第10話 『出会い』
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「久しぶりだね」
「………」
「もしかして…私の事、忘れたのかい?」
「覚えている…6年前は世話になったな…」
「別に大した事ではないよ。そんな事より、何かあったのかい?」
「………」
「私で良かったら、聞かせてほしい。もしかしたらまた何か役に立てるかもしれないよ…」
「………」
「………」
「母さんが…死んだよ…」

不撓家の食卓 第11話『不屈』

あれは確か、三寒四温と言う言葉がしっくりとくるような季節だった。
もうすぐ新学期、友美も間もなく中学2年生に、不屈が高校3年生になる頃の話だ。
私は不屈の部屋に居た。
深夜と呼ぶにふさわしいような時刻、不屈の家族に見つからないようにこっそりと。
理由は一つ、不屈から輸血用の血液と…時々、不屈の体に流れる血液を受け取るためだ。
…たぶん、不屈はこの程度に考えているだろう。
本当は違う、もちろん上の理由も大事だけど、本当は不屈と二人きりで密会をするのが楽しいからだ。
だから必要な用事が終わっても、私と不屈は何時間か他愛もない世間話をする事が多かった。
…実を言うと、血を吸っている時に不屈が欲情して…なんて展開も密かに期待してたりするのだけど、
今の所はそんな兆候は見られない。
やっぱりこんなオバサンじゃあ魅力が無いのだろうね…
まあ、それはそうとしてそんな時の話だ…
「不屈」
「ん、どうした?」
昔から気になっていた事があった。
不屈には何かと謎が多い、医術知識、陰陽術、指弾技術、いったいどうしてこんな事を
習得しているのだろうか?
それに不屈と中国での二度の出会い…そっちも気になっていた。
だけど聞いて良い物かどうか判断をしかねていた。
それはその日も一緒だったのだけど…
「前々から気になっていたのだけど、何故中国に居たんだい?」
まるでいつもの世間話のように聞いてしまった。
言った瞬間、私は激しく後悔した。
「7年前にか?それとも1年前の話か?」
だけど不屈はいつもの世間話のように聞き返してきた。
「ああ…うん、そうじゃなくて…」
私が一人だけでパニックに陥っていた。
「ジェンティーレ…?」
「いや、話せない内容なら良いんだ。私も別にそこまで聞きたい訳でもないよ」
「………」
「………」
不屈は少し下を向いて考え込み…
「長い話になる、それでも構わんか?」
まっすぐにこちらを見ながら言った。
「えっと…うん」
「あれは…今から11年前にまで遡る…」
不屈は語り始めた…長い長い物語のように…

 

その時、俺はまだ7歳であった。
不撓家には俺と勇気、父さん、そして母さんが居た。
そんなある日、母さんから聞かされた。
不撓家にもう一人家族が増えるかもしれないと…
だが…父さんも母さんも、複雑な表情をしていた。
最初は気のせいかとも思ったが、それは甘い考えであった。
その表情は日を追う毎に顕著になり…誰に言われるでもなく俺は感じた…
父さんは知っているのだ、妻との別れを。
母さんは知っているのだ、家族との別れを。
それもおそらく…決して喜ばしい物ではないと。
俺はいい、父さんもいい、だが勇気が…勇気はまだ幼すぎる、このままでは勇気は母を知らずに
生きる事になる。
そしてこれから産まれてくるであろう新しい命にとっても良い話ではない。
俺は焦った、俺は悩んだ、そして行動を開始した。
直接両親に訴えるような真似はしなかった。
父さんも母さんも別れを望んでいる訳ではない、そんな方法が通用するとは思えなかった。
直接両親に理由を聞くような真似もしなかった。
理由なんて関係ない、勇気には母が必要であり、これから産まれる子にも父が必要だと思っていた。
その代わり俺は演技をした、何も知らぬ何も気づかぬ子供を演じた。
そして調べた、両親の会話は可能な限り盗み聞きをし、蔵書には可能な限り眼を通した。
幸いな事に母さんは日記をつけていた。
そして知った、不撓家の裏事情…その一部を。
不撓家は陰陽師の家系、そして不撓家頭首と呼ばれる者は先祖代々より秘術を受け継ぐ。
不撓家に女児が産まれた時、その者を頭首へと育てるために先代頭首と共に特別な修練場に移される。
不撓の秘術が新頭首へと伝え終えた時、先代頭首は…つまり、母さんは…命を落とす。
そして病院で受けた検査の結果…母さんの胎内には、女児が居る可能性が高い。
日記にはそこまで書かれていた。
残りの大部分には、母さんの声にならぬ叫びが記されていた。
死にたくない、紫電が好きだ、頭首なんて辞めたい、この幸せを離したくない、
お腹の子に…英知に幸せになってほしい。
そう記されていた。
俺は悟った、ここは母さんがこの世で唯一弱音を吐いている場所なのだと。
俺は悟った、無理を通して道理を引っ込めねばならぬと。
そうでなければ…おそらく誰も幸せになれぬと。
それから数ヵ月後…母さんは姿を消した。
声を殺して泣く父さんを残して、勇気が事の重大さに気がつくよりも早く…
俺が修練場の正確な場所を掴むよりも早く。

