不義理チョコ 第13回
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「違うよ――それは私がつけたもの。士郎は私が好きで士郎は私のカレ。
 士郎も本当はミカなんかより私の方が好きなんだから。
 でも士郎は優しいからミカに別れようって言えないだけで続いている関係だけで。
 最近士郎殆ど喋らないし笑わないよ。何でか知っている? 無理してミカと付き合っているからだよ。
 本当は私が好きなのにミカなんかと付き合っているからだよ。
 本当は私の事がずっと前から好きだったのに。
 本当は私だけを見て、私だけと話して、私だけを好きにならなくちゃいけないのに!
 ミカ、あんたは本当に鈍感ね!
 いい加減私達がそういう関係になっていることぐらい気づいて自分から身を引きなさいよ!」

 自分の意思に反して口からは勝手に言葉が流れ続けていた。
 本当の事、ずっと考えていた事、望んでいること混ぜこぜにして吐き出している。
 吐き出せば吐き出す程自分の願望と事実の境界線が曖昧になっていく。
 言い終わった後、周りの水を打ったように静まりかえっていた。
 士郎を見れば口を固く閉じ俯いていた。
「士郎からもちゃんと言ってよ、本当のこと」
 ねえ、なんで言わないのよ、「本当だ」って。そう言えば全部終るんだよ。
 みんなに恋人だって言えるんだよ。言いにくいから私が代わりに言ってあげたんだよ?
 凍り付いていた私達の周りの空間でようやく反応らしい反応を最初に見せたのはミカだった。
 背中を向けると嗚咽をもらしながら走っていった。
 無意識に士郎の腕を掴んでいた。
「オレ――」
 もういいじゃない。終ったことなんだから。
 でも士郎は私の手を離して追いかけ始めていた。
「行かないでよ!」
 離れていこうとする背中に言葉をぶつける。
 一瞬だけ動きがとまった――でも一瞬だけ。背中を向けたままミカを追いかけていく。

 足が動かない。
 惨めだよ――
 惨め過ぎるよ――
 私よりミカが好きなら――
 だったら何であの時駄目だって言ってくれなかったの――

「あんた、今更二人の関係を知らなかったとかいったりしないよね――」
「わかっているよ。だから言い訳もしない。
 もう私嫌のなの!
 自分の気持ち黙っているのも嫌!
 士郎が私以外の女の子を好きになるのは嫌!
 士郎が私以外の女の子と話しているのも嫌!
 士郎が私以外の女の子を見ているのも嫌!
 士郎は私だけを見て、私だけと話して、私だけを好きになって欲しいの!
 ミカなんて関係ない!」
「……あんた最低だよ」
「士郎の為だったら最低の女になる覚悟ぐらいできているから」
 ずっと言えなかった。仲介して友達と付き合うことになった。
 そこで私が付き合おうなんて自分勝手なのはわかっている。
「……最低の人間を好きになってくれる人がいるわけないでしょ」
 ヨーコは決別の言葉とも思える言葉を吐き捨てていた。
 何も言い返せなかった。
 そう――今の私の隣に士郎はいない。
 ヨーコはそれ以上何も言わず背を向けて歩き始めていた。

 ――この日、私は二人の友達を失くした。

        *        *        *

 ――ようやく見つけた時路地裏で彼女は吐いていた。

「ごめん……変なトコみせちゃって」
 彼女はハンカチで口元を隠しながら泣いていた。
「ウソ――だよね? 私馬鹿だからうっかり信じちゃった……」
 何も言えない。
 ――本当です。隠れて付き合っていました。
「ねえ――ウソだよね? 嘘だって言ってくれればちゃんと信じるから」
 何も言えない。
「本当の事言ってよ……私ちゃんと信じるから」
 今まで騙し続けてきたっていうのに、この場で嘘をつく度胸も本当の事を喋る度胸もない。
 嘘もつけない――
 本当のことも言えない――
 言わなきゃいけないことも分っている。
 でも、ただ口を閉じるだけ。
 なにも出来ない。
 自分から追いかけてきた癖に逃げることしかできない。
 ――最低だ。

