夢と魔法の王国 第2話
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* * * <プロローグ> * * *

わたしが男だと知っている人は、もう何人もいないと思う。
「みき」ではなく「よしき」と呼ばれることも減ってしまった。

母親のトチ狂った趣味のおかげで、わたしは物心付いた頃からずっと女装を続けてきた。
小学校のときだって、それを知っている人は少なかったし、
みんなとは違う私立の中学にわざわざ進学してからは皆無といってよかった。
絶対にバレないよう、わたしは細心の注意を払ってきた。

なんでそこまでするのかって?
そりゃ、最初の頃は目的もなかったわ。
母親に言われるままに着せ替え人形になっていただけだった。

でも、あの日から、わたしは変わった。

化粧を覚えた。
意識して言葉遣いも変えた。
服装にもちゃんと気を使うようになった。
プールも身体測定も避けて、我ながら見事に隠し通した。
そうやって少女たちの中に身を置くことで、己の女らしさを磨いてきた。

あの日。
拓ちゃんと出会った日。

あの糞女は知らないだろうが、わたしはずっと彼のことが好きだったのだ。

…絶対、負けてやらないから。

* * * <1> * * *

校門から伸びた長い坂を、自転車で一気に駆け下りた。
木漏れ日が、まだら模様になって地面に落ちている。
風がすごい勢いで耳の横を通り抜けていって、わたしは笑う。
とっても爽やか。
いや、高校球児みたいな表情をしている場合じゃないだろ。
顔を引き締めて、さらに力いっぱいペダルを踏む。
自転車は気持ちよく加速する。
わたしは昨日のことを思い出していた。
姉の美衣がやけに浮かれていたこと。
拓ちゃんが家にやってきたこと。
……彼氏彼女の間柄になったって?
ふざけんな。
拓ちゃんは近所に住む男の子だった。
幼い頃は、そりゃもういっぱい遊んだものだ。
拓ちゃんは小さな騎士で、わたしを女子と思って、お姫様のように大切に扱ってくれた。
昨日の反応から見て、いまでもわたしを女だと信じているんだろう。
そんなふうにどこか抜けているのも昔と変わらない。
可愛らしいと思う。
抱きしめたいと思う。
そうやって、自分の中にまだ熱い想いが存在していることを確認する。
一度もブレーキを握らずに、対向車の見えない直線道路を、わたしは走り抜ける。
向かう先は決まっている。
あの女と、そして拓ちゃんが通う高校だ。

* * * <2> * * *

プールでは、女子水泳部が50mクロールの真っ最中で、プールサイドには美衣の姿もあった。
隣のレーンでゆったりと泳いでいる男子水泳部の中にいるのは、あれは紛れもなく拓ちゃんだ。
ふーん、なるほどね。
あの陰気で根暗で運動神経ゼロの美衣が部活に入ったのには、こういう理由があったわけか。
……どうせロクに泳げもしないくせに。
呟きつつ、わたしは拓ちゃんの水から上がってきたのを確認する。
よし、アクション。
フェンスに付けられた扉を開け、中に入る。
そして、ゆっくりと美衣に近付いていく。
「お姉ちゃーん!」
その可愛らしい声に、プールサイドにいた女子水泳部員の目が一斉にわたしに向く。
わりあい好意的なそれらの視線の中に、……美衣の、殺気混じりのものを感じる。
わたしはあっという間に取り囲まれた。
「うわぁ! 美衣が二人いる!」
「だ、誰?」
「知ってるー。妹さんだよね?」
「双子? 双子なの!?」
まるで珍獣扱いだが、それに対する文句はこの際捨て置こう。
彼女らに対し、わたしは最大限「女の子らしい」笑顔を作る。
わたしの身長は男としても女としても小さい方なので、その仕草は余計に可愛らしく見えるはずだ。
「えへへ、美衣の双子の妹で、美樹って言います! よろしくおねがいします!」
「美衣ちゃーん、妹さん来てるよー?」
「ワタシに"妹さん"はいないはずだけどねぇ……」
ようやく美衣が立ち上がる。
「もう、お姉ちゃんひどいよ。せっかく他所の学校まできた"妹"に……」
「そうねぇ、何しにきたのかしら? ここは他校生は立ち入り禁止なんだけど」
「お姉ちゃん、なに言ってるのよ!
お姉ちゃんが『替えのパンティ忘れたから持ってきて』って言ったんじゃない!」
わざと、拓ちゃんにも聞こえるくらい大きな声で言ってやる。
わたしが広げた"ソレ"は、――大きなクマさんがプリントされたパンティ。
座って休んでいる男子部員たちが、大声で笑っている。
女子部員たちも必死で笑いを堪えようとして、しかしクスクスと笑い声が漏れ聞こえる。
「ア、アンタねぇ。大嘘ぶっこいてるんじゃ――」
子豚ちゃんのようにピンク色の顔面になった美衣に、
「あ! 部活の邪魔しちゃったね! ごめん、お姉ちゃん!」
手に持っていたクマさんパンツを投げつけ、すみやかに撤退。
美衣は頭でっかちで挑発に乗りやすいぶん、キレると手が付けられないから……。
まあ、これは単なる嫌がらせ。
本番はこれから、ね。

