* * *
『士郎』
土手を歩きながら左手を西日にかざしてみる。まだ微かに残る彼女の温もりと感触。
――オレまだあいつの事好きなんだ。
よくない、モカさんがいてくれているのにそんな事考えるのは。
そもそも、あいつの事なんで好きになったんだろう。一番仲のいい女友達だったから?
気が合う相手だったから? 好みのタイプだったから?
いくつか自分に問いかけてみるがハッキリとしない。でも胸の奥底で叫んでいる声はシンプルだ。
「好き」の一言。
「よくない」今度は口に出していった。
感情を理性で否定するように心の中で何度も反芻する。
「でも、友達でいてもいいんだよな」右手の暗くなっている空に向かって呟いていた。
最近ずっとあいつとはギクシャクしてたけど元の関係に戻れそうな気がする――
あくまで友達としての関係に。
もう一つのギクシャクした関係、姉ちゃんとの関係。こっちはもうどうしたらいいのかわからない。
どこで何がどう間違えたのかすらハッキリしない。
――でも、もう一回ちゃんと話してみよう。
そう心の中で呟いた時、昨日の出来事がフラッシュバックし尾てい骨から脳天にかけて寒気が走った。
* * *
『涼子』
「姉ちゃん、晩御飯できたんだけど」
ドア越しにシロウの声がする。そういえばこいつと最後に一緒に食事したのっていつだろう。
答える気はないのでベッドに寝転がったまま無視をする。
シロウはまた勝手にドアを開けた。でも向かない。
「姉ちゃん最近変だよ」
「関係ないでしょ」
天井を見上げながら答える。こいつに心配されるとなると相当ヤバイな。
「だって姉弟だろ!」
「元々他人でしょ!」
クソッ苛立っている。苛立っているけどその原因がはっきりしない。
長い沈黙の後シロウは何か小さく唸りだした。横目で盗み見る――やっぱり泣いていた。
そういえば昔からこいつを泣かせてばっかりだ。
「もう私の負けでいいから――私が悪いかったから、こっちに来なさい」
上半身を起こし大きく溜息を吐いていた。
「胸貸してあげるから気が済むまで泣いてなさい」
涙を拭いながらベッドに腰掛けたシロウの背中をさすりながら抱きしめる。
「前も言ったけど甘えるならもう少し素直に甘えなさいよ。女の子の涙は宝石に変わる事はあっても
男の涙はそうもいかないんだよ」
中々泣き止まない――世話のかかる弟だ。
今私のベッドでシロウが眠っている。
「泣き疲れたからって眠るってあんた一体歳いくつよ」
起こさない程度の小さな声で語りかけながら体を撫でてやる。
今日はまだお風呂に入っていない。そう思い体を起こし――昔こいつと一緒に寝てて夜トイレに行って
帰って来たら一人で「いない」って泣きかけてたっけ――今日ぐらいは別にいいか。
「おやすみ」
シロウの額の髪をかきあげ、そっと額にキスをした。お母さん――今の母、義母ではなく
私を生んでくれたお母さんがいつも寝る前にしてくれていたキス。
* * *
『モカ』
今朝会った涼子は別段私に言って来る訳でもなく何にもしてこなかった。
私も士郎君の事は口に出さなかった。
士郎君に聞いても私の事は何も言ってこなかったって言ってたから一応黙認ってことでいいのかな?
とりあえず火薬に火をつけたくないから現状維持ってことで。
廊下で士郎君の後ろ姿発見。うんでもあれだ。隣にいる彼女――三沢さんとの二人の距離……近すぎる。
いや、手を繋いでいるとか腕組んでいるとか、手が肩にまわっているとか、
手が腰にとかそういうんじゃないけど、ただの友達というには微妙な距離。
単純に物理的な距離っていうより二人の間を流れる何とも微妙な空気、乙女の第六感を
全力で刺激するオジサンドキドキの儚げ青春の柑橘系の甘酸っぱい空気が。
ちょって手が触れ合っただけでお互い顔を赤らめて「ごめんなさい」「こっちこそ」
「……あのよかったら今度の日曜日に」という話題がしどろもどろに出てきそうな。
うむ、現カノジョとしてはこういう場合はどうするか――
見なかった事にしようか、別に特別何かしている訳でもないし、こっちにも気づいてないし。
うーん、でもこういうのに慣用で隙を見せすぎると浮気されやすいとか聞くけど、
あんまりガツガツ言ったりすると嫌われるとかっても聞くし――
思考がグルグル回る。モアベター、モアベター――よし、これだ!
念の為、周囲の涼子確認。よしいない。
ぐいぐい二人の背後から近づいていく、そして――真ん中を突っ切る!
十センチとない二人の間に手を突っ込む、そのまま強引に体を割り込ませ、
彼女に世を向ける形で士郎君の腕に抱きつく。
「士郎君元気?」士郎君の腕を体に擦り付ける様に動かす。
よし、士郎君へのアピールと彼女への牽制を同時にやれた。
……でも背中に物凄くネガティブな感情が固まったオーラがビリビリと感じるので振り向くのは
止めにしよう……
ふんふん軽く鼻歌混じりで、いつも通り士郎君に会いに行こうとして階段下りようとしたら
ピリリと首筋に刺激。
後ろを振り返れば直ぐそこ、手を伸ばせば届くには十分過ぎる距離に三沢さんがいた。
顔は真下を見るように俯いていて表情はよくわからない。三秒程固まっていたが向こうから
話しかけてくる気配はない。無視を決め込み再び振り返り、階段を下りていった。
別に彼女は何もしてこなかった――背中にネガティブオーラをぶつけてくるだけで。
一旦踊り場まで来た所で後ろを見たら彼女は階段を下りることなく、先ほどのその場で立っている
だけだった――こちらを惜しそうな瞳で階段の上で私を見下ろしている。
――ひょっとして、さっき後ろ向かなかったらヤバかった?
かなり寒くなってきているはずなのに背中に汗が噴出していた。