それから4年…俺は未だに修練場を探し続けていた。
中国、それも人口の少ない秘境…そこまではわかっていた。
だがその範囲は広かった…途方もなく広かった。
俺には実際に歩き回って探す以外に方法は無かった。
無論、不法入国でだ。
多数の書類や証明書を偽造するのはそう難しくはなかったし、それすらも使わずに入国する方法も
多数存在した。
だが…逆にそれが不幸となり…幸いした。
ある日の事であった。
俺はいつものように港にて船を降り、上手く入国審査を回避した…つもりだった。
だが俺は慣れてしまっていた…言い換えれば油断していた。
見つかったのだ、警官に…しかも袖の下が通用しない特別天然記念物に。
重複するが、俺は油断していた。
下手に袖の下で誤魔化そうとした故に、気がついた時には大勢の増援が呼ばれた後だった。
俺は何とか逃げようと足掻いた…だがあの時の俺は所詮ただの小学生、
今のように指弾も扱えんただのガキだ。
流石に俺もあの時ばかりは最悪の事態を覚悟した…だがその時だった、
俺は何者かに引っ張られ宙を舞っていたのだ。

 

「そんな事が…」
「あの時は本当に助かった、感謝する」
そう言って不屈が頭を下げる。
不屈は皮肉屋だけどきちんと礼は言う。
そんな所も好感が持てると思う。
「いや、ただの偶然だよ」
「そうか?だがその偶然に俺は助けられた」
「これも、運命なのかもね…」
「おそらくな…」
個人的には、この運命を好ましく思っている。
よほどの事がない限り、優れた占術師は自分に関係した事は占わない。
先の事がわかるという事にはメリットよりもデメリットの方が多いからだ。
いくら必ず的中する訳ではないとはいえ、極端な話自分の死を予知してしまったら夜も眠れない。
だから今後自分がどんな人と出会うかも私にはわからない。
だからこそ私はこの出会いが素晴らしいものに感じるのだ。
「ジェンティーレ、それはそうと一つ聞きたい事があるのだが」
「なんだい?」
「あの時はどうやって俺を持ち上げたのだ?」
「ああ…それはね…こうやって…」
私は魔力を集中させ、擬似的に物質化させる。
「ほぅ…」
「マリオネィションスレッド…傀儡の糸とも呼んでいる。お爺様から教えてもらった護身術だよ」
私の指先から伸びる糸は魔力を紡いで作られた物で、敵を貫く、物を引っ張る、
トラップを設置する事などに使用する。
私の数少ない特技の一つだ。
「お爺様とは…?」
「血の繋がりは無いけど、私のお父さんみたいな人だよ」
「そうか…」
「とても…とてもやさしく笑う人だった…」
「………」
「………」
「天野友美とは上手くいっているのか?聞けば母子の契りを交わしたらしいではないか」
「うん、あの子はとても良い子だよ。思いやりがあって、物覚えも良いし、
誰かのために全力になれる…私にはもったいない子だよ」
「そんな事はあるまい、お人好しでは良い勝負だ」
「不屈…それは褒めてくれているのかな…」
「何故…助けた?」
不屈が急に口調を変えた。
「…不屈?」
「あの時の事は今でも鮮明に覚えている。その証拠にあの時の会話を再現して見せよう」
「私だって記憶力には自信があるよ。私も再現を手伝うよ…」

