広き檻の中で mixture world mixture world 8
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走る、走る。二段とばしで階段を上り、走る。疲れは感じない。感じてられない。
時計を見る……夜中の一時………お嬢は寝てるか?
そうは思いながら、部屋のドアを思いっきり開ける。
「……はぁ…はぁ」
お嬢は、起きていた。何ごとも無いように、また窓の外を眺めて。
「はぁ…はぁ…お嬢……」
「…おはよ、晋也。」
振り向いたその顔は、万円の笑みで。まるで女神のような包容力で。
「……はは、おはようにまだ早いかな?」
「…うん、そうかも。」
もう、言わずとも彼女はわかっているのかもしれない。ここに俺が来た理由が。
「お嬢……俺、決めたよ。……この世界を壊す……お嬢を、殺す……」
「うん……」
反論もせず、タダ頷くだけだ。泣くな、俺。泣くな、お嬢。
「……理由は?……私といるのが、嫌になっちゃった?」
「いいや、お嬢たちと……みんなとここで過ごした日々は楽しかったよ。……でも、
今のままじゃ……俺の大切な人が幸せになれないんだ。」
「志穂…か。」
「ああ……」
しばらくの沈黙。互いに目を合わす。
「……俺の幸せは、あいつが幸せになること……アイツが笑っていられれば……幸せでいられれば……
たとえ俺が隣りにいなくても、アイツに再び出会う事はなくても、俺は満足さ。」
「………本当にいいの?…志穂や、みんなでこの屋敷で生きてきた事実が、みんなきえちゃうのよ?」
「消えないよ。…現にいまここで、俺とお嬢が話してる。……これは事実でしょ?」
「……うん。そうだね。」

ふぅっと溜め息をつくと、また窓の方を振り向き、大声で笑う。
「ふふふ……あっははは……はは…は……あ〜あぁ……結局、志穂にはかなわなかったかぁ……」
「ごめん…」
「ふふ…いいのよ。何となく分かってたから。…晋也、私を抱いてても、心ここに在らずって感じ
だったし……」
「……」
「はぁ……そっかそっか、これが失恋ってやつかぁ……悲しいなぁ………うん。」
「………」
もはや、謝る意味もないかもしれない。俺は沈黙を通した。
「でも、一番愛してる人に殺されるなら、本望ね。じゃあ、最後にお願いしてもいい?」
「ああ。」
「キス、して?」
「お安いご用です。お姫様。」
「ふふ、キザ。」
そっと近付き、目を閉じたまま上を向くお嬢に、軽くキスをする。その両目から、微かに涙が流れている。
「ん、ん……」
どれぐらいだろうか。長いキスを終え、唇を離す。
「あり…がとぅ……」
「な、泣くなよ、お嬢……」
「晋也だって……泣いてる……じゃない。」
「ごめん……ごめん!
「もう大丈夫よ。覚悟は……ついてるから…」
そっとナイフを取り出す。…悪いな、志穂。ちょっと使わせてもらうよ。…返せるかどうかも分からない
けど、頑張って返してみせるサ。

 

「キスしてくれた代わりに、一つだけお願い聞いてあげる。」
「…お願い?」
お嬢を殺すだなんていってるのに、それ以外にお願い?
「うん……この世界が消えて、別の笹原晋也になったら……どんな人になりたい?」
どんな……俺……
「もう贅沢は言わないさ。普通に生きて、学校に通う学生でいいサ。」
「わかった……じゃあ、来て。」
「うん。」
ナイフを逆手に持ち、ゆっくりと振り上げる。狙いは、心臓に。落ち着け、慌てるな。
「………」
罪悪感は……ある。でも、もう引けない。大事な人のため、俺を応援してくれた人のため。
「さようなら……お嬢……みんな!」
思いっきり、目掛けた通りにナイフを振り落とす。
「…ばいばい」
最後に聞こえた『音』。
それが聞こえた時にはもう、ナイフは深々とお嬢の胸に突き刺さっていた。
その瞬間、周りの景色がまるで消しゴムでけしていくように無くなっていく。
これが、世界が壊れるってことか。
嗚呼、俺の足下も消えていく。限り無く死に近い体験。……恐怖はない。悲しみもない。
感情さえ消えていく。自分の名前も思い出せない。『記憶』『思いで』が消えていく。
自分が消えていくことを自覚できる。
薄れていく意識。そこで確信した。最後にした最大の無くし物。それは、自分の人生。
この世界を生きてきた人生。
「ばいばい……みんな。」
願わくば、皆が幸せであることを………………


















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