歌わない雨 ACT8
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 今日は皆で楽しく御出掛け(はぁと)
 楽しく可愛く表現しても、僕の心に立ち込める暗鬱とした気分はどうにも晴れない。
「せっかくの日曜日なのに」
 しかも、天気は快晴。
 ここまで揃っていて尚且つ気分が悪いのは、きっと隣で陽気に鼻唄などを歌っている人間のせいだろう。
 その名前は中道・緑。
 僕の幼馴染みで、僕が一番恐れる策士だ。
「緑、御機嫌だね?」
「まぁね」
 雪の声を聞き、軽く舌舐め擦りしながら僕を見る。
 そりゃあ御機嫌だろう。
 雪の目を盗んでした僕とのキスは、ゆうに十分間にも及んだのだ。さぞ満足したに違いない。
 しかし本題はそんな事じゃなく、キスはあくまでも契約で、大切なのは契約が守られるかだ。
 そんな訳で、僕と緑と雪の三人で外を歩いていた。
 芹も誘い、二人の様子を観察する。
 話はそれからだ。
「おはよう。伸人、雪」
 つらつらと考えていると、もう待ち合わせ場所に着いたらしい。先に来ていた芹が若干一名を除き、
 笑いかけてくる。
「あら、どこからともなく霊長類系の鳴き声が」
 すると緑は急にしゃがみ、
「あ、もう来てたんだ? あまりにも小さくて気付かなかった」
 あんまりな言葉を返す。
「黙れ雌豚、家畜の分際で言葉を覚えるのは大変だっただろう。これからはもうそんな苦労は
 しなくて良いぞ?」
「そっちこそ、人間様に進化しきれてないみたいで、大変よね。無理に社会に溶け込まないで、
 大自然で自由に暮らして良いのよ?」

 これらの言葉の応酬はいつもの通りで、個人的には止めて欲しいのだが、取り敢えずは守れていると
 安心した。
 だが、それも長くは続かない。
 緑は僕を見ると笑みを浮かべ、唇を軽く舐めた。
「…どうした、伸人?」
 芹の顔を見て、益々後悔の念は強くなる。二人が僕に好意を寄せているという事実と、
 緑としたキスが僕の心を締め付ける。
 多分、これが策士の狙い。残酷な罠の一つだ。
「…伸人ちゃん?」
「どうした、そんなに呆け…避けろ!」
 僕はどうやら立ち止まっていたらしく、その事実を認識したのは芹に突き飛ばされた後だった。
 眼前に広がるのは、一年前今朝の光景。
 但し緑のポジションは僕で、僕のポジションは芹が担当。
「っ、危ないだろうがッ!!」
 少し違うのは悪態をつきながら自転車を止めたことと、それに乗っていたのが体格の良い巨漢だ
 ということだ。
 しかも体重の軽い芹を止めただけで腕を痛めた僕と違い、更にはその細腕で少し宙に浮いた自転車を
 難無く地面に叩き付けた。
「お前のッ、脳味噌はッ、飾りかッ!!」
 続くのは拳による猛攻、腕は痛めていないらしい。
「反省ッ、しろッ!!」
 久しぶりにキレた芹を見た。
 その抜きん出た身体能力で、圧倒的に敵を痛めつける。
 これが『暴君』釜津・芹の真骨頂。
 と、冷静に解説しつつ見知らぬ巨漢を助けに入る。
「こら止めろ」
 芹の右手を、右手で掴む。
 本当は利き手である左手の方が力が強いが、随分久しぶりな感じのある腕の痛みによって動かなかった。

「何をッ!!」
 叫びながら芹は振り向くが、僕と目が合うと腕を動かすのを止めた。
「だけどこいつは…」
「僕は芹にこんな事をしてほしくない」
 僕は芹の頭を撫で、
「ありがとう」
 笑みを作る。
 途端、芹は顔を真っ赤にしてうつむき口元で何かを呟き始めた。
「卑怯だ」
 我ながら確かに卑振り向くが、僕と目が合うと腕を動かすのを止めた。
「だけどこいつは…」
「僕は芹にこんな事をしてほしくない」
 僕は芹の頭を撫で、
「ありがとう」
 笑みを作る。
 途端、芹は顔を真っ赤にしてうつむき口元で何かを呟き始めた。
「卑怯だ」
 我ながら確かに卑動の黙認は緑の方から出してきた提案で、朝にキスをした以上それを実行するしかない。
「これからどこに行こく?」
 顔を赤くしたまま浮かれた芹の表情に、多少の罪悪感を抱きながら僕は笑みを作ると、
「さっきも助けてもらったし、好きな所で良いよ」
 それを聞いて、芹は尚更はしゃぐ。
「伸人…」
 緑が恨みがましい、少しすねた目で僕を見た。
 策が一切見られないその表情は可愛らしく、新しい罪悪感が僕の中に芽生えた。
「ごめん」
「伸人ちゃん、モテモテじゃん」
 くはは、と独特な笑い声をあげる雪は、心の底から楽しそうだ。
 しかし、安心する。
 僕の中に多少のジレンマがあるとはいえ、これこそいつもの日常だ。

 一日中楽しく過ごしたが、相手は策士、甘く見るべきではなかった。
 ここは緑の部屋、時間は既に夜空に星が煌めいている。
「気持ち良かった。ね、伸人」
 緑を抱いた後、猛烈な後悔に襲われていた。
 これが策士の一番残酷な罠。
 朝に抱けばその日一日を強烈な罪悪感で潰し、
 夜に抱けば獰猛な後悔が僕を襲う。
 いつにしても精神が擦り減らされる。
 極めつけは、芹と仲良くすればする程に、毒が深まっていくということだ。
 不意に、左手が痛んだ。過度のストレスが再発の原因と医者には言われた。
 その痛みと連鎖するように、ある天啓が思い浮かんだ。
「緑、交渉だ」
「何?」
 急に策士の声になる緑に、僕は内心で笑顔を作る。
「これからはお前が作った料理以外の食い物は食わない」
「良いねそれ、楽しみ。そっちの要求は?」
 策士も所詮は人間、破格の条件に飛び付いてきた。
「キスの後に、あの人の名前を言え」
 それは僕の初恋の人。
 僕の心が痛まないかと聞かれれば完全にノウだが、それ以上の痛みが緑には走る。
 肉を切らせて骨を断つ。
 毒には猛毒を。
 正攻法なんて使わない。
 それが悪役だ。
 緑は青くしていた顔で笑みを作ると、
「良いわよ。それじゃあ、今日はおやすみなさい」
「おやすみ」
 僕は笑みを浮かべると、部屋を出た。
 今回は僕の勝利だ。


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