        *        *        *

 ――重症だ。
 今日帰ってきた愚弟は魂の抜け殻としか表現不可能な状態だった。
 ここ一週間程元気があるとはいえない顔をしてはいたが今日は特に酷い。
 今テレビを見ている。正確にはテレビがある方を向いて、テレビも映っているがテレビは見ていない。
 十中八九振られるかなんかしたのだろう。
 元々コイツは二股かけれるような器用さもなければ、
 一方と関係を清算してから付き合うだけの決断力があるとは思わなかったがやっぱりこうなったか。
「なんか言いたいことあるなら聞くけど」
 後ろから馬鹿の頭の上に手を置いて聞いてみるが返事はない。
 昔からそうだ。嫌な事、言いたくない事があるとすぐに黙り込む。はっきり言わない。煮え切らない。
 突き放せば少しマシになるかと思ったが逆効果にしかならなかったようだ。
 どうせあの子にだってあなたから告白した訳じゃないんでしょ、
 告白できなくてズルズル引き摺って何かの弾みで関係もつことになったんでしょ。
 ――助けてくれって顔してても、いくら私でも言ってくれなきゃわからない事あるんだけど。
 頭を叩いてみるが反応すらしない。やはり重症だ。
 無理せず泣きながら助けてくれとでも言ってくれば可愛げがあるのに。
 明日になってもこの様子だったら、話しやすい環境でも作ってやって、
 ちゃんと話を聞いてアドバイスでもしてやろう。
 口を開かなかったら――無理矢理にでも口を開かせてやるか。

 シロウはいつもより早く家を出て行った。
 二、三釘をさしておくべきことはあったがそそくさと家を出て行った。

 あいつの顔色は昨日のままだった。

 電話越しにでも釘を刺しておこうと思い昼休み中に何度かあいつの携帯にかけるが繋がらない。
 多分携帯を切っているんだ。
 気づいた――あの馬鹿は絶対最悪の選択しようとしている。
 近くにいるなら今すぐに怒鳴りつけてやりたかった。
「モカ、私今日早く帰らなきゃいけない用事できたから――」
 一分一秒でも早く怒鳴りつけてやりたい。

        *        *        *

「田中、いいかな、今日の放課後?」
 イノから声をかけられた。この顔は――わかってる。友達以上恋人未満の関係を終らせたがっている。
 でも私にとってこいつは何処まで行っても友達以上でもそれ以下でもない。
 こいつは良く言えば、一途で純情。本音で言えば未練たらしい奴。
 確か何度目だろう。
 最初の時、中学のときにあんたに友情は持てても恋愛感情は持てないってハッキリいってやったのに。
「んー、私の言いたいことわかるよね?」
 笑いながら返答する。
「じゃあ、俺のいいたいこともわかるだろ」
「わかったよ聞いてあげるから」
 後何度聞いて、何度教えてやればこいつはわかるんだろうか。

 イノと踊り場に来てから屋上からなにか違う空気を感じる。
 空気が塩味のかかっているような――少し違う。酸味――そう柑橘類の匂い。
 イノはそんな事気づかないのか、そのまま屋上に行こうとしている。
「ちょっと待て」低く小さな声でイノを呼び止める。
 イノは何でって顔をしている。あんたはそういうのが分らないから駄目なんだよ。

