* * *
『モカ』
校門で士郎君はっけーん!
小走りで近づいていくと言われる前に頭をおろして来る。よしよし、わかってきたじゃないか。
ほっぺにチュっと。
ん? 改めて士郎君の顔を見れば表情が激変している。怯えている。
原因は何かと士郎君の視線の先、私の真後ろを向けば――「や、涼子」そう言いながら自分の顔が
少し引きつっているのが自覚した。
涼子は私なんか見えない聞こえないといった態度で士郎君の襟首を掴んで歩き出していた。
士郎君は荷馬車の子牛の如く引っ張られるまま引っ張られていく。
あぅ、私の士郎君返してー
「お義姉さん、弟さんを僕にください。僕は本気です。必ず幸せにします」
おどけて見せるがムスっとした顔で涼子は士郎君をグイグイ引っ張って駅のホームまで来ていた。
さっきから何言っても涼子は聞こえない見えないといわんばかりに無反応。士郎君は文字通り震えつつ
落ち着かない目で涼子の顔色をうかがっている。
そうこうやっているうちに電車がやってきて、涼子は士郎君の襟首を掴んだまま電車に乗り込んだ。
「……ひょっとして怒ってる?」電車に乗り込む前に涼子に尋ねてみる。
返事の代わりにキツイ視線が飛んできた。
――マジギレ?
背筋を冷たいものを這いずり上がって脳天まで昇り上がり体温を二度ほど下げる。無意識のうちに足が
二歩程下がっていた。
全身が固まっている中、電車の中ドアが閉じられた。
ああん、士郎君――
次の電車が来るまでの間暇なので一人で考えることにした。
バレても、ちょっとぐずったり、ネチネチ文句言ってきたり、根掘り葉掘り聞いてくるとかは
想像してたけどあんな態度を示すとは想定外だった。
あれって黙ってたからじゃなくて士郎君が相手だから怒ってたのかな。そうだとすると涼子って
結構ブラコンだったのかな。
まあ、あの様子だと今晩はこってり絞られるのかな。
そして手錠、うん革手錠、色は黒。それでベッドに拘束されて夜明けまでヒイヒイ言わされて、
士郎君は「ごめんなさい、ごめんなさい」って何度も泣きながら嘆願するけど――いや、
ギャグボール咬ませているから声は上げられないのか。
あと首輪――首輪か、やっぱりネコは鈴付だよね。耳と合わせて尻尾もつけるべきか。
……いけない、変な妄想して涎が少し出てた。
――まあ、冗談はおいといて今晩一晩は士郎君はこってりと問い詰められて、
しばらくネチネチとからかわられるのか。
* * *
『涼子』
減速Gを感じ始めたので、つり革を握る手に力を込める。
「言いたいことがあるなら言ったら」
シロウは顔をそらし私を見ようとしない。それでいて何か言おうとして顔をこちらに向けるが
結局やめて口をもごもごさせてから視線を下に落とした。
最近ずっとそうだったが昨日の一件でさらに悪化した。
「嫌いなら嫌いってハッキリ言いなさいよ!」
電車の中だというのに勝手に語気が荒くなってくる。何事かと視線が集まってくる。
「……違う……」
顔は俯けたまま、電車の中であるという事を考慮してもか細く、聞き取るのがやっとの声だった。
既に電車は止まってシロウの後ろのドアは開いている。一つ前の駅ではあるが士郎をホームへと
蹴り飛ばしていた。
無遠慮な目を向けてくる輩は睨み返すとすぐさま視線を逸らしていた。
* * *
『智子』
いつもの学校から帰り道だった。
土手に誰かが寝そべっている。制服からしてうちの学校の男子。
――士郎だ。
辺りを見回してみるがあの人は見当たらない。
大きく二度深呼吸した後ゆっくりと士郎へと近づいていく。
「……隣いい?」
――いいんだよね、友達とこうするぐらい。
「あ――いいけど……」
一度だけこっちに顔を向けたけど直ぐに寝そべって空へと視線を向けていた。
ゆっくりと士郎の隣に腰を下ろす。
「何しているの?」
「……ちょっと考え事」
無造作に投げ出されている士郎の左手に躊躇いがちに私の右手が伸びてゆく。
「――付き合っている人の事?」
「……ちょっと違う」
――私の事考えていたらいいのに。
士郎の手の上に私の手がそっと重なる。顔を見ていられず、私も空を見上げた。
――握って。心のなかでそっと囁く。心の声が届いたのか指が絡み合う。
手が熱い、脈打っている。まるで心臓がもうひとつ手に出来たみたい。もしこれが本当の心臓なら
私達ずっと離れられない。いつまでも一緒にいなきゃいけない。なんでそうならないんだろう。
「なんか……こうして一緒にいるのって随分久しぶりな気がするな」
「……そうだね」
恐る恐る士郎の方を見れば、頭を空と川へ数回行ったり来たりした後、二度頷き小さく呟いた。
「――オレそろそろ帰る事に決めたから」
士郎の手から力は抜けていた。
「あ、うん……じゃあ明日学校でね」
私の方から手を離す。わがまま言っちゃいけないよね……
「うん……学校で」
そう言って士郎は行った。
まだ右手が熱い。士郎の熱が残っている。
徐々にではあるが右手にあった士郎の熱が消えつつある。その手を見ながら歩いていたら
電柱にぶつかった。
隣の塀から無遠慮に伸びたエンゼルトランペットが私を見下して馬鹿にして笑っていた。
なんでこいつはこんなに高く伸びるのに上を見ないのだろう。
――上から見下ろすのってどんな気分なんだろう。