第1話 『嵐の前の…』
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「不撓君、お弁当できたよ」
「おう、ありがとな」
「勇気、玄関に置いてあるコーヒー豆を運んでおいてくれ」
「おう」
「店長、カレーの仕込み終わりました、味見をお願いします」
「……うん、これなら大丈夫だろう。」
「親父、豆運んでおいたぞ」
「そうか、なら机を拭いてきてくれ」
「まかせろ」
「あっ不撓君、今何時かな?」
「7時58分だ、間に合いそうか?」
「多分大丈夫だと思うよ。…あ、店長うどんの仕込み終わりました」
「……ん、合格。残りは私がやっておくから君はそろそろ支度をしなさい」
「はい、よろしくお願いします」
「大槻、悪いんだけど二階の俺の鞄取ってきてくれねえか?」
「いいよ、ちょっと待ってて」
 ドタドタドタ…
「勇気、お前もそれが終わったら学校に行きなさい」
「あと四つだ、すぐに終わるよ」
 …ドタドタドタ
「不撓君、持って来たよ」
「おう、こっちも今終わった」
「お弁当は中に入れておいたから」
「ありがとよ。親父、行ってくる」
「紫電さん、行ってきます」
「気をつけて行ってこい」
 カランッ カランッ

俺の名は不撓勇気(ふとう ゆうき)、17歳。
親父が経営している喫茶店『Phantom Evil Spirits』を手伝いながら私立不死鳥学園に通っている。
少し家庭環境が複雑なのを除けばごく普通の高校二年生だ。
「大槻、時間は?」
「8時6分、まだちょっと余裕があるね」
これは大槻陽子(おおつき ようこ)、16歳。
こいつは毎日毎日弁当作りと『Phantom Evil Spirits』の手伝いに来てくれる奇特な方だ。
通学路上にあるとはいえ徒歩25分の道のりを歩いて約三年間もである。
最初は皿洗いや掃除しかできなかったのに、今では厨房に接客にと大活躍である。
最近では大槻目当てに来店する客も増えてきており、
『Phantom Evil Spirits』には無くてはならない存在である。
約10メートルの道のりを歩き、正門をくぐる。
「でも、ちょっと近すぎると思わない?」
…と、大槻が独り言の様につぶやいた。
「何が?」
「学校までの距離だよ」
「そうか?立地条件としては悪くないと思うぞ」
「それはそうだけどさ…」
「何より遅刻が減って助かる、あの場所でなければ俺は遅刻王なってた」
「うん…そうだね」
『Phantom Evil Spirits』の開店準備を親父一人でこなすには無理が生じる。
それ故に俺と大槻は毎日手伝っているのだが、その量はそれなりに多く、
気がついた時には遅刻寸前という事が多々あるのだ。
「じゃあ、また後でな」
「うん」
大槻は二年A組、俺はD組。
去年は二人ともC組だったのだが、偶然は二度も続かない物らしい。

 ガララララッ
HR約15分前。いつもこの位の時間に到着すれば言う事は無いのだが、
残念な事に今日はどちらかと言うと例外である。
さて、それはそうとしていつもその辺にたむろしている友人Aと友人Bは…
教室を見渡すと、なぜか友人Aの席は謎の毛玉によって占拠されていた。
…理由なんて考えなくともわかるがね。
「天野」
「…く〜…」
返事が無い、もう一度。
「あ〜ま〜の〜」
「…す〜…」
ダメだこりゃ
不意に寝顔を覗きたくなる衝動に襲われたが、ここはぐっとこらえて友人Bを探すことにした。
「見〜た〜ぞ〜…」
「どわあああぁぁぁ!!!」
探すまでもなかった。
「いきなり何しやがる馬鹿野郎!」
「浮気良くない、格好悪い」
「なんで俺が浮気している事になってるんだよ!!」
「…うんんっ…」
「わ!?…」
まずい、起こしたか?
「………」
「………」
「…く〜…」
OK、冷静になって整理しよう。
どうやらいつの間にか友人Bに背後を取られていたらしい。
そして俺の先ほどの行動を見られていたらしい。
…て、待てよ。俺は言われるほどやましい事はしたか?
…してない。間違い無くしてない。(しようとはしたかもしれないが)
「番場、ちょっと来い」
「言い訳なら署で聞くぞ」
「ちげーよ、いいから来い」
そう言って俺は友人Bを教室の隅まで連行して行った。