 イノを押し止めたまま屋上をこっそり覗き見る。
 神崎と三沢がいた。でもなんだ? 今感じている変な空気は。
 神埼はフェンスに顔を押し当てて、三沢は少し離れてその神崎の背中を見ている。
「……もう別れよう」神崎はここからでは聞き取るのが苦しい程小さく掠れた声で呟いた。
「私の事嫌いになった?」
「そういうんじゃない……」
「ミカと付き合うの――?」
「彼女とも別れる……もうやめる……」神崎の声はもう聞き取るのやっとだった。
 二人とも泣きそうな声――。ここから顔は見えないがきっと泣いている。
 最近こいつら変だと思っていた。いつも昼は二人ともいなかった。
 ようやくわかった。そういうことか――
「オイ……」イノが私に向かって何か言いかけていた。
「……もう少し黙っていなさい」手でイノの口をふさぐ。
「そっか……」そう言った後、三沢は背を向けた。
 こちらに向いている――が三沢の顔は上を向いているせいかこちらに気づいた様子はない。
 でも頬を流れ落ちているものがあることはこの距離からでもわかった。
「あのさ――高校生活まだ二年残ってるから、その間私の事好きになったら言ってきてくれるかな。
 私ずっと好きな気持ちのまま待ってるから――
 もし言いにくいなら、来年のバレンタイン――また屋上で待っているから。
 来てくれたら――また告白するから……」
 そこまで未練たらしく言うなら素直にイヤダって言えばいいのに。
 待っているからじゃなくて自分から何度でも言えばいいのに。今私の隣にいる馬鹿みたいに。
「オレのこと嫌いになれよ――嫌いになって好きなだけぶん殴っていいんだぞ……」
 よくわからないが自分が代理でぶん殴ってやりたくなってきていた。
「できないよ……。こんなに好きって気持ちなったの初めてだもん……」
 だったらなんであんた別れられるんだ? あきれめようとできるんだ?

 どれだけ無言の時が流れたのだろうか、
 三沢は声を上げて泣き出すのを必死に殺しながらこちらへ向かってきていた。
「田中……」
 ようやくこちらの存在に気づいたらしい。
「……なんていうか、さっきの話の一部始終見せてもらった。
 よくわかんないけど、あんたの代わりに
 あの勝手に自分の中で全部完結してるバカに一発ガツンって言っておこうか」
 ――頭の中で完結しているのはあんたも同じだけどさ。
 このぐらいの声なら向こう側の奴にも聞こえるかもしれないぐらいの声で喋っていた。
「いい……」
「ミカだっけ? その子の事は良く知らないし、細かいとこよくわかんないけど、あんたそれでいいの?」
「……いいよ、もう。これ以上嫌われたくないから」
 ――嘘いいなさい。泣きながらそんな事言っても説得力ないのに。
 そういって三沢ゆっくりと階段を下りていった。
「あんた馬鹿だね、言わなきゃわかんないのに……」
 視界から既に彼女が消えてしまってからそっと呟いた。
「あのさ俺の方なんだけど」ずっと黙っていたイノが口を開いた。
「あんたはもう少し黙っていなさい」
 ――もう一人の馬鹿にも言っておかなきゃいけないから。

 神埼は目を閉じ仰向けに寝そべっていた。
「おい、馬鹿二号」
 爪先で軽く神崎の頭を蹴って起こす。
 神崎は物憂げに目を少し開いてこちらの顔を見た後また目を閉じた。
「あんたさっきのでいいの? あんた二股かけてまで本当は何がしたかったの?」
 返事はない。
「何か言うことないの?」
 もう一度軽く爪先で頭を蹴る。
「……何も言いたくない」それだけ呟いてまた黙り込んだ。
 駄目だな、二人とも……
 もう一度頭を蹴り、屋上を後にした。

 無言のまま歩いていく私の目の前に慌ててイノが立ちふさがった。
「あのさ俺の話なんだけど……」
 こいつは別の意味で駄目だ。

        *        *        *

 私は嘘をついてしました。好きな人にずっと好きだっていえませんでした。
 私は嘘をついていました。ミカに頼まれたとき笑いながら返事しました。
 私は嘘をついていました。ミカと仲良くなっていくあなたを見てても想いを押し殺していました。
 私はその事を――言えなかった自分に後悔しています。
 だからこれ以上後悔しないため、告白しました。
 でもこういう結果になってしまったのに、あなたに告白してしまった事だけは後悔していません。
 言わなかったらもっと後悔していることになるのはわかっていたから――
 でも私はまた嘘をついてしまいました。
 あきらめようなんて気はなかったのに、嫌われたくないから、
 少しでも綺麗なままの思い出にしたいからと自分に嘘をつきました。
 きっと、このことは後悔します――