 

「何故…助けた?」
「君が困っていたから…」
「同情か?良い御身分だな」
「いや、同情できる程は君の事は知らないよ」
「………」
「………」
「助けられた事に関しては感謝する。悪いが時間が惜しい、失礼する…」
「ねぇ、君」
「…何の用だ?」
「私には君の眼が戦士の眼に見えた、君には自分の命と引き換えにしてでも
やり遂げたい事があるのかい?」
「………」
「本当はそれが聞きたかった、こんなに小さい子がこんなに輝く眼をしていたから…放っておけなかった」
「…母と妹を探している」
「君の…お母さんと妹さんを?」
「俺は二人を…そして弟と父を幸せにしてやらねばならん」
「それは何故?」
「決まっている…俺が兄貴だからだ」
「そう…」
「聞いての通りだ、悪いが時間が惜しい…」
「あては…あるのかい?」
「この国の…人里離れた何処かに…必ず居る…」
「そう…」
「聞きたい事はそれで最後か?」
「ああ、でも言っておきたい事がある。少しだけ待っていてくれないかい?」
「………」

「わかった…」
「わかった?何の話だ?」
「地図は持っているかい?」
「…一応はな」
「貸して」
「………」
「………」
「ここ…ここに君のお母さんと妹さんが居る」
「馬鹿な、何を根拠に…」
「あては無いのだろう?なら信じてほしい」
「………」
「いや…その…確実って訳じゃないのだけど…」
「いや、十分だ…感謝する」
「えっと…」
「今は残念ながら何もできんが、次に会った時は必ず借りを返そう」
「大丈夫、きっと会えるよ」
「では、また会おう…」
「うん、また会おう…」

 

「………」
「………」
「我が事ながら生意気なガキだ…」
不屈が物凄く複雑な顔をしていた。
「そうかい?今もあまり変わらないと思うよ」
「それは嫌味か?」
「ご想像にお任せするよ」
不屈が余計に複雑な顔をする。
まあ、これはこれで…
「まったく…しかし、正直に言ってあの時は半信半疑だったな」
「いや、それが普通。むしろ半分信じただけでも驚愕に値すると思う」
「仮にも神話の領域に在る者を前にしていたというのにな…」
「不屈、その肩書きは恥ずかしいのだけど…」
「胸を張っていろ、肩書きに恥じぬ実力はあるのだ」
「ううぅ…そんな事より話の続きをしてほしいな」
「話を変えるか…まあ良かろう。半信半疑ではあったものの、俺に与えられた唯一の手がかりが
示した場所に向かった」
「それで…あの時の占いは当たっていたのかい?」
「少々の誤差はあったがな。俺が修練場を発見したのは、あの日からだいたい2週間後の事だった…」

 

あの日助けられた女性が示した場所…そこには小さな村があった。
俺はいつものように母さんの写真を人々に見せ聞き込みを開始した。
残念ながらその村に母さんの姿は無かった…
だが母さんに良く似た人物が何ヶ月かに一度村に現れ、生活必需品を買っていくとの証言を得た。
俺はその村の宿で一泊、翌日村人の証言で得た方向…山間部へ向けて出発した。
山中で丸二日…俺はただひたすら歩き回った。
そして三日目…俺の視界に一人の少女が入った。
日本語の歌を歌いながら薪を拾う一人の少女だった。
その瞬間…俺は叫んでいた。
理由は今でもわからん、だが俺は自分の直感のままに叫んでいた。
「英知っ!不撓英知っ!」
少女は…ゆっくりと振り向いた。
「…誰?」
「お前が…英知なのか?」
「うん」
少女は何の迷いも無く答えた。
だが俺はそれよりも早く確信に近い物を感じていた。
上手くは言えんが、兄妹の縁とでも言うべき物だったのかもしれん。
「俺の名は不屈、お前の兄だ」
「兄…上…?」