* * * <3> * * *

美衣をさんざんからかったあと、わたしは拓ちゃんのもとに向かった。
「こんにちは、拓ちゃん!」
「こんにちは、美樹ちゃん。……その、パンツはもういいの?」
拓ちゃんは恥ずかしそうに微笑む。
あーもう、この笑顔!
汚らしい美衣なんかとは比べ物にならない、天使の笑みだわ!
「あんなのどうでもいいって! わたし、拓ちゃんに会いにきたんだよ!」
「え……?」
わたしたちを遠巻き見ていた誰かが口笛を吹いた。
それに、拓ちゃんは顔を真っ赤にする。
「あのね、今度の日曜、暇かなぁ?」
上目遣い。45度の角度をキープ。
囁くような、他の人に聞こえないくらいの声で、拓ちゃんに迫る。
「え……と、確か、ミィちゃんとデートする予定だったけど……」
「そ、それダメだよ!」
「え? ダメ?」
拓ちゃんの胸にすがりつく。
既にわたしの瞳は潤み始めているはずだ。
「お願い、デートをキャンセルして。日曜日に、わたし、
どうしても拓ちゃんに伝えなきゃいけないことがあるの」
「でも……先に約束したのはミィちゃんとだし……」
「お姉ちゃんと拓ちゃん、二人に関することなの。大事なことなの。お願い!」
「その"伝えなきゃいけないこと"って、いま言うのとかじゃだめなの?」
「うん、日曜日じゃなきゃだめ……」
わたしはじっと、拓ちゃんの目を見つめる。
涙がぽろり、頬を伝う。
「……わ、わかったよ。そこまで言うなら……」
ふふん、ちょろいもんよ。
うちのクラスメイト直伝の泣き落とし。
どれほどのものか疑ってたけど、いやぁ、効果抜群だわ。
「ありがとう、拓ちゃん……わがまま言ってごめんね……」
わたしは涙を拭き拭き、健気に微笑んで見せた。

* * * <エピローグ> * * *
「で、アンタはなんで学校まで来るんだ! しかもあんな馬鹿な嫌がらせまでして!」
「あのパンツ、実際にあんたの愛用のパンツでしょーに」
「そうだけどっ! んなもん皆に見せんなっつーんだよ!」
「いいじゃん、クマさんパンツなんて可愛らしいわよ」
「……こいつっ、こっ、殺してやろうかっ」
「殺されたくなーい。あははっ。
 あ! そういえば、帰り道、拓ちゃんになにか言われてたわよね? なんだったの?」
「ん? ただ、急に今度のデートをキャンセルするって言われただけで……」
「デートって、今度の日曜に買い物いくんだってはしゃいでた? なんだ、やっぱり振られちゃったの?」
「キャンセルされただけだっ!」
「まあ、いいけど。……そっか。振られちゃったのかぁ。あ、それだったらさ、」
「……振られてないが、なんだ?」
「美樹、お姉ちゃんにお願いがあるんだけどぉ、聞いてくれるぅ?」
「気持ち悪いから単刀直入に言え、クソバカ」
「……あのさ、今度の日曜、暇?」


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