カーニバル・デイ 第1回
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どこか愛らしい、チープなアーチをくぐる。
 ここは○○学園。あたしの彼氏、平野君が通う学校。
「いらっしゃーい! 寄ってみて下さい!」
 チラシをいくつも渡される。その中には平野君のクラス、2−Bの出し物も含まれていた。
「へぇ、喫茶店かぁ」
 何だ、普通じゃない。教えてくれないからどんなにヘンなやつかと思っちゃった。
「にしても……」
 教えてくれたっていいのに。確かに平日だから私は授業があって来にくいけれど、一日くらい
サボったってどうってことない。実際、今日は友達も何人か欠席しているはずだ。
 まあいいや。いきなり行ってビックリさせてあげよう。
 どこか頼りない彼があわてふためく様を想像して、ちょっと危ない人みたいとは思ったけれど、
あたしは含み笑いが止まらなかった。

「ねぇ、本当にだいじょうぶ?」
 心配そうに、それでいて甘く囁く洋子。
 喫茶の裏側で忙しく準備しながら、僕達は身体を寄せ合っていた。
「大丈夫だって。美奈には何も教えてないんだから」
「日程も?」
「日程も」
「出し物も?」
「出し物も」
「クラスも?」
「それは、前に教えちゃった」
「もう……来ないでって言った?」
「それは、言ってないけど」
「もう、ツメが甘いんだから……んっ」
 柔らかい唇。ついばむように何度も口づけを交わす。
 視界の端に、うんざりしたような金子武雄の表情が見えた。見て見ぬ振りをしてくれるのはありがたい。
「ん、はぁ……そう言わないでくれよ……大丈夫だよ、今日平日だから」
 普通は客の入りが悪くなるから敬遠されるのだけど、今年は日程やら交通やらその他諸々の
理由によって平日に開催されることになっていた。
 まあ、そのお陰で僕は洋子と楽しい青華祭を迎えられるのだから文句は言えないけれど。
「そうね……あなたを信じるわ」
 どこか媚びるような上目遣いにくらくらする。
 クラス一の、いや学年一の大和撫子と評判の高宮洋子。彼女のこんな表情は、僕しか知らないのだ。
「あっ」
 ギュッと強く抱き締めて、僕は今日が最高の一日になることを確信した。

 いきなり襲撃……したいけれど、今回はちょっと趣向を凝らそう。もっと時間をおいて、そう、
お昼に行けば、混んでるかも知れないけど、お昼ごはんを食べられるし平野君と会えるし驚かせ
られるしで一番良さそう。
 うん、そうしよう。
 そうと決まれば早速、それ以外の所で時間をつぶさないと。幸い今日は青華祭。暇つぶしなら
いくらでもできそうだ。

「ねえ、やっぱり初めのうちは止めておきましょう? もし美奈さんが来たら大変だし、やることも沢山あるし」
 開場し、ガヤガヤと遠くから賑やかさが近づいてきた頃、洋子はそんなことを言った。
「……そうだな。美奈はあいつ、我慢できない質だから、来るとすれば最初の方だろうし」
 もう客が来る頃だ。そろそろ出ないと。
「あ、待って。その前に一分だけ」
 すっと身体を寄せ、控えめに背中に腕を回す洋子。胸に顔を埋め、うっとりとしている。時折
頬ずりする様は、猫か犬か、とにかく可愛らしい。
 よそからの視線は感じたけれど、この幸福感の前ではものの敵ではなかった。
 スレンダーな割に出るところは出ている感触。
 思わずそこへ手を伸ばしそうになるけれど、我慢した。
 彼女の家はとても厳しく、結婚するまで「そういうこと」は一切禁止と言われている。
彼女もそれを守っているので、僕達はまだ、キスまでしかしたことがなかった。
 本当はキスもだめなんだけれど、洋子が僕のためにと、それだけは内緒でさせてくれている。
「……はい、一分」
 やがて彼女は自ら身体を離した。頬が赤くなっているのが堪らなく愛しい。
「頑張ろうね」
「ええ」
 僕達はウェイターとウェイトレスとして働くことになっていた。
 総勢10名で、客が入ってくるたびに一人ずつロケット鉛筆のように入れ替わっていく方式だ。
だから、待機時間の内は、その、いちゃいちゃできると思っていた。
 もっとも、午後からは別の10名と入れ替わって一緒に青華祭の出し物を見て回る予定ではある。
つまりは、丸一日甘い時間を過ごせるかそうでないかの違いしかないのだけれど。
「いらっしゃいませ」
 そんなことを考えているうちに一人目の客が来た。それに寄せられたのか、どんどん人が入ってくる。
 今日は忙しくなりそうだ。

