振り向けばそこに… ANOTHER 第15回
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「なんだって……?」
 久しぶりにかかってきた羽津姉からの電話。 其の電話の内容に俺は自分の耳を疑った。
 死んだ? 結季が……? バカな! 何で?! 何でそんな事になるんだ?!
 今日だってデートして、キスして、笑顔で、また明日も逢おうって! その結季が死んだ?!
 一体……、一体どう言う事なんだ?!
 電話の向こうの羽津姉に問い掛けても只泣きじゃくるだけで会話にならない。
 病院の場所だけ聞いてタクシーを捕まえ飛び乗る。 タクシーに乗りながら羽津姉に再びかける。
 着いたと同時に金を払い、つり銭も受け取らず病院へ駆け込む。
 真っ赤に泣き腫らした目をした羽津姉に案内され辿り着いた先の病室のドアを開ける。
 中には一台のベッド。 上にかかった白いシーツのふくらみの形から横たわっているのが
 女性であることはうかがえる。 そして顔には真っ白い布が……。
 目の前のコレが結季だというのか……? コレが今日も俺と逢ってて、俺に笑顔を向けてくれてて、
 そして互いに唇を重ねたりしてた最愛の女性だというのか?
 俺は恐る恐る顔にかかった白い布に手を伸ばす。 布を取り払い現れた顔は……それは紛れも無く
 俺の最愛の女の、結季の顔……。 だが其の顔は完全に生気の抜け落ちた真っ白な……。
「う、うわああぁぁぁぁぁぁあああ……!!!!! 結季!! 結季!! 嘘だろ?!
 嘘だって言ってくれよ?! 何で?! 何でお前が死ななきゃならないんだ?!」
 俺は慟哭を上げ泣き叫んだ。 目から涙が止め処も無く溢れ視界が涙で滲む。
 目の前の現実が信じられず頭が真っ白になる。
 俺は横たわる結季の体を掴み揺さぶる。 だが掌から体温の伝わってこない其の冷たくなった体は、
 俺にされるがまま糸の切れた人形のように揺さぶられるだけ。
「結季!! 結季!! 頼む!! 頼むから目をあけてくれ!! いつものように
 俺の名前を呼んでくれ!!」
「祥ちゃん!!」
 その時俺は後ろから抱きすくめられた。 錯乱し慟哭を上げる俺を制するように後ろから
 抱きしめてくれたのは羽津姉だった。
 錯乱し泣き叫んでいた俺は羽津姉に引っ張られ廊下に出た。

「う、わああぁぁ……! 何で……! 何でだよ……! 何で結季が死んでるんだよ!!
 何で死ななきゃならないんだよ!!」
 廊下に出された俺は膝をつき床に拳を打ちつけながら声を振り絞り泣き叫んでいた。
「ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……。 私の……私のせいなの……。 私のせいで結季は……」
 その時背中に縋りつくようにしていた羽津姉がすすり泣くような声で呟いた。
 其の声を聞いた瞬間俺は振り返り羽津姉の肩を掴み詰め寄った。
「今……何て言った? 『私のせい』って、そう言ったのか? 一体……どういう意味だ? 答えろ!!
 一体どういう意味なんだ?!!」
 俺の問いに羽津姉は涙混じりにポツリポツリと口を開き始めた。

 

 羽津姉が一通り話し終わると俺は手近の壁を力いっぱい殴りつけた。
 其の音の大きさに羽津姉の肩がびくりと震える。
 俺は感情のままに叫んだ。 頭では解かっている。 羽津姉だって物凄く傷ついていることを。
 こんな状態の羽津姉に向かってこんな言葉投げるべきじゃない事を。 むしろ掛けるべきは
 優しい慰めの言葉だってことを。
 羽津姉が責めを負わねばならないのだとしたら俺だって同罪だ。

 ……だけど。

 だけど俺の口は止まらなかった。 まるで俺の意思とは別の生き物のように勝手に動き
 酷い言葉を吐き続けた。 そして俺のそんな言葉に羽津姉は只黙ってじっと耐えていた。
 一言も言い返さず弁明もせず、まるで其の身にあえて咎を受けるようにじっと最後まで黙っていた。

 