こいつの名は番場茂(ばんば しげる)、野球部所属。
バントで一塁に進む男である。
そして悔しい事に俺の幼馴染である。
幼稚園で知り合ってからはまるで示し合わせたかの如く同じ学校に通い続け、
それは高校受験を経ても変わってはいないのである。
だがこいつは世間一般における理想の幼馴染像とは真逆の位置にいる男であると断言できる。
そしてさらに残念な事にこいつも二年D組なのだ。
「…で?何の話なんだ?」
「あんまり浮気していると恋人が泣くぜ」
「俺に恋人はいねぇ…」
さらにさらに残念な事に、去年の夏に甲子園に出場して以来(一回戦で敗退したが)
こいつには恋人がいたりするのだ。
「じゃあ大槻は何なんだ?」
「友人、それだけ」
「あの人もかわいそうにねぇ…」
「何でそう思うんだよ」
「毎日一緒に登校して」
 グサァッ
「確か弁当も作ってもらってるんだろ」
 グササァッ
…やはりこいつに弁当の事を話したのが運の尽きだったか。
「明らかに友人の範疇超えてるだろ」
たしかに一見正論に聞こえる、だがここはしっかりと反論せねばなるまい。
「あのな番場、一つ言わせてもらうがな…」
「何だ?」
「あいつは三年ほど前から親父が料理を教えているんだよ」
「…それで?」
「それ以来あいつは妙に料理に凝り始めてな。あの弁当は新しく覚えた料理の実験で、
俺はある意味モルモットなんだよ」
「なるほど」
どうだ、これなら反論できまい。
「じゃあ聞くが…」
…あれ?
「何で大槻は料理に凝り始めたのかねぇ」
「………」
「………」
「俺が知るか…」
「女心のわからん奴め…」
「やかましい!」
 キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
「…予鈴か」
まったく…番場が居ると時間が早く感じるな。良くも悪くも。

 キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
随分とあっという間だった気もするが、昼休みになった。
今日の授業中に特筆すべき点は無かった。
しいて言うなら天野がとても眠たそうに船を漕いでいただけである。
ふと窓を覗き校庭を見ると、走って校庭を横切る外食組の姿があった。
外食組とは昼食を求めて校外に旅立つ連中の総称で、その中には大槻も含まれている。
…いや、正確に言うと大槻は校外に旅立ってはいるが昼食を求めている訳では無い。むしろ逆である。
あいつは最も忙しい時間帯の『Phantom Evil Spirits』に現れる強力な助っ人なのだ。
『Phantom Evil Spirits』は喫茶店の看板を掲げているがランチにも力を入れている、
具体的には分量のある料理を採算の取れるギリギリの安さで提供しているのである。
それ故に昼休み中は数多くの学生が詰めかけ、それこそ嵐のような忙しさとなるのだ。
そのせいで大槻は3時間目と4時間目の間に食べるようにしているらしい。
ちなみに俺は手伝いに行っても皿洗い位しかできないので相当に暇な時意外は学校に居る。
薄情と言う事なかれ、俺が行くとむしろ煙たがれる事すらあるのだ。
しかしここまで公然と外食やらバイトやらをしているにも関わらず、学校側は特に何も手を打ってはいない。
懐が広いのか、それとも単に面倒なだけなのか…まあ、どうでも良いか。
…さて、俺も弁当を頂くとしますかね。
俺は席を立ちいつもの所へと向かう事にした。
教室で食べると番場の様にカンの良い奴が大槻の弁当とメニューが一緒だと気がつく可能性があるのだ。
 ガチャンッ
旧校舎の屋上に人影は無い。故に俺は安心して大槻の作った弁当を広げられる。
新校舎の屋上には時折静かな環境を好む連中が訪れるのだが、わざわざ旧校舎にまで来るのは
よっぽどの物好きだけである。
俺の知る限りそんな物好きは俺と…
 ガチャンッ
「…不撓さんですか?」
…こいつだけだ。

