不義理チョコ 第5回
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 今朝のミカはいつになく幸せそうな顔だった。世の中の暗い事、嫌な事なんて存在すら知らずに育ってきたような顔。
 ――どうしたらあんなに幸せそうな顔になるんだろう。
「トモちゃん、昨日私達凄い事あったんだよ。聞きたい?」
 ――聞きたくない。
 言いたくて言いたくてしょうがないって顔。ヨーコはもう聞いたのか、もう聞き飽きたって顔をしていた。
「電車、来たね……」
 ミカの顔は見たくなかった。近づいてくる電車に顔を向けていた。

「おはようさん」
 電車の中で神崎は待ってましたばかり顔だった。
「久しぶりにこれやろうか?」
 満面の笑みを浮かべた神埼の指には毛糸で作られた輪がひっかかっていた。

 電車の中で神埼とミカはまるで小さい子供の様にあやとりで遊んでいた。
 ついこの間まで殆ど話したこともなく、お互い言葉を選んでいた関係ではなかった。
 二人の間に昨日までの距離はなかった――昨日二人きりで何をしていたんだろう。
「あのさ、トモ、大丈夫?」ヨーコが心配そうに声をかけてくる。
「ただバカップルの気にあてられて、イラついてるだけだよ」無理にでも笑ってみせた。
「――そう?」少しだけ渋い顔になって覗き込んでいた。

「シロちゃんまたね」
「じゃ、またな」
 ――呼び方まで変わっていた。
 少しだけ名残惜しそうな二人の瞳。別れを惜しむ恋人の顔。
 ――二人の間に私の居場所はない。

 いつもの通学風景――のはず。
「お前もあやとりやるか? 結構童心に帰って面白いぞ」
 歩きながら神埼は私に糸をとれと言わんばかり手を出していた。
「いい……」
 そんな事しか言えなかった。

 

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 昼。
「行儀悪いよ」
 サンドイッチを咥えながらミーちゃんからのメールを返信しようとしていたら、三沢がそんな事を言ってきた。
 お前も時々やっているだろ――そう言い返そうとしたが、元気のなさそうな顔を見るとあまり軽口を叩く気にはなれなかった。
 ミーちゃんと一緒にいる間は気づかなかったが、意識すればするほど変に思えてくる。昨日の放課後屋上で話した時笑ったので少しはマシになったと思ったが今朝になるとやっぱり元気がなかった。
 少なくとも向こうからは失恋話については全く話してくる気配はない。
 人が付き合い出したばかりだから気を使っているのかもしれない。でも、こいつはとは気兼ねなく話せる関係だとは思っていた。
 そんな事を考えていると、彼女に言えずに結局心の引き出しの奥にしまいこんでいた言葉が出てきかけていた――慌ててそれを再び奥にしまい込むことにした。

「週末空いてる?」
 田中が尋ねてくる。いつも通り遊びに行かないかの誘いだ。
「オレ、空いてない」
 ――デートの先約が入っているから。
「私、友達と遊びに行くから」
 三沢はきわめて普通の振りをして言っている――がやっぱり変な感じがある。
「今日の放課後は?」
「ついさっき用事が入った」
 さっきのメールで編み物教室二日目決定したから。
「ふーん――例の彼女?」
「まあな」
 少しだけ勝ち誇った顔で笑ってやる。
「私達女の友情なんてそんなものなのね!
 このケダモノめ!ケダモノめ!
 英語で言うとアニモー!家畜人ヤプーめ!」
 田中は少し怒った振りして、そんな事言いながら消しゴムを投げてくる。
「意味わかんねーぞ田中」
 笑いながら返すいつもの冗談。いつもなら乗ってくる三沢は全然のってこない。
 横目で見れば、無理矢理頑張って笑ってるふりをしている――痛々しい。何とかしてやりたかった。