俺は薪拾いを手伝った後、英知に連れられ山中にある小さな小屋まで案内された。
しかし、薪の9割近くを背負わされたのは今でも決して忘れられん記憶だ…
小屋が見えた頃、今まで危なっかしい動作でヨタヨタと歩いていた英知が急に走り出した…
「母上っ!母上っ!」
…そう大声で言いながら。
その視線の先には一人の女性が居た。
無論それは、俺が探し続けていた人…母さんだった。
「英知?随分と早かったのですね、薪はちゃんと拾ってきましたか?」
「うん、兄上に手伝ってもらったの」
「英知…今なんと言いましたか?」
「えっと…」
その時、俺はようやく声が十分に届く距離まで辿り着いた。
不思議と心臓は平坦な動きをしていた、感動の波も緊張の糸も無縁だった。
まるで…毎日繰り返す事のように。
「聞いての通りだ、俺が薪拾いを手伝った」
「貴方は?」
「実の息子を見忘れたか?まあ無理もあるまい、なにせ4年ぶりだからな」
面白いほどにうろたえる母さんを見ていたら、俺の心中に急に加虐心が芽生えた。
まあ、少々腹癒せがしたかっただけなのかもしれんな。
「しかし少々老けたな、余程苦労していたと見える」
「兄上っ!母上をいじめたら、め〜」
「今まで散々苦労を重ねて来たのだ、この位は言わせろ」
「貴方は…不屈なのですか!?」
「ほう、どうやらまだボケた訳ではないようだな」
「兄上っ!」
「まあ良い、感動の再会はこの位にしておくか…」

 

「不屈、そこまで感動的じゃない再会も珍しいと思うよ」
「我が事ながら生意気なガキだ…」
「今もあまり変わらないと思う…」
「放っておいてもらおうか」

 

そこはまさしく陸の孤島と呼ぶべき場所であった。
あらゆる交通手段は使えず、通信も使えず、
最寄の村まで行こうにも半日以上歩かねばならない場所に位置する小さな小屋…
もっとも、母の弁によれば陰陽師の修行には適した場所らしいが、当時の俺にはチンプンカンプンであった。
英知が寝静まった頃、俺は改めて母さんと対峙した。
無論、俺は一瞬たりともここに来た理由は忘れてはいなかった。
「しかし、母さんの手料理を食べたのは初めてかもしれんな」
「これでも修業をしたのですよ。家では紫電が料理長でしたけど、
ここではそうも言ってはいられませんでしたから」
「母さんの腕もそう捨てた物ではないな」
「紫電にはまるでかないません…」
「それは仕方があるまい、こと料理に関しては父さんに並ぶ者は希だ」
「本当に…できる物ならもう一度…」
「食べに戻ればよかろう、父さんは今でも『Phantom Evil Spirits』で毎日料理三昧だ」
「それは…」
俺は世間話から本題へと切り替えた。
苦労してこの場所を探し当てた理由…母さんと英知を連れ帰るためにだ。
「それは…無理です」
母さんは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「不可解だな、11歳の子供にもできる事が無理だと言うのか?」