こいつは天野友美(あまの ゆみ)。
二ヶ月ほど前に知り合った…多分友人。
もっとも俺が勝手にそう思い込んでいるだけで向こうはどう思っているのかはわからん。
できれば友達くらいには思っていてくれると嬉しいのだが…て、何を考えているのだ俺は!?
とにかく落ち着け、落ち着いて話しかけるんだ不撓勇気。
「大丈夫か?天野」
「はい?」
俺の方こそ大丈夫か?これで理解できるのなら天野は超能力者だ。
「いや、朝から眠たそうにしていただろ」
「ああ、その事ですか」
「そうそう、大丈夫なのか?」
「いえ…実は二時間目は寝ていました」
「そうか、日本史じゃあ仕方ないな」
「伊藤先生には悪いですけど話が単調で…」
そう言って二人で苦笑する。
嵐の中で翻弄されている大槻には悪いが、この穏やかな空気はそう易々と捨て去れる物では無い。
俺は手作り弁当を、天野は購買のサンドイッチを広げる。
特に打ち合わせをしている訳では無いのだが、最近はこうして二人で食べる日が多い。
「そういえば、そもそも何で天野は眠たそうだったんだ?」
「はい、昨日は遅くまで星を見ていました」
「…そっか」

天野はよく空を見上げる。何をしているのかと聞くと、必ず星を見ていたと答える。
太陽が輝いていても、空が雲に覆われていてもだ。
それでも天野には見えるらしい。
…イマイチ信じられないが。
「なあ、天野」
「はい」
「楽しいのか?それは」
「うーん…どうでしょうか」
「なんだ、楽しい訳じゃあないのか?」
「そうですね、あれは毎日の日記と同じなんですよ」
「星を見てからじゃないと私は安眠できないんです」
「…そっか」
なぜ天野が星にこだわるのかは俺にはわからない。
だけどその事を話す天野の姿は、どの天野よりも輝いている気がする。
「だが安眠のために睡眠時間を削ってたんじゃあ本末転倒だろ」
「そうなんですけどね」
そう言って天野はまた苦笑した。
「不撓さん、一つお願いしてもいいですか?」
天野は早くもサンドイッチを食べ終っていた。
天野は小食ではあるが、食べるのは早い。俺の弁当はまだ半分弱残っていた。
「何だ?」
「はい、五時間目が始まる少し前に起こしてもらいたいのですが」
そう言う天野の目つきは半分閉じかけていて、今にも倒れそうだ。
「ああ、わかっ…」
 ドサァッ
「…お疲れ様」
俺が返事をするのと同時に、天野は自分の腕を枕代わりにして眠り始めていた。
一体何が天野を夜更かしさせたのであろうか。まあ、そんな事はどうでも良いか。
今の俺にとって重要な事はただ一つ。
「風邪ひくぞ…」
いくら6月とはいえ屋上で寝ていたら風邪をひくかもしれない。
「…す〜…」
起きる気配は全く無い。
とはいえ今俺が持っている物の中で掛け布団の代わりになりそうな物は…上着しかなかった。
少しだけ躊躇したが、結局俺は上着を天野に提供する事にした。
天野の寝顔は…なんと言うか、うん、ノーコメント。
ただ思わず襲い掛かりそうになった事だけは追記しておく。
昼休みが終わるまであと30分近くある。もう少しくらい天野を寝かせてやっても罰は当たらないだろう。
そういえば…もうすぐ夏服の季節だな。
そんな事を考えながら俺は再び弁当に箸を進めた。

「起立、礼」
随分とあっという間だった気もするが、HRが終わり放課後になった。
さて今からどうするか、天野は寝てる(授業中はなんとか持ちこたえていた、偉いぞ)、番場は部活。
 ガララララッ
「不撓君、居る?」
大槻が現れた、どうする。
・戦う  ・呪文
・逃げる ・道具
…疲れているのかもしれないな、俺は。
「アンキモ、アンキモ、アンキモ!」
…何だ今のは?
天野の声だったような気がするが…寝言か?
「不撓君、どうしたのボーっとしちゃって」
「いや、なんでもない」
天野も疲れているのだろう、俺はそっとしておく事にした。
「一緒に帰らない?」
と大槻は聞く。しかし平日でこのセリフを聞かない日はほとんど存在しない。
「近いけどな」
「良いじゃない、近くても、」
いつものパターンだと大槻は『Phantom Evil Spirits』の手伝いに行くつもりだろう。
俺は…まあ少し位なら手伝ってやらんでもない。
「OK、帰ろうか」
「うん」
そうして俺達は再び10メートルの道のりを歩いていく事となった。
 カランッ カランッ
「いらっしゃいませ…っと、勇気君か」
「こんにちは、繁盛してます?」
「それなりにね」
この人は鈴木正成さん(すずき まさなり)。
近所の大学に通いながら『Phantom Evil Spirits』で働いている。
特徴は…えーっと…特徴が無いのが特徴だ。
「店長、勇気君と陽子ちゃんが来ましたよ」
「じゃあ私も着替えてきますね」
さて、俺も少しは親孝行でもしますかね。
俺は厨房で皿洗いをする事にした。