 そろそろ、いいかな。
 もう12時を少し回ったくらいで、飲食系の出し物に人が集まっている時間帯。
 混雑に紛れて、平野君に至近距離まで近づいて。
 いきなり抱き付いたりしたら、きっと面白いくらいに驚いてくれるはず。
 ガヤガヤと騒がしい廊下は活気に溢れている。あたしまで楽しくなってくる。
 待っててね平野君。今行くから。

 シフトの交代時間まであと少し。そうすれば、この仕事から解放されて洋子と一緒に……。
「いらっしゃいませ」
 今裏で、交代要員が準備をしている。客への応対方法の確認とか、オーダーの伝え方の確認とか。
 もうすぐだ。もうすぐ。
 オーダーを取ってきた洋子を見ると、ちょうど目があった。
 柔らかく微笑む洋子。
 美しい。
 のろけと言われようが、バカップルと言われようが、美しいものは美しい。
「はい、前半の人は、各自あと一回オーダー取ってきたら交代していいよ。逐次後半の人と入れ替わって」
「いらっしゃいませ」
 これが僕の最後の仕事。洋子はついさっきオーダーを取ってきたばかりだから、
一番最後の方になってしまうが、仕方ない。
 そして、つつがなく仕事を終えた僕は、高橋と交代して裏で洋子を待つ。
「羨ましいヤツだ」
 と、僕に続いて交代した金子が肩を回しながら近づいてきた。
「何が」
「お前、殴っていいか。高宮洋子だよお前の彼女の。一緒に青華祭回るんだろ?」
 小突かれたが、決して悪い気分ではない。むしろ誇らしい。
「まあね。きっと彼女は、神様がくれた宝物なんだよ」
「ったく、彼氏バカだな。否定できないところが本当にムカツクぜ」
 そう言いながら、金子は豪快に笑った。
「ちょっと金子くん、そういうの恥ずかしいわ……」
 と、当の本人も仕事を終えたらしい。そして当然のように僕の脇に寄り添う。
「あーあ、やってらんないよ。まあ楽しんでこいや」
 ひらひらと手を振って金子は外へ出て行ってしまった。
 すっと視線を合わせて微笑みあう。
「行こう」
「ええ」
 僕らの青華祭は始まったばかりだ。

 僕が洋子と知り合ったのは高校一年の春。同じクラスで、一緒にクラス委員になったことで
話し合う機会ができて、そのまま親しくなっていった。彼女は一言で言えば才色兼備。まず美しく、
淑やかで聡明、そして何よりいい子だ。全校の憧れの的といっても間違いではないだろう。
そんな彼女がなぜ僕なんかを好きになってくれたのかは分からないけれど、僕の方からは一つも
不満はない。
 対して美奈は幼馴染みに近く、家は100mと離れていないし幼稚園から中学校まで一緒だった。
美奈と特別親しくなったのは中学二年の頃からだ。初めての恋だった。互いに初々しくて、手を繋ぐ
のにも戸惑うくらいで、あっと言う間に一年が過ぎ、受験になって。僕はそれなりに名の通った公立
高校に無事入学したが、彼女は同じ高校を受けたけれど落ちてしまって、遠く離れた私立に通っている。
 美奈のことが嫌いな訳じゃない。ただ、高校が離れたことで互いのスケジュール合わなくなり、
すれ違いも多くなってしまった。そして、去年の十月頃から半年以上、細々とメールのやり取りを
続けるだけになってしまっている。

 初め僕が美奈の存在を打ち明けたとき、洋子はまず美奈の心配をし、ついで僕を責めた。どうして、
そんな酷いことをするのかと。確かにその通りだった。僕は酷いことをしていた。洋子のことが
好きなのは本当だったし、同時に美奈を振るほどの理由は見つけられないでいた。
しかし、彼女は僕と別れようとはしなかった。
酷い酷いと責めはしても、僕が彼女のことを本当に好きなことは分かってくれていたようだ。
そして、彼女も同じく、僕と離れがたく思っていてくれたのだろう。彼女が如何に怜悧聡明であっても、
やはり高校生となれば道理を通して好きな人と別れるのは難しかったのだと思う。