 そこから先何があったのか、どうなったのか……、まるで頭の中に霞がかかっているみたいに
 思い出せない。
 体に力が入らない。 何もする気力が湧かない。 誰に何を言われても耳に届かない。
 よく大事な人を失った例えに心に穴が開いたみたいだと聞くがそんな比ではない。
 『俺』という中身を入れた器が砕けそこから『俺』が、俺の全てがなすすべも無く流れ落ちていって
 しまったかのようなそんな感じだ。
 今居る俺はもう俺じゃなく俺の形をした抜け殻……。 俺を俺たらしめていたものが、
 其の大事なものが割れた心からどんどん零れだし僅かな残りかすだけしか残ってない――今の俺は
 そんな状態だった。
 食い物も喉を通らない。 と言うより喰いたいとも思わない。
 いや、それ以前に生きたいという力が無い。
 ぼんやりとした頭でこのままだと死ぬな、と漠然と感じる。

 ――死。

 そう、死ねばまた結季に逢えるのかな……。

 

 ……………………………。
 ココはどこだ……? 俺は生きているのか……?
 頭がはっきりとしないせいか視界までぼんやりとしている。 どこか薬くさい臭いが立ち込めている。
 白いベッド白いカーテン。 左の下腕に妙な異物感。 見れば点滴が刺さっている。
 と、言う事はココは病院なのか?
 ベッドにうずくまっている姿が見える。 羽津姉だった。
 そう言えば羽津姉は俺が自暴自棄になってる間もずっと世話を焼いてくれてた。
 俺がどんなに振り払おうと邪険にしようと、時に酷い言葉をぶつけても俺の世話を焼き続けてくれてた。
 よく見れば羽津姉も俺ほどじゃないにしろ相当やつれていた。
 じっと羽津姉の寝顔を見ていると其の寝顔に結季の面影が見えた気がした。 当然か……姉妹なんだから。
 ふと、考えてみれば結季が死んでからというもの俺は自分の事しか考えてなかった。
 若し俺まで死んだら、そしたら羽津姉はどうなる?
 大事な妹を死なせた上に俺まで逝ったら多分……羽津姉もその生きる力を完全に失ってしまう
 かもしれない。
 そうしたら、そうしたら多分誰よりもあの世の結季が悲しむ。
 そう思ったら……もう死ねないな……。 死ねなくなっちまったな……。

 

 

 結季が逝ってから2年目の春。 満開の桜が綺麗に咲き誇るある晴れた日、
 羽津姉は一人の女の子を産んだ。
 名を結季と羽津姉からそれぞれ字を取り『結津羽(ゆづは)』と名付けた。 父親は俺だ。
 あれから気付けば俺たちは互いの傷を嘗めあうように互いに躯を重ねる関係になっていた。
 正直未だに羽津姉に対して恋愛感情を抱いた事は一度も無い。
 それでも羽津姉を抱いたのは、それは俺なりに考えての贖罪。
 一度は持ち直した俺だったが、それでもやっぱり結季がいない寂しさは埋まらず、
 かといって羽津姉を残して逝く事も出来なかった俺は一つの答えを導き出した。 それは……。

 全ての荷物をこっそりと処分し終え、がらんどうの部屋で俺は一振りの包丁を取り出す。
 もう、羽津姉は一人じゃない。 今は赤ん坊と――結津羽と一緒に実家に居る。
 産後の肥立ちも良好みたいだ。 相当なショックを受けても多分大丈夫だろう。
 なによりもう羽津姉は一人じゃないんだ。
 高校卒業後直ぐに勤めた会社にも既に辞表は出してきた。
 一年間積み立ててきた俺の生命保険。 自殺でも一年経ってれば生命保険は下りる。
 この金が在ればこの先母娘二人十分生きていけるだろう。 受取人の名義もちゃんと羽津姉になってる。

 ゴメンな羽津姉。 こんな身勝手な俺許してくれなんて虫が良すぎるかもしれない。
 でも、やっぱりどこまで行っても俺には結季しか居ないんだ。
 サヨナラ羽津姉。 こんな俺なのに今まで尽くして、愛してくれてありがとう。
 身勝手な願いだけどこれから先、俺の事なんか忘れて母娘二人で幸せになってくれ。
 そして俺は刃を首に当てる。
 結季……。 今から俺もそっちに逝くよ……。