手伝いを始めてから二時間ほど経過した。
『Phantom Evil Spirits』の客の入りも落ち着き、皿洗いにも余裕のような物が出てきた。
鈴木さんも先ほど帰り、この店で働いているのは俺と親父と大槻だけとなっていた。
「不撓君、お客さんだよ」
「大槻、客が来ただけでいちいち報告するなよ」
さすがにそこまで『Phantom Evil Spirits』は落ちぶれてはいない。
「そうじゃないよ、不撓君に会いたいって言ってる子が居るの」
「俺に…一体誰が?」
「ううん、知らない人。不死鳥の制服着ていたけど」
不可解だ、俺の倍以上の交友関係を持つ大槻が知らなくて、
かつ俺に用事がある人間が居るものか居ないものか。
「親父、行ってきても良いか?」
俺は一応厨房の親父に確認した。
「大丈夫だ、行ってこい」
OK、許可は出た。
「大槻、その子はどこだ?」
「9番席」
「了解、それと紅茶を一杯頼む」
「うん、わかった」
さて…鬼が出るか蛇が出るか。
「勇気、バイト代から天引きしておくぞ」
いちいち細かいぞ、親父。
「…あ、不撓さん」
9番席に座っていたのは俺にとっては良く知る人物だった。
「なんだ…天野か」
とか言いつつちょっとだけ嬉しかったり…と、いかんいかん。
放課後に爆睡したせいか、顔色は良い。
しかし初めて来る場所故なのか、少し緊張している様子だった。
「で、どうしたんだ?」
「はい、実は…」
「お待たせいたしました、紅茶のお客様」
大槻が営業スマイルで乱入してきた。てか早すぎるんじゃあないか!?
大槻は一見普段通り、しかし気のせいか機嫌が悪いような気がする。
とりあえず迷惑客撃退用の大槻スマイルになってないので良しとしよう、うん。
「…て、天野は何も頼んでないのか?」
「はい、あんまり長居をすると迷惑でしょうし…」
「誰もそんな事は思っちゃいないよ、なんなら奢ろうか?」
ちなみに俺には金のかかる趣味は無いので、基本的にバイト代は全て貯金してあるのだ。
「いえ、流石にそれは悪いですよ。じゃあアイスコーヒーをお願いします」
「御注文を繰り返します。アイスコーヒーが一点、以上でよろしいでしょうか?」
なんだか今日は寒いな…なんでだろう?
「は…はい、お願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
「………」
「………」
「不撓さん」
「…何だ?」
「なんだか大槻さんが怒っていたような気がしたんですけど…」
「奇遇だな、俺もだ」
とにかく紅茶でも飲んで落ち着こう。
この妙な緊迫感の中では話ができん。

「そういえば、天野は何でここが俺の家だって知っているんだ?」
「はい、時々朝にここから出てくるのを見てますから」
「そっか…」
「………」
「………」
いかん、まだ妙な緊張感が残っている。
「不撓さん」
天野が何かを決心したかのような顔になった。
「何だ?」
自然とこちらも顔が引き締まる。
「本当はお昼に言おうとしていたんですけど…」
まさか…これはもしかして…
「お待たせいたしました、アイスコーヒーのお客様」
再び大槻が営業スマイルで乱入してきた。
心なしかさっきよりも体感温度が下がっているような気がする。
大槻スマイルには辛うじてなっていないが、なんか怖い。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「…は、はい」
大槻よ…天野が引いているぞ。
「………」
「………」
「不撓さん」
「…何だ?」
気のせいか天野は泣きそうになっている。
「私、大槻さんの気に障る事しましたか…」
「…わからん」