「そういう訳ではありません」
「食べたいのなら食べに行けばよかろう、会いたいのなら会いに行けばよかろう、
幸せになりたいのなら掴みに行けばよかろう。
その程度の事は子供にもわかる」
自分自身でも幼い理論だとは思った、だが俺には思ったことを率直に言う以外の方法は思いつかなかった。
「その論理は子供にしか通用しません」
「はっきり言おう、俺はどんな理由で母さんがここに居るのかは知らん。
だがどんな理由でも『くだらん』の一言で切り捨てる自信がある」
「不屈…貴方はどこまで知っているのですか?」
「悪いが母さんの日記を覗かせてもらった。残念ながらそれ以外の事は知らんな」
「まさか!?日記はここにあるのですよ!」
「4年前にだ。俺は千里眼ではないのだぞ」
「それでも…あれを読んだのですか?」
「読んだ」
 パンッ!
その言葉を口にした瞬間、母さんの平手が飛んで来た。
俺には避けられた、やろうと思えばいくらでも避けられる物ではあった。
だが…心に残る罪悪感がそれを許さなかった。
「………」
「………」
母さんは何も喋らなかった。
ただ…泣いているのか怒っているのか…あるいはその中間のような顔をしていた。
「…俺は謝らんぞ」
「何故ですか?」
「いつかこうなる事は予測できた。だが俺は行動した、それでも構わないと決断したからだ」
「不屈…」
「勇気も、父さんも、英知も、無論母さんも…このままでは誰一人として幸せになれないと思った。
それを何とかするのを最上位の目的にした」
「………」
「…と言う訳だ、キリキリ吐いてもらおうか、母さんがこんな場所に引き篭もっている理由をな。
無論、今回も手段は選ぶつもりは無いぞ」
そう言いながら俺はできうる限りの力で母さんを睨みつけた。
本当は脅しが通用するとは思ってはいなかったが、それでも1ミリでも勝率を上げるためにやった。
まだ辛うじて残っている良心が…チクリと痛んだ。
「不屈、その前に一つ聞きたい事があります」
「何だ?」
「どうやってこの場所を知ったのですか?ここは私以外は誰も知りませんし、
日記にも書かなかった筈です」
俺は極力平静を保ながら答えた。
「人事を尽くし天命を待った…としか言いようが無いな」
「どうゆう意味ですか?」
「知れた事、初めから知っていたのならここに来るまで4年もかかりはしない。
母さんと英知が日本を離れた日に乗った飛行機は中国行きであった。
そして秘術の受け継ぎをする以上、都会の真ん中で行うとは考えにくい。
後はただひたすら歩き回って探した」
「それだけで…この広大な国土の中を探すなんてできる筈が…」
「無理を通して道理を引っ込めただけだ。細かい事は気にするな」
「しかし…」
「俺の話は終わりだ、今度は母さんの知っている事を話してもらいたい」
「それは…」
「………」
長い長い沈黙の後…
「わかりました…」
…母さんは意を決したように顔を上げた。
「これから話す話は、貴方にとっては現実味の無い話となりましょう…」

