伸人ちゃんが家を出てから数十分、そろそろ頃合いだと思って緑に電話をかけた。
『おはよう』
「おはよ、これから遊びに来ない? 何て言うかもう暇で暇で」
伸人ちゃんが家に居ないことを暗にほのめかす。聡い緑なら、簡単に理解する筈だ。
『…伸人は?』
早速喰らい付いてきた。
あたしは口から笑い声が出ないようにして、なるべく自然を装い、
「せっちんの所」
あたしが促したのは言わない。嘘は言わないが、真実だけで真実をごまかす。
それが道化の方法だ。
緑は嫉妬を隠そうともせず、歯を噛むと冷たい声で、
『あの、泥棒猫』
「そう言っちゃ駄目だよ」
あたしはあくまで善意を込めて呟いた。
危険分子と見られるのは厄介だし、計画が破綻しては元も子も無い。
『そうね、その通りだね』
「そうそう、だから遊んでうさばらし」
相手の嫉妬を肯定する言葉に、緑は冷たい笑みを漏らした。
電話が切れる。
「くふ」
自然と笑いが込み上げてくる。
「くひひ」
全く善人も楽じゃない。笑いを抑えるのも、これはこれで大変なのだ。
「くははははははははは」
「おまたせ」
数分して、緑が家のリビングに入ってきた。顔にはいつもの表情、
しかし今その頭のなかは策で一杯だろう。
「早かったじゃん」
「まあね」
テーブルに着く。位置は、一昨日あたしが緑を扇った時と同じ。
それからの行動は、雑談。
内容は、主に伸人ちゃんの事と、せっちんの事だ。悪口が全く出ないのは、逆に快い。
そして話題を狙っていたものへと変える。
「今はこうやって笑っているけど、二年前は大変だったね」
せっちんが知らない、伸人ちゃんの初恋の思い出。
そして策士の、唯一の敗北の思い出。
案の定、緑の表情が変わった。
緑自信忘れようとしていたのかもしれないし、これを手札にしようか迷っているのかもしれない。
更にあたしは言葉を続ける。
「昔は大分へこんでいたし」
緑が考え事をする時の癖。目を細めて、しかし焦点を合わせない表情を見て、
緑に対しては今が最適だったと確信した。
数分して変わった表情から、手札が揃ったことが分かる。
再び込み上げてくる笑いをこらえつつ、善意の化粧をして、
「今、この二人だから言えるんだけどさ」
道化の言葉は止まらない。
「もしかしたら、今も苦しんでいるんじゃないかな?」
もしかしたら?
馬鹿馬鹿しい。
今も苦しんでいるに決まっている。
立ち直っているなら今も完璧である訳が無いし、緑とせっちんの喧嘩も止めない筈だ。
時計を見ると、時間は既に正午を回っていた。
「そろそろだね」
「え?」
呆けた顔をして緑がこっちを向く。
伸人ちゃんは昼過ぎには帰ってくると言っていたから、もうすぐ帰宅するだろう。
「あと少ししたら多分帰ってくるから、話してみたら?」
最後の仕上げに、少し悲しそうな表情で、
「緑だから言える事とか、話せる事もあるし」
計画は順調。
特定した個人を推薦する事で、その人以外にはやれない事を示す。
伸人ちゃんに近しい二人の内の一人のあたしでも無理だが、貴方ならやれると言えば尚更だろう。
緑は笑みを強くして、
「そうね、そうよね」
力強く言った。
「それじゃ、伸人ちゃんの部屋で待っててあげて。あたしはこっちで露払いしてる」
あたしがそう言うと、緑は笑みを浮かべたまま伸人ちゃんの部屋へと向かった。
「くふ、くははは」
笑い続けて数分、伸人ちゃんが帰ってきた。
なんてスムーズ。
なんて御都合主義。
全てが計画道理に進んでいる。
順調順調順風満帆。
あたしは笑いを噛み殺すと、
「伸人ちゃん、お客さん」
「そうか。部屋?」
「うん」
軽く頭を掻いて伸人ちゃんは部屋へと向かった。
「くははははははは」
再び笑いが漏れてくる。一体、今日何度目だろうか。数えるのも馬鹿らしい程に笑いたい。
「くはははははは」
伸人ちゃんはきっと今、緑に傷付けられているだろう。
そして少しづつ壊れ、狂っていく。
主役なんてとんでもない。
エキストラなんて御大層な。
あたしは舞台の裏方で、ひたすら夢を見続ける。
一人で踊る哀れな悪役と、二人で作る夢舞台。
何て美しいのだろう、想像するだけで頭がとろけそうになる。
「くはははははは」
あたしは一人で笑い続けた。