 

 駅でミカは俯いたまま待っていた。
「私ね、ふられちゃった。ミカとも別れるからって。馬鹿だよね私」
 ミカから返事はない。こちらすら向かない。私なんかと話したくないのは分っている。朝もそうだった。
「ミカ困らせようとか思ってあんな事したんじゃないから――ただ好きだったから。
 許してとかそういうのも言うつもりはないから――」
 結局ミカは私と同じ電車に乗った。
 ――でもミカからは何も言わなかった。

        *        *        *

 ――苛立っている。
 いつものならとっくに帰ってきている時間なのに、あの馬鹿はまだ帰ってきていない。
 一発引っ叩いてから怒鳴りつけてやろうと思っているのに。
 あいつの部屋に二つのマフラー。一方は編みかけ――
 どれだけ待ったか、階段を上ってくる音がする。ようやく帰ってきた。

 帰ってきた士郎の顔は朝よりもさらに悪くなっていた。
「遅かったわね」
「バス使って帰ってきたから……」
「今日何度電話かけても繋がらなかったんだけど――
 あんた、今日何してきた――」
 極力怒りを抑えるが声は低くなっていた。
「別に――姉ちゃんとは何も関係ない……」
 またこれだ。そんな顔してそんな事言って誰か信じるよ。
 一発ひっぱたく。
「人が聞いているんだからちゃんと返事しなさい!」
 返事を待つ。シロウの頬には綺麗に手の跡が残っていた。
「……二人とも別れようって言ってきた」こちらには向かず答えた。
 最低の選択だけは選ばなかったようだ。
 でもこの顔は最良の選択ではない――後ろから二番目の選択、
 かろうじて最低の選択だけは避けてきた顔。でもある意味最低よりさらに下かもしれない。
「で――あんたはそれが『そうしたい』と思ったの?」
 返事はない。
 ――やっぱり、か。
「あんた相手から嫌いだとか言われてきた?」
「――言われてない」
「じゃあ、なんで別れてきたの」
 こいつはまた黙りこむ。
「……言いなさい」
「こんな最低なの好きになってもらう――付き合う資格がないんだよ……」
「好きになってもらう、好きでいてもらう努力ってのはあっても資格なんてないよ。
 お互い好きでいられるなら付き合う理由ってのはお釣りがくるものよ」

「なあ――今から謝りにいったら許してくれるかな……」
 頭は下げたまま。でも声の調子は少しだけ変わっていた。
「知らないわよ、そんなの」少しだけ突き放してやる。
「――こういう時って嘘でも大丈夫だとかそういうの言わないか?」
「そんな無責任な事言った後に泣きながら帰ってくる奴慰める方の身にもなりなさい」
 頭を撫でてやる。少しだけ笑っていた。
「絶対笑いながら帰ってきてやるからな」
 そういいながら立ち上がっていた。

 見送りぐらいしてやろうと思ってたら、こいつはこの期に及んで玄関で深呼吸をしている。
 ――やっぱりムカついて来た。
 そう思って馬鹿のケツに思いっきりケリを入れてやる。
 そのままバランスを崩し面白いように玄関のドアに顔をぶつけていた。
「人が覚悟決めている時なにすんだよ」
「覚悟なんて決める必要ないよ。本当にやりたいことあっても、あれこれ考えるから迷う。
 本気で『そうしたい』って衝動があるなら行動しろ!」
「――行ってきます」
 そういいようやくドアを開けた。
「行ってらっしゃい」