 

「…ちょっと待ってくれないか」
「どうした?」
不屈は本当にわかってなさそうな顔をしていた。
私にとっても不屈にとってもかなり重要な事なんだけど…
「そこから先は君の家にとって重要な話なんだろう、私が聞いても大丈夫なのかい?」
「別に構わんだろう」
不屈はまったく動じていないが…本当に良いのだろうか?
「普通は隠匿する物だよ…」
「隠匿するつもりなら最初から話しはしない、良いから最後まで聞け」
再び不屈の話が続けられた…かなり強引に。

 

母さんの話は、簡単に言えば不撓家の裏事情であった。
もっとも、既に俺が知っていた事や予測しうる事も数多く存在したがな。
その中で俺がその時に初めて知った事柄は…
・不撓家の頭首は代々の長女が勤める。
・頭首はその血をできうる限り色濃く残すために兄か弟との間に子を産む。
・母さんと英知が他の家族の元から離れた理由は二つあり、一つは不撓流陰陽道の秘術を
外部に洩らさぬため、
もう一つは次期頭首と兄弟を出会わせないためである。
・次期頭首はある程度の年齢になるまで陰陽術の基礎を習得し、
不撓の秘術とでも言うべき物は記憶の伝達と呼ばれる儀式を以って伝えられる。
・しかし秘術を伝える儀式をすると先代頭首は命を落とす事となる。
…うんと大まかに言うとこの位だ。
そしてその話を聞き終えた俺は一言…
「くだらん」
…とだけ言ってやった。
「不屈…千年以上続けられてきた不撓のしきたりに対してそれは無いかと思いますよ…」
「くだらんからくだらんと言ったまでだ。人が作ったしきたりは人を幸せにする義務がある、
千年以上も母と娘…そしてそれらを愛した者達を苦しめ続けた物などしきたりと呼ぶに値せん」
それを聞くと、母さんは強く俺を睨みつけた。
「不屈、貴方は不撓の秘術を捨てろと言うのですか?」
「それが最善の策だ」
「それは無理です。不撓家頭首は秘術と共にそれを編み出した者達の記憶も一緒に受け継ぎます。
試行錯誤を続け、傷つき、文字通り命を削りながら…それを軽々しく捨てるなどとは言えません」
「ならば死を恐怖する事も一度や二度ではなかろう。そして娘に自分と同じ境遇を味あわせる苦悩もな」
「それは…」
母さんの眼が泳ぎ、言葉を詰まらせた。
どうやらこのふざけたしきたりは先祖達にも同じ苦しみを味あわせ続けたらしい。
最初に考えた奴に本気で殺意を抱く。
「図星のようだな」
「愛する人が居て、愛していると言ってくれる人が居て、それでどうして死にたいだ等と言えますか…」
「心ある者にそんな事が言える訳が無い。そしてそう思っているのなら何故不撓の秘術を
捨てようとしない」
「無理ですっ!」
「何故だっ!」
俺は叫んでいた、すぐ近くで英知が眠っている事も忘れて、目の前にいるのが母さんである事も忘れて。
「兄上…?」
大声に反応してしまったのか、英知が小さくそう呟いた。
「母上をいじめたら…め〜…」
起こしてしまったのかと思い、その瞬間だけは俺も母さんも息を飲んで英知を見ていた。
幸いにも英知は完全に眠っており、その声は寝言であった。
だが…その声は熱くなりすぎていた場に静寂をもたらせた。
無論、母さんに対する憤怒の念が収まった訳ではないが、それでも熱くなった頭が多少は冷えた。
「英知には何の罪も無い、無論母さんにもな」
「そうかもしれませんね…」
「もう一度だけ言う、これが最後だ…秘術を捨てる気は無いのだな?」
「それは…」
母さんはもう即答する事ができなくなっていた。
母さんの迷いが手に取るようにわかった…
「それは無理です。私だけが…先人達をさしおいて私だけが助かる訳にはいきません」
「そうか…」
それ以上強くは言えなかった。
あるいはこの場で母さんを説得する事も可能だったかもしれん。
だが俺にはできなかった。
母さんの眼は涙で溢れていた。
母さんの唇から血が垂れていた。
「不屈、私の亡き後英知と勇気の事を頼みます」
だが…俺はまだ諦める気にはなれなかった。
「断る」
「不屈…」
「母さん、英知が儀式を行える程に成長するのにあと何年かかる?」
「どういう意味ですか?」
「最善の策が使えないのなら次善の策を採る。英知に秘術を伝えるまでに何らかの手段を講じておこう」
「そんな事は不可能ですっ!」
「男たるもの自分で自分の可能性を狭める訳にはいくまい。そんな事よりあと何年かかる?」
「そうですね…過去の例から言って…速くて4年、遅くて16年…」
「了解した。安心していろ、母さんも英知も必ず助け出す」

 

「こうして俺は再び旅立った。不撓の秘術を捨てず、母さんも英知も助け出す手段を見つけ出すためにな」
「そんな事があったんだね…」
「どうした?何を辛気臭い顔をしている」
そう…確か、私の記憶が正しければ…
「失敗…したのだろう?」
「…まあな」
不屈の顔が怖くて見れなかった。
わかっていた筈だ、この話題を出せば必ず不屈にあの事を思い出させると…
「…すまない」
「気にするな、ジェンティーレのせいではない。思えばあの日、もっと強く秘術を捨てるように
言っておけばこうはならなかったかもしれんな…」
不屈は苦笑するかのように言う。
けど、それが強がりだとすぐにわかった。
私は…それを肯定する事も否定する事もできなかった。
「まあいい、過ぎた事だ。途中経過は面倒なので省略するぞ、あれはジェンティーレと
二度目に出会う日から一週間ほど前の話だ…」

 