 洋子は、僕と自らと美奈の関係において、多く美奈を優先した。美奈が可哀想だから、とか、美奈に悪いから、とか。
今回の青華祭で美奈に来させないようにしようと言ったのも洋子だった。彼女はきっと傷つく。
三人が出会ったら、きっと僕は美奈を傷つけるから、と。彼女は僕のことを実によく分かっていた。
僕自身、確かにそうなってしまうと思う。
 彼女は、僕と美奈の関係が自然消滅するのが一番いいと考えているようだった。
直接別れを切り出したら美奈が傷つくし、かといってだらだらと続けていてもやはり、いつか彼女を傷つけてしまう。
だから、互いに悔恨を残さないように静かに別れるのがいいと。
 だが物事はそううまくいくものではなかった。結局ずるずると長引いて、青華祭になってしまった。

 彼女はきっと来ない。
 だけど、これを機によりを戻そうとしないとも限らない。
 洋子と楽しく周りながら僕は、一抹の不安を拭えないでいた。

 まったく、平野君ったらシフトが午前中だけだったなんて。
 お陰でこうして校内を探し回ることになってしまった。
 賑やかな廊下が、今では鬱陶しい。
 早く探さないと青華祭が終わってしまう。終了時間は午後四時。今は午後一時。あと三時間。
 その間に会って話をして、ちょっと疎遠になっちゃってたのをなんとかしないと。本当にあたし達終わりになっちゃう。
 どこ行ってるの。
 会いたいよ。

「ここに何かあるの?」
 管理棟四階。特別教室がずらっと並んでいるここには、僕の友人がいる。
「まあ、付いてきてよ」
 手を繋いで洋子と歩く。
 廊下は静かで、こんな所に展示があるなんて知る人も少ないだろう。
パンフレットにも、隅っこの方に小さく載っているだけだ。
「こんにちは」
「あら、平野君。どうしたのこんな所に」
 実験室特有の四人がけのテーブルに肘をついて、怠そうに答えたのは叔母の高井聡子さん。この学校
で数学教師をしている。数学部の顧問でもあり、数学部の展示を監督するという名目で煩雑な仕事から
逃れているちゃっかり者だ。
「ちょっと彼女とのんびりしたいと思って」
「ふぅん。そちらの綺麗なお嬢さんがそうなのね」
 面白そうな視線を受けて、洋子はおずおずと自己紹介した。
「初めまして、高宮洋子です、その、平野くんとお付き合いさせて頂いてます。よろしくお願いします」
「あら、あなたが。高宮洋子といえば職員の間でも評判よ。うちの甥がお世話になってます」
 にっこりと微笑む叔母さんと、珍しく動揺している洋子が面白い。
「それでさ、ちょっと準備室貸してくれない?」
「やっぱりそれが目的なのね。まあいいけど。コーヒーは三人分よろしくね」
「はいはい。さ、行こうぜ」
「えっ? え、ええ。あっ、失礼します」
 洋子は律儀に頭をさげてから付き従う。
「あ、そうだ。うちの兄によろしく言っておいて。こんな良くできた、綺麗な娘ができるなんて幸せ者だって」
「う、か、からかうなよ!」
 洋子は頬を染めて黙っている。
「ほら、行った行った。仲良くね。でも、あまり仲良くしすぎちゃ駄目よ。防音なんてできてないから」
「わ、分かってるよ!」

「ごめんな。まあ、これくらいは予想の範疇だったけど」
「ええ、それはいいけれど」
 洋子は控えめに部屋を見回す。
「ここ、使っていいの?」
「大丈夫大丈夫。ここは叔母の城だから」
 化学実験準備室は叔母の私物で溢れている。洋服、化粧品、パソコン、本、本格的なコーヒードリッパー。
 職員室から遠く誰も見に来ないので、自由に使えるのだという。僕も時々利用させてもらっている。
「さてと。叔母にコーヒー持っていってやらないと」
 もう何度も出入りしているから、扱いには慣れている。
 叔母はこだわりを持っているので、ミルで豆を挽くところから始めなければならない。
 ミルのレバーを回し、ガリガリと細引きする。
 その様子を珍しそうに眺める洋子。
「なんだ、洋子は挽いたことないのか?」
「家は紅茶なの。そっちなら、基本的な煎れ方くらいは分かるけれど」
「そっか。じゃあ、今度ごちそうしてくれよ」
「ええ、喜んで」
 洋子は微笑んだ。
「ん? ということは、僕が洋子の家へ行くってことになるのかな」
「え? ええ。そうなるけれど」
「緊張するな」
「も、もう……ちょっと遊びに来るだけでしょう」
「そうだけど」
 くすぐったいような、恥ずかしいような。幸せな空気。
 昼下がりの化学準備室。
 豆を挽く音が静かに響いていた。


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