 一つだけ最後に言い忘れた――あいつ頬に紅葉つくったままなんだよな。
 ま、いっかフッタその日に、その相手に告白しに行くっていうダサイことやろうとしているんだから、
 そのぐらいダサい状態で会いに行くぐらい。

        *        *        *

 ミカの家の前まで来て深呼吸をしようとしたらさっき蹴られたケツが疼いた。
 ちゃんと言わなきゃいけない。

 ミカの部屋に上がってもミカからは何も話してこなかった。自分から言わなきゃいけない。
「ごめんな――ずっとあいつの事好きだった。
 だからあいつから言われた時、お前と付き合っているのにああいう事になった。
 本当はもっと早く、最初の時に言わなきゃいけなかった事なのに」
「……私より好きななの?」
 彼女は俯いたままだった。
「……うん」
「……怒らないのか?」
「――だってシロちゃんが好きな人なんでしょ」
 彼女は泣きながら笑っていた。
「お前本当にいい奴だな――」
 本心からそう思った。そしてそんな子を騙して傷つけた自分が恥ずかしくなった。
「じゃあオレ今からあいつにも言ってこなきゃいけないから」
 そういって腰を上げた。
「ねえ――」部屋を出ようとした時、呼び止められた。
「また電話してもいいよね」」
「――いいよ。後ホワイトデーまでにちゃんとお返しするから……」返事はしても振り向きはしなかった。
 家を出るとき自分の瞳から涙が今にも溢れ出さない状態になっていることに気がついた。
 涙を袖で拭う――泣きながら告白するなんてかっこ悪いから。

「智子――」
 ミカの家から出た途端智子に会えた。会いたいと思っている時に会えた。
 言いたい事は山ほどある。でもありすぎてどれから話したらいいかわからない。
 胸に飛び込んでくる。本当はずっとこうして欲しかったのに素直に出来なかったこと。
「やっぱり私嫌だよ……士郎が誰か別の人好きになるなんて……」泣いていた。
「好きだよ――」えらく簡単に口から言葉が出た。何でこんな簡単な言葉今まで言えなかったんだろう。
 腹に冷たいものがのめり込んでいた。
 最初何が起きたのかがわからなかった。
 腹か何かが抜かれ、傷口から赤くて生暖かいものが脈打ちながら流れ出して
 ようやく自分の身に何がおきたのか理解できた。
 ――そうか刺されたのか。
 お前の気持ち全部受け取ってやるから――たしかバレンタインの朝にオレそんな事お前に言ってやったよな。
 これがお前の気持ち――そしてオレへの罰。
 ――二人ともから許してもらおうなんて虫が良すぎる話か。
 言葉を続けようとしたら、膝から力が抜け尻餅ついて倒れこんでいた。
 腹部から流れ出る血液とともに体中から力が抜けていた。
 ――腹ぐらい切られても結構なんとかなりそうな気がするのにおかしいよな。ひょっとして死ぬのかな。
 死という単語は浮かんだの不思議と恐怖といった感情はなかった。不思議と安心感すらある。

「好きだよ――ずっと好きだったんだよ」
 ――オレもだよ。
 言いたいことがあるのに口からうまく言葉が出ない。呼吸乱れと混じって漏れるだけ。
 抱きしめてやりたいのに手に力が入らない。すぐそこにあるのに抱きしめてやれない彼女の体。
 ――ごめんな、お前の気持ちずっと気づいてやれなくて。
 今頃オレから言いたい事があるなんて都合よすぎるよな。
「馬鹿だよ。馬鹿だよね私」彼女は嗚咽を漏らしながら話し続ける。
 ――オレも同じぐらい馬鹿だから気にするなって。
 自分の左手が智子の頬まで伸びた――なんだ動くじゃないかオレの手。
 指先は痺れて感覚なんてなくなりかけているくせに彼女の流した涙だけは何故かはっきりと感じられた。
 智子の嗚咽が酷くなった。
 ――今度は背中じゃなくて胸貸してやるからさ好きなだけ泣けよ。
 そんな想いが通じたのか彼女はオレの胸に顔を押し付けて嗚咽を漏らし続けた。
「ごめんね士郎……でも私もちゃんと後で追いかけるから……」
 体の感覚はどんどん鈍くなってくる頭の中がボンヤリとしている。

