼は喜んで食べ、仲睦まじくやっていたから。
無闇に飾りにこだわってない、ほのぼのとしたデートだった。
私も、ああいう事をやってみたい。それこそ漫画でも見られないようなことだけど。
それで私は、彼に近付いた。もちろん、彼女の日野山さんは、いい顔をしなかった。
でも、一度付き合い始めたら、もうずっと安泰ってわけじゃないと思うから、それほど気にしなかった。
あなたも彼女なら、彼を守り抜いてみなよ――程度に考えていた。
その後、彼は私のほうを向いてくれた。日野山さんには悪いけど、私もこれで、
求めてやまなかったものが手に入るって、ただ、喜んだ。
だけど――――。

彼を私の家に招いて、手料理をご馳走しようとしたら、
『料理より、お前を食べたい』って……。
彼は結局、身体の方を重視していた。色仕掛けなんて、一度もしてなかったのに、
日野山さんから私に乗り換えた理由は、身体――。
それで一気に冷めた私は、すぐ彼と別れた。付き合ってから一ヶ月と経っていなかった。

伊星くんは、噂を聞いたから、こうして距離を置いている……。
でも私は、伊星くんがその噂を本気で信じてはいないと思う。
たとえ半信半疑だとしても、私自身が、伊星くんと心を込めて接していれば、きっと解ってくれる。
大丈夫、新城さんだって距離が広がったんだから、まだまだひっくり返せる。
私が先に動けば、その確率も上がるんじゃないかな。

昼間は、罠じゃないかって思うくらい、隙だらけだった。
休み時間、昼休み、伊星くんと新城さんは離れていた。
邪魔も入らなかったから、伊星くんとほとんど一緒にいられた。
お昼ごはんも一緒、お喋りするのも一緒……。
新城さんが取っていたポジションが、私のものに。
ただ、伊星くんはつれないままだったけどね……。

放課後だけ、事情が変わった。
一緒に帰ろうと誘いをかける前に、伊星くんはいなくなった。
先回りして、下駄箱前で待ち伏せしたけど、姿を見せない。
屋聞くんに連絡を取ったら、『捕まえようとしたら逃げられました』って言ってた。
二人で手分けして探し回ったけど、結局捕まらず、下駄箱前に戻ってみれば、
中の外履きが上履きに変わっていた。
「伊星先輩に、してやられましたね」
屋聞くんは、悔しそうに呟いていた。

次の日。今度はもっとうまく立ち回ろうと、朝から気を引き締めて待っていたら、
伊星くんと新城さんは、二人で一緒に登校して来た。
チャンスは、長い時間続かなかった。話しながら歩く二人を見ると、胸が痛い。
昨日のうちに、もう仲直りしたの?
長い時間培ってきた絆があるから、簡単に修復できるの?
狡い。
私も、そんな信頼関係を、伊星くんと結びたい。
その絆、私によこせ。あなたがそれを持つ資格は無い。

幸い私には、近いうちに、伊星くんと接近できる絶好の機会がある。
この時期に生まれたことに感謝するよ。
新城さんが部活に行った後、一人で中庭のベンチにボーっと座っている伊星くん。今がチャンス。
「ねぇ伊星くん」
「ん?」
「えへへ」
少しだけ間を取って、伊星くんの意識を引き寄せる。
「来週の今日、私の誕生日なの。家でパーティーやるから、来てくれない?」
パーティー、というのは厳密に言えば違う。私は伊星くんしか呼ぶ気はないから。
「んー……」
腕を組み、伊星くんは考えている。
来てくれるよね。私だって、伊星くんのお見舞いに行ったんだもん。

「へぇ〜。木場さん、来週誕生日なんだ」

その声は、伊星くんのものじゃなかった。
後ろから現れた、竹刀とリボンを揺らしている、新城明日香のものだった。


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