俺は世界中をまわった、幾多の師と出会った、あらゆる事を学んだ。
医術を、指弾を、魔術を、陰陽術を…特に医術には力を入れた。
結局の所、儀式をしつつ生き延びる事ができれば良いのだからな。
時折修練場にも出向いた。
陰陽術については別の師についていたが、不撓流陰陽師について聞きたい事が出る事もあったからな。
もっとも、英知の顔を見たかったからだと言われても否定はできんがな。
英知は確実に陰陽術をモノにしていった。
それに引き換え、俺は全てを丸く収める策を見出す事ができなかった。
そして7年後…英知が陰陽術の基礎を学び終えたとの連絡が入った。
だが…俺はとうとう間に合わなかった。
俺には一つの策も…いや、正確には一つの策しか見出せなかった。
だがしかし、その策ははっきりと言って最終手段とでも言うべき物…文字通り諸刃の剣と呼ぶべき手段…
そう…一人が死なねばならないのなら俺が死ねば良い、そしてあの世まで秘術を持って行く。
そうすれば…最低でもこれ以上の不幸は起こらない。
既に覚悟はできていた。元より死を覚悟したのは一度や二度ではない、今更何も恐れる事はなかった。
そして向かった…中国へと…

「不屈、正気なのですか?」
「極めて正常だ、約束通り次善の策は用意してきた」
「だからと言って、儀式を私と貴方で行うなどと…」
「そうだ、そして母さんは俺に合わせず、自分を保ったままで儀式を行えば良い」
「それでは貴方に負担が集中してしまいますっ!」
「そうなるな」
「死ぬ気なのですかっ!」
「そう見えるか?」
「………」
「………」
それは賭けであった。
元より次善の策など存在しない、早い話がただのハッタリだ。
故に賭けた、自らの覚悟に。
ここで見抜かれるような覚悟なら…最初からやらない方が遥かにマシであろう。
「…わかりました」
母さんは静かにそう告げた。
「ですが、英知が了承すればの話です。私の一存では決められません」

俺達は話を一旦中断し、外で待っていた英知を呼び出した。
英知も俺達が重要な話をしていた事がわかっていたらしく、英知の顔に子供が持つ無邪気さは無かった。
「英知」
「はい、母上」
「貴方に聞きます。伝達の儀式を貴方ではなく不屈に行うか否かを」
「兄上に!?そんな事が可能なのですか?」
「可能です。不撓流とは別の流派とはいえ、不屈の陰陽術はかなりの物です」
「兄上、どういう事なのですか?」
英知が俺の方をまっすぐ向いて問う。
どこまでも透明で、どこまでもまっすぐな瞳で…
「英知、俺がいつも言っている事を覚えているか?」
そう…俺は過去幾度か英知と語り合う機会があった。
英知は世間知らずだが感が鋭い、あるいは…そう思った。
「お前は幸せになっても良い…ですか?」
「そうだ」
「兄上がそのような事をなさらなくとも、私はきっと幸せになれます」
それは英知特有の強がりであった。
きっと英知にはわかっていよう、自分が母を失うのを恐れていると。
そして自らも母と同じく生を渇望しながら果てるのだと。
「英知…よく聞け、母をこのような形で失うのは不幸だ。
だがなにより不幸なのはお前も母さんと同じ苦しみを味わい、そして自らの娘にその苦しみを
味あわせる事だ。それがわからぬお前ではなかろう」
「………」
「………」
英知も母さんも何も言い返す事ができなかった。
そう…皆わかっていた筈だ、このしきたりは不幸しか呼ばぬと。
だが逃れられぬのも理解できる…先祖代々同じ苦しみを味わい続けてきたのだから。
「ですが…それでは後継者が変わるだけでは…」
「儀式にかかる負担は全て俺が引き受ける。安心しろ、母さんは死なん」
「それでは兄上が…」
「英知、もはや多くは語らん…兄貴を信じろ」
それはハッタリだ。
秘術が存在し続ける限りしきたりも続く、ならばどんな手段であれ秘術を失ってしまうしかない。
故に…俺は一世一代のハッタリを見せた。
「英知…不屈は貴方のお兄ちゃんでしょう?」
「母上…」
その時だった…母さんがやさしく微笑んだ。
おそらく初めて見た微笑…きっとあれが、母性とでも呼ぶべき物だったのだろうな。
「わかりました…兄上、お願いします」
「…任せろ」
俺にはそう言うしかなかった。
俺は何故母さんが微笑んだのかを考えなかった…