 怖くはない。辛くはない。
 でも――こいつとはもっと遊んでいたかった。

 話したいことがあるのに喋れない自分の口がもどかしかった。

 でもいい、今一番言いたかった事だけはいえたから――
 ――もし生まれ変わってもオレのこと好きでいてくれたらさ、オレのほうからちゃんと告白するからさ……。
 あんな変な付き合い方じゃなくて、あんな回りくどいことなんてしないて、ちゃんとチョコ渡してくれよ……。

        *        *        *

 ――こいつは天国へ行けた。
 冷たくなってしまった弟を迎えに行って顔を見た時、よくわからないがそんな感じ――確信に近いものを感じた。
 私は天国とかそういうものを信じていない。それでも何故かその時そう思った。

 

 自分と歳差のない人間の墓参りって初めてじゃないにしても、やっぱり変な感じがする。
 痴情の縺れから無理心中――近所の噂になるのは十分過ぎる内容だ。
 でも『無理』心中ではない。私にはわかる。 『そうしたい』っ思ってた事できた顔してたから。
「だからって死ぬことないでしょ。あんた後何年生きれると思ってたのよ。
 彼女と――どこかのドラマみたいに遺灰でも混ぜて一緒になってみたい?」
 答えるはずの墓石に問いかけてる。

 人の気配がしたので向いてみるとミカちゃんがいて、私の方へ深々と頭を下げていた。
「――これ返しに来ました」
 差し出されたのは折り畳まれたマフラー。あいつのだ。
 私の方からもちょうど用事があったんだ。もう葉桜になっているっていうのに。
 あいつが彼女へ送ろうとしていた編みかけのマフラー。
 それを渡そうとした時、彼女は少し戸惑っていた。
「続きは私が代わりに編もうかなとも思ってんだけど、私あいつと違ってそういうの苦手だから。
 ――嫌なら別に受け取らなくていいんだよ」
 別れた男、しかもずっと遠くに行ってしまった人間からのプレゼントなんて性質の悪いものだけど、
 彼女にはそれを受け取る権利があるから。
 彼女は少しだけ迷った後、それを受け取った。

「早く返して貰ってたら彼女の棺桶の中に忍ばせてやるぐらいできたのにね。あんたはどうしたい?」
 『別に――』、多分あいつはそんな事を言うに決まっている。本当は別に言いたいことがあるのに。
「私に頼みたい事があるんだったら枕元に立ってでも言ってきなさい」
 主のいなくなった部屋で独りむなしく喋っていた。
 少しだけ考えた後、返してもらったマフラー同様部屋に忘れ去られている彼女のマフラーに重ねておいた。

        *        *        *

 ――あの時私は事の一部始終を窓から見ていた。
 私が誰か呼べば二人とも助かったのかもしれない。
 でもしなかった。二人が嫌いになったからかもしれない。少なくとも羨ましいとは思っていた。

「ウソツキ」
 ホワイトデーのお返しするって言ってたのに。
 編みかけのマフラー。二人ともいなくなった今私はずっとこのままだ。もう乱れた編目を作ることもできない。
「十年会えなかったから、また十年ぐらいしたら会えるかな」
 白々しい台詞。現実から逃避しようと自分を無理矢理騙している言葉。
 『今電話していいですか?』――初めて彼にメールしたものと全く同じ内容のものを送信した。
 返信などこない。
 電話なんてかかってこない。
 そんな事なんてわかりきっていた事なのに独り部屋で彼からの電話を待ち続けた。
 ――馬鹿みたいだよ。
 心の中の誰かが囁いた。


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