そのまま五分ほど経過した。
俺も天野も注文した飲み物を飲んでどうにか落ち着いたようだ。
「不撓さん」
天野が先ほどのように神妙な面持ちになった。
「おう」
こちらもとにかく頭を切り替える。
「不撓さんにとって良くない事が近い内に起こります」
最低でも愛の告白ではなかった。
「…どういう事だ?」
天野の発言に対して、俺はこれしか言えなかった。
「おそらく人間関係のもつれから、不撓さんは何らかの騒動に巻き込まれると思います」
「………」
「………」
それは、にわかには信じられない話であった。
信じられない話ではあったが、天野はまっすぐに俺の目を見ながら話している。
あくまで俺のカンだが、これは嘘や冗談の類では無い。
だが真実かどうかを判断するにはまだ情報が少なすぎた。
「なぜそう思った?」
天野は少し躊躇して、答えた。
「昨日の夜に、星が教えてくれました」
「星か…」
普通に考えれば変な宗教か怪しい占いの類だと考えるべきだろう。
「私は少しですけど占星術が扱えます。
だから、星の動きから他人の未来がある程度まで予知できるんです」
「………」
「あの…信じてくれなくても良いです。自分でも、変な事を言っているんだってわかっていますから」
「まあ、普通は信じないだろうな」
こう言うと、天野は少しだけ落胆したような表情になる。
当然と言えば当然の話だ。だけど…
「わかっています。でも、せめて自分の周りの人に注意を払ってください」
天野はただ俺の心配をしているだけなんだと思う。
そのために夜更かしをして、そのためにこんな信じてもらえないような話をしている。
天野は自分のためではなく、他人のためにこんな事を言っているんだ。
だから俺は…
「あの…私、帰ります。聞いてくれてありがとうございます」
「俺は天野を信じたいと思う」
「…え?」
なんだよ、そんなに意外そうな顔をしなくても良いじゃないか。
「近い内に人間関係のもつれから騒動が起きるんだな?」
「あ…はい、そうです」
そんなに俺の一言が意外だったのか、見ていて面白い位に今の天野は混乱している。
「わかった、気をつけるよ。ありがとう」
「あ…あの…、あり…ありがとう…ござ…」
…て、あれ?
「おい天野、泣くなよ」
「だって…ぐすっ…だってぇ…」
天野は泣いていた、これでもかってくらいに泣いていた。
「泣くなって、ほら。イナイイナイ…バアァー」
俺達は二人仲良く面白い位に混乱するのであった。

「不撓さん、ありがとうございました」
「おう、また来いよ」
「はい、必ず来ます」
 カランッ カランッ
結局、天野が泣き止むまでに15分の時間を要した。
今にして思うと天野の神妙な表情は恐怖から来る物だったのかもしれない。
もしかしたら天野は以前にも似たような事があって、
それが原因で友人を減らす事になったのかもしれないな。
しかし、人間関係のもつれから起こる騒動とは…
「不撓君、今の人誰なのかな?」
もうこの時点で起きているのではないだろうか。
俺の眼前には大槻スマイルを浮かべた修羅が立っていた。
「大槻さん。店は閉めた、存分にやりなさい」
いつの間にか親父は本日貸切の札を玄関に掛けていた。
まだ閉店時間まで1時間はあるってのに…良いのか?
「店長、ありがとうございます」
 カチャッ
そう言いながら大槻は伝家の宝刀ベアークローを両手に付けていた。
「駄目だよー、あんなに可愛い女の子をたらしこんだ上に泣かせるなんてー…」
「いや…おい、ちょっと待てって」
「しかも私が知らない間にどーやって仲良くなったのかなー…」
「いくらなんでもソレは洒落にならんぞ、大槻」
「そうだよねー、いくら私が頑張っても全然気がつかないしねー…」
「待て大槻、何の話だ」
 ドンッ
後ろには壁、もはや退路は無かった。
・戦う  ・呪文
・逃げる ・道具
「………」
「………」
「アンキモ、アンキモ、アンキモ!」
「殺!!!」
「ギャアアアアァァァァッッッ………」
しかし、俺の予想に反して事件はまだ始まってすらいなかった。
全ての元凶となる者は、現在は隣町である黄道町に居る事は…
この時点では誰も知る由もなかったのである。


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