 

 

 結季……、やっと逢えた。 もう、もう二度と……二度と離さないよ。
 え? 何で? 何で首を横に振るんだよ結季! 俺の、俺の手を引いてくれよ!
 俺もそっちに連れて行ってくれよ!
 だが、どんなに手を伸ばしても其の手が結季に届く事無くどんどん遠ざかり、
 体が後ろに引っ張られる。 なんで? なんでだよ?! もう少しで、もう少しで手が届くのに……!
 そして遠ざかる結季の顔を見ると其の顔は少し寂しそうに、でもとても優しく微笑んでいた。
 結季! 結季!!
「結季!!」
 俺は自分の叫び声で目を覚ました。

 ココは……? 真っ白な部屋、立ち込めた仄かな薬品の臭い。 1年以上前にも見た覚えのある光景。
 また死に損なっちまっ……。
「祥ちゃん!!」
「羽津姉……?」
 次の瞬間頬を思いっきり引っ張叩かれた。
「祥ちゃんのバカ!! なんで、何で死のうとなんかするのよ!!
 祥ちゃんが死んだら私はどうすれば良いのよ!!」
「大丈夫だよ……。 羽津姉はもう一人じゃないんだし。 それにお金なら、
 その為に俺は生命保険にも……」
「いい加減にして!! そんな、そんなお金幾らあったって祥ちゃんが居なければ
 何の意味も無いじゃない!!」
「羽津姉……」
 その時俺は気付いた。 何で俺は助かったんだ? 例えいくらか傷が浅かったとしても
 あのままいれば出血多量で死んでたはずだ。 アソコに居た事は当然誰にも話していないから
 感付かれるはずも……。
 その時羽津姉が俺の心の内の疑問を察したかのように口を開いた。
「結季がね……私に言ったの。 『祥おにいちゃんを助けてあげて』って……」
「結季が?」
 俺が問い返すと羽津姉は涙を拭いながらコクリと頷き、そして再び口を開く。
「夢かもしれない。 幻かもしれない。 でもね、確かに私の前にあのコが現れて教えてくれたのよ。
 信じられないかもしれないけど……」
「いや……」
 俺は口を開き、そして続ける。
「信じるよ……。 俺も結季に逢った。 それで追い返されちまった……」
「そうなんだ……。 あのコ、祥ちゃんの前にも……」
 そう言うと羽津姉は涙を拭いて一息ついて口を開いた。
「あのね……祥ちゃん。 祥ちゃんさっき言ったよね。 私のこともう一人じゃない、って。
 でもね、それ言うなら祥ちゃんだって同じだよ? 結津羽を父親の居ない寂しいコ
 なんかにしないで……」
「羽津姉……」
 俺はバカだ。 こんな一途な羽津姉を残して死のうとしてたなんて……。 羽津姉だけじゃない。
 そうだ、結津羽の為にも……。
「ゴメンな羽津姉……。 もう、二度と死のうとなんてしないよ」
「本当に?」
 俺は羽津姉に笑顔で頷き、そしてある決意を込めて口を開く。

「ああ、約束する。 だからもう泣かないでくれ……羽津季」
 俺がそう言うと羽津姉は――羽津季は驚いた顔を見せた。
「退院して一段落したら結婚しよう。 夫婦になってまで『姉』じゃ変だろ?」
 羽津季の瞳からぽろぽろと涙が零れ始める。 だけど其の涙は決して悲しみではない。
 喜びの、嬉しさの涙。
「祥ちゃん!!」
 羽津季は喜びを全身で表し抱きついてきた。 そして俺は応えるようにそっと肩を抱く。
 俺にとって恋した女は昔も今も、そしてこの先も結季だけだろう。
 だけど家族としてなら羽津季を愛せる。

 愛してみせる。

 一生をかけ、全身全霊を持って大切にし続けてみせる。

 だから結季……。

 待っててくれ。

 俺が天寿を全うしてそっちに旅立つその日まで。

 窓からは柔らかで暖かな春の日差しが差し込んできている。
 すでに桜は散り、枝は瑞々しい緑に其の装いを変え始めている。
 そんな穏やかなある春の日。
 俺は新たな一歩を踏み出す決意を固めた。

 羽津季と共に……。

 

 羽津季Route Fin


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