リボンの剣士 第9話
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昨夜の雨は明け方には上がったようだ。今はすっかり晴れている。木の葉から零れ落ちる雫が、
とても綺麗だ。
いつもの通学路。水溜りがあるものの、休み明けの億劫な気分は減少する。
駄菓子屋の角で、これまたいつものように明日香と会う……はずなのだが、いない。
明日香が通ってくる道を覗いても、誰一人歩いていない。
先に行ったのか? それとも寝坊か?
昨日のことを鑑みるに、可能性は半々だった。

昨日の試合――――。
俺が知っている明日香と比べて、あの試合での明日香は、一言で言えば、全くらしくないものだった。
失礼だが、別人ではないかと思ったくらいだ。いつも見せるような果敢な攻めはなく、相手の動きに
対してふらふらして、何もできずに面有りを決められていた。
相手がやたら強かった、とも考え辛い。それこそ離れて見ていた俺ですら威圧感を覚えるほどの奴で
なければ、明日香の敵ではないだろう。昨日の相手に、それは無かった。
で、そいつに負けた明日香はどうしているか。もっと鍛えなければと急いで朝錬に行ったか、あるいは
単に不貞腐れているか。
前者であれば何の問題も無い。だが後者なら。
俺自身、明日香が試合で負けるのを見るのは初めてだった。敗れた悔しさはいかほどか、
俺に簡単に量れるものではない。そんな明日香と、なんて話せばいいのやら。
……。

俺は一人で学校へと向かった。
仮に明日香が凹んでいたとしても、そこから立ち直れないようなヘタレじゃない。
明日香は俺よりも、ずっと強いのだから。

学校に着いてから、道場を覗いて確認する、という方法を思いついた。明日香がいれば、それで良しだ。
なんとなく忍び足で道場に近づく。別に疚しいことなど無いのだが。
中から威勢のいい掛け声が聞こえてくる。
入り口横の壁に張り付き、顔だけ出して中を確認する。明日香はいない。
ということは、寝坊か。戻ろう。
そう思い入り口を背にした瞬間、何者かに襟首をつかまれた。
「いい所に来たな、伊星。」
部長さんの声だった。
俺は何も言わずに手を払って逃げ出した。しかし回り込まれてしまった。
「新城が来ていないのだが、何か知らないか?」
「存じませぬ」
むしろ俺が聞きたい。
「そうか。だがすぐ帰ることは無いだろう。見学でもしていけ」
木刀でコツコツと地面を突く部長さん。本名、黒凪鉄子。
逃げ場は無かった。
結局、道場の掃除と道具の手入れを手伝わされた。来るんじゃなかった。畜生。

慣れないことをしたせいで朝から疲れた。教室に戻ると、朝のホームルームの真っ最中だった。
あー頭がボーっとする。
「え〜、今日は新城が風邪で欠席、と」
!?
担任から衝撃的な言葉が発せられた。
明日香が風邪? そんな馬鹿な。有りえない。
中学一年の頃から今まで、毎年皆勤賞を取り続け、卒業のときには、体育良好……、何だっけ、
思い出せん。とにかく健康賞のようなものを受けた明日香が、風邪だって?
昨日のダメージはそれほどまでに大きかったという事か?

担任は教室を出て、一時間目の先生が入ってくる。
明日香がいるはずの席は、空いたまま。

物凄く、嫌な予感がする。
ただの勘でしかないのだが、午後から降り出した雨が、その勘が正しい事に一票を投じている気がする。
朝は見事に晴れていたのに。
このまま何もせずに帰っていいのだろうか。明日香の風邪は、どうなっているのだろうか。
そうだ。直接見に行って来ればいいんじゃないか。
学校帰りに、明日香の家に寄って行こう。
と、そこで、間抜けなミスを犯していることに気づいた。
……傘を持っていない。
外の雨は昨夜ほど強くはないが、無視できるほど弱くもない。
濡れた状態で他所の家に行くのもアレだし、購買で売られている傘は一本二千五百円。
ぼったくりもいい所だ。
ならば一度家に帰って、その後明日香の家に向かうか……。
「い・せ・い・くんっ」
どすっ。
後方から激しい衝撃。バランスを崩したが、倒れるのは何とかこらえた。
「っ……木場か!?」
「えへへっ」
俺のすぐ後ろで木場がニヤニヤしていた。
「一緒に帰ろ」
先週、毎日のように聞いた誘いが、今日も来る。
「ちょっと今日は用事が……」
「ぶー。今日はバイト休みでしょ〜、用事なんてないでしょ〜」
木場は一気に膨れて制服の裾を引っ張ってきた。
しかし、何で木場は今日がバイト休みなのを知っているんだ。
「いや、本当に急用だ」
制服が伸びてしまっては困るから手を取り払う。
「どんな用事なの?」
「天変地異を未然に防ぐために流行性疾患患者の現状を調査……」
「???」
「とにかく、急がなければ何かが起こる」
木場が困惑している間に、外へ駆け出した。
やはり一度家に帰って、それから明日香の様子を見に行くとするのがいいだろう。

急ぎたい時ほど運は敵に回るもので、俺は赤信号で足止めを食らってしまった。
傘が無いから、雨が遠慮なく身体に当たる。
周りの信号待ちの人たちは皆傘を開いていた。俺だけか、くそ。
だが突然、雨がふっと止まった。
正確には、俺の頭上に傘が出現していた。
「はぁ、はぁっ。用事って、そんなに、大急ぎ、するほど、大事なの?」
その傘の柄を持っているのは、木場。息切れしている。俺を追ってきたのか?
信号が青になった。俺は横断歩道を走らず渡る。傘がそのスピードに合わせて付いて来る。
「伊星くん、なんか今日、ヘンだよ?」
渡りきったところで、息の整ってきた木場は、そう、言った。
別にヘンでいいじゃないか。俺は変人、伊星人志だ。それでいい。
「これから、どこへ行くの?」
俺がヘンなら、木場だって変だ。俺が何をするのか、何処へ行くのか聞き出そうとして、
こんな雨の中を追いかけてまで、しつこく聞いてくる。
本当に、こいつは何がしたいんだ。
「明日香が風邪なんて引くから、珍しくて見物に行こうかと」
「……見物じゃなくて、お見舞い、だよね?」
「若干違う」
木場は笑った。普段のへらへらした感じではなく、少し、大人びたような。
「優しいね。伊星くん」
「いやだから違うと……」
「新城さんのことが心配で、一日中居ても立ってもいられなかったんだね」
「違うってのに……」
見物と見舞いには、本当に違いがあるのだ。それを木場は掴めていない。
「よし決めた」
「何を」
「私も、これから新城さんのお見舞いに行くよ」
「だから俺のは見舞いじゃ……」
「あっ、でも私、新城さんの家わかんない。ねぇ伊星くん、案内して?」
「…………」
何だこのデジャヴは。この強引な持って行き方は。
そんなに明日香が気に掛かるのだろうか。しばらく前まで、木場と明日香はあまり係わり合いに
なったことは無い筈だが。
「わかった」
深く考えても仕方がないかもしれない。別に木場が同行してもしなくても大差ないだろう。
ただ、誤解の一つは改めておきたい。
「俺はあくまで”見物”しに行くだけだからな」
「うん。私はお見舞い、伊星くんは見物、それでいいと思うよ」
「……」
何故だろう。どこか腑に落ちない。
木場の目が、『本当はお見舞いに行きたいけど、恥ずかしくてそう言えないんでしょ〜。このこのっ』と
語っているように見えるが、俺の被害妄想だろうか?


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