その日の深夜…儀式は始められた。
それは俺の死を意味していた。
死ぬのは怖くない…と言えば嘘になろう。
心残りはある、勇気の成長を見守りつづけたかった事、英知と母さんに嘘をついたまま逝く事、
それは重く重く俺の心に圧し掛かった。
だが…これで妹と母の呪縛を解き放てるのなら、兄貴としてやるべき事は一つだ…そう信じていた。
そう考え続けていた。
故に気づけなかった…母さんの微笑みの意味を…
数時間後、儀式は終わった。
だが予想していたダメージは全く無かった。
俺はその時…神に感謝していた。
なにも知らず…なにも気づかず…奇跡が起こったと信じてしまった。
だがそんな愚考は数秒後に崩れ去った。
母さんが…倒れたからだ…

 

「不屈っ!もうういい、もうやめるんだっ!」
私は話に割り込んでそう叫んでいた。
駄目だ、これ以上聞いてはいけない、これ以上思い出させてはいけない…
私の心が物凄い勢いで警鐘を鳴らせていた。
「頼む聞いてくれ…俺のミスだ…俺のミスだったんだ…」
「やめてくれっ!」
不屈が壊れてしまう…不屈がおかしくなってしまう…
私が妙な事を聞いたばっかりに…
「俺は一瞬で察してしまった、母さんはもう助けられんと…母さんは後数分もかからずに死ぬと…」
「不屈っ!」
「俺は聞いていた、何故こんな事をしたのかと。母さんは答えた、微笑みながら…」
「不屈…」
「母親が…息子を危険に晒す事などできないと…」
「………」
「英知と勇気を頼む…それが母さんの最後の言葉だった…」
私は…なんて愚かだったのだろうか…
こうなる事は…占星術に頼らずとも容易に予測できたじゃないか…
「だがなジェンティーレ、気に病む事は無い」
「えっ…?」
「あの日ジェンティーレに出会えたおかげで、俺は生き延びる事ができた」
「そうなのかい…?」
「あの日ジェンティーレは言っただろう…」

 

「久しぶりだね」
「………」
「もしかして…私の事、忘れたのかい?」
「覚えている…6年前は世話になったな…」
「別に大した事ではないよ。そんな事より、何かあったのかい?」
「………」
「私で良かったら、聞かせてほしい。もしかしたらまた何か役に立てるかもしれないよ…」
「………」
「………」
「母さんが…死んだよ…」
「………」
「俺の身代わりになって…死んだよ…」
「そう…」
「俺が…俺が助けると言ったのに…」
「泣かなくても…良いと思うよ」
「………」
「どんな事情があったのかは知らないけれど…自分の子供の代わりに死ぬのは、
お母さんにとっては一番幸せな死に方だと…私は思うよ」
「だが俺は…」
「悲しくて泣くのは良いけど、そうやって責任を感じて泣く必要は無いと思うよ」
「俺は…」
「えっと…あくまで私の考えだけどね…」
「そう…かもな…」

 

「結局…私は君を泣き止ませられなかったじゃないか…」
「それは違う、後半の涙は嬉し涙だ。俺は確かに…あの日ジェンティーレに出会ったおかげで
生きてこられた」
「大げさだよ…」
「そう大げさでもないぞ。なにせ俺はあの日…」
「あの日…どうしたんだい?」
「俺はあの日…ジェンティーレに惚れたのだからな」

 

次回予告
ついに現れた新たなる敵。
その恐るべき間の手が大槻陽子に伸びる。
急げ勇気、陽子を守るのだ。
次回、不撓家の食卓『強襲』にご期待ください

 

おまけ
「俺はあの日…ジェンティーレに惚れたのだからな」
「なっ…なななな…何を…」
「うん?何かおかしな事でも言ったか?」
「こっ…こんなオバサンをからかわないでおくれよっ!!」
「からかう…?」
「まったく…不屈はどうしてこうも意地悪に育ったんだい…」
「…ああ、なるほど」
「ふ…不屈?」
「いや、悪かった。ジェンティーレの慌てる顔が可愛いものでな、つい冗談を言いたくなってしまった」
「不屈、君のその性格は早く直した方が良いよ」
「善処しよう」
(ううぅ…冗談って…うっかり嬉しくなった私って一体…)
(俺にとっての一大決心が、よもや本気にされんとはな…)
「「はぁ…」」


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