歌わない雨 ACT Final
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「おはよう」
 家を出ると、芹が玄関の前で笑いながら立っていた。
 何故、と思いかけて、そう言えば昨日から恋人になったのだと思い出す。
 そう思い始めると、朝に玄関の前で待っていてくれたことも愛おしく思えてくる。
 可愛い奴め、と思いながら見とれていると突然表情が険しくなった。
「挨拶くらい、してくれても良いんじゃないか?」
「うわ、スマン。おはよう」
「あぁ、おはよう」
 途端に笑顔に戻る芹。
 説明しようとして後ろを向くと、邪気は無いが露骨に嫉妬した表情の緑と、苦笑した雪が立っていた。
 どう説明したものか考えていると、
「昨日から伸人と付き合うことになった」
 あぁ、言っちゃった。
 ストレートにものを言うのはこいつの美点だが、もう少し言葉に気を使うと言うか、
 色々飾るとかしても良いかと思う。
 緑は芹を睨むと、
「本当なの? 伸人」
 しかし僕に話を振ってきた。
「そんな訳だ」
「ラブラブだぞ?」
 芹のその言葉に緑は僕さえも睨んでくる。
 未練は無いのかもしれないが、まだ少し寂しいのだろうと思う。
 それとも僕が幸せではなく、無理をしているとでも思ったのだろうか。
 助け舟を貰おうと雪を見ると、黙って目を反らされた。もしかしたら、色々思うことがあるのかも
 しれない。
「伸人ちゃん、今は幸せ?」
 ゆっくりと視線を戻してきた雪の言葉に僕は少し考え、
「幸せだ」
 短く答えた。
 その答えに雪は鈍く笑った。

 校門前、不意に芹の歩みが止まった。
「どうした?」
 無言のままでいる芹の視線の先を見ると、芹が手を刺す数日前に叩きのめしていた生徒が数人。
 『暴君』と言われている芹に挑戦する生徒は少なくない。腕に覚えのある者は、不良から格闘系の部活
 まで様々だ。
 だから珍しい事だとは思わなかったが、なんだか嫌な予感がした。
「もう喧嘩はするなよ」
 念のために小さく囁くと、芹は当然だ、と言う顔を向けて笑ってきた。
 一旦止めていた歩みを再会すると、案の定挑発の声が飛んでくる。
 最初は無視をしていたが、ある時点で再び止まった。
 恐らく原因は、僕へのヤジだ。
 相手もそれに気が付いたらしく、それを中心に罵倒を始めた。
 そして始まるのは、いつもの喧嘩。
「加勢するか?」
 流石に芹と言えども片手が使えないのは不便らしく、不安定な体制で戦っている。
 しかし芹は軽くこちらを見て、
「いらん。これだけは私の問題だ」
 その一瞬の隙が仇となった。
 いつもの芹ならふらついていなかっただろう。
 いつもの芹なら避けれただろう。
 いつもの芹なら当たっても大したことはなく踏み止まれただろう。
 周りの人垣から伸びた女性の手が、芹の背中を軽く押した。
 それだけなのに芹はバランスを崩し、地面に倒れ込んだ。
 その拍子に、ポケットから僕が昔にプレゼントしたナイフが落ちた。
「良いもの持ってるねェ、暴君さん」
 相当頭に来ていたらしいその相手は、ナイフを拾うと芹に向かって振り下ろす。
 危ない、と思う前に体が動いていた。

 最初に会った時は、僕が助ける側だった。
 昨日も一昨日も、芹に助けられた。
 なら今度は僕が助ける番だ。
 芹を突き飛ばした直後、喉元に熱さが走った。
 大切にしていてくれたらしいナイフは、かなり良く磨いてある。
 倒れ込むと同時に、首に走る痛み。
 視界に入るのは相手が逃げていく背中と、僕の大事な三人の顔。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
 泣き叫ぶ雪の声がする。
 馬鹿、お前が何したよ。謝らなきゃならないのはこっちの方だ。
 そう言おうと思ったが、喉から漏れてくるのは空気が流れるかすれた音だけだった。
 死ぬんだな、とぼやけてきた頭で考える。
「伸人、これからも私の料理食べてくれるって言ったじゃん!!」
 ごめん、その約束は守れそうにない。
「私のせいだ、私が馬鹿な喧嘩をしたから。自分で自分の手を刺したから。いや、そもそも初めから
 私に会わなかったら!!」
 それは違う。
 確かに二年前から辛かったけど、ここ十日間は地獄だったけど、碌な事なんて無かったけれど、でも。
 最後に短い間だったけれど、僕は幸せを芹に貰った。
 これだけは胸を張って言って良いと思う。
 思えば、皆を傷付けすぎた。
 皆、僕みたいな冷たい、それこそ冬のような奴からは脱け出して良いと思う。
 辛い冬から、暖かい春へ。
 『雪』は溶けて雨になり、
 『緑』は芽吹き、
 『芹』等の七草が生い茂る季節へ。
 もう僕から脱け出して新しい一歩を。
 だがいくら春になっても雨は歌ってくれないし、風も後押しをしてくれない。
 僕の手助けなんてもっての他だ。
 だからこそ自分で前へと自分で踏み出してほしい。
 意識が薄れてくる。
 最後に力を振り絞る。
 せめて皆の勇気になるように。
「ありがとう」


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