 放課後の屋上。
 ――やっぱりいた。
 フェンス越しにずっと遠くの風景を見つめている。
 そういえば、こいつ何で屋上にいるんだろう。ふとそんな疑問が浮かぶが今は大した問題ではない。
「お前今、相当変だぞ。相談ぐらいならいくらでものってやるからさ」
「あんまり言いたくない……」
 話しかけても、こちらにすら向こうとはしなかった。
「アドバイスしてやる自信はないけど、愚痴ぐらいだったらいくらでも聞いてやるぞ――まあ友達だから」
 三沢の方は俯いたまま何も言わない――まあ言いたくないのならしょうがないか。
 お互い何も言わない、二人きりの屋上に気まずい空気だけが流れる。
「好きなった奴には私以外に好きな奴がいて、そいつとはもう付き合ってる――それだけ」
 聞こえるか聞こえないか程度の、長い沈黙の後になってようやく搾り出された小さな声。
「そりゃ仕方ないか……」
 出来るとは思っていなかったが、やっぱりアドバイスなんて出来なかった。
 再びフェンスにもたれかかって流れる沈黙の時。
「……オレ、そろそろ帰るけどいいか?」
 向こうから何もいってこないんじゃ、オレなんかじゃもう何も言いようがない。
 頭をかきつつ屋上を後にする事に決めた――思いっきり後ろ髪を引かれていたが。
 背を向け重い足をどうにか動かし始めた時に、背中から何かが飛びついた。
 その何かが何であるかを理解するのに若干遅れた――三沢に抱きつかれている。
 ――何だよこの展開。
 頬が外気で冷やされ、まだ暖かいとは言えない気候の中なのに背中だけが熱い。彼女の体温を感じている。
 その事に気づいた時、自分の心臓の鼓動が早くなっているのに気がついた。
「おい……」
 声を出そうとするが、うまく声が出ない。
 何と言っていいかわからない。
 振り向けない。
 どうしたらいいかわからない。
「少しでいいから……少しでいいから背中貸してよ……」
 背中からの声は泣いていた。
「……ちゃんと後で返せよ」
 背中の方では泣かれているから、前の方では少し無理して笑ってみせた。

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 人前で遠慮なく泣いたのっていつ以来だろう――。
「ありがとう……すこしはスッキリした」
 ――意外と広かったんだ、こいつの背中。
 ハンカチで自分の顔を何度も拭く。
 あいつは少し困った顔を見せながら鼻先をかいている。
「なんかあったら、今度は私の胸貸してあげるから」
「いらねえって」
 自然と笑い零れ落ちていた。多分バレンタインデー以来だ、自然に笑っていたなんて。
「髪切ろうかな、私」
 ――今度こそ忘れなきゃいけないから。
「ま、そんときゃ付き合ってやるよ」
 軽く笑うあいつ。
「あんた馬鹿じゃない?」
 また自然と笑いがこぼれる。ようやく何でこんな奴が好きになったのかわかった気がした。
 二人でいる時間が心地いい。

「ミカとさ――仲良くなったよね」
 ――最初の頃は絶対長続きしないと思っていたのに。
「ああ? 昨日話さなかったっけ?
 昨日話した思い出の女の子がミーちゃんだったんだよ。
 十年ぶりだからお互い全然気づかなくて初対面と思って緊張してさ、スゲー馬鹿みたいだろ」
「なに、それ」――笑ってみせる。
 ――思い出の女の子か。
「ほら、あんたミカ待たせてんでしょ」
 そう言いながら神崎の背中を押してやった。

 ――ホント小さな子供みたい。
 電車の中であやとりしながら遊ぶ二人は体こそ大きいものの、まるで子供みたいだった。
「トモちゃん、またね」
「またねって、ミカあんたもこの駅でしょ」
 相変わらず、どっか抜けている子。
「昨日私の家だったから、今日シロちゃんの家でやるんだ」相変わらずの無邪気な笑顔。
「まっ、そういう事」少しだけ恥ずかしそうな神崎。
「そっか……」
 ――恋人だもんね、一応。

 ――何で私、ここにいるんだろう。
 神埼とミカを見送った後、何故か私は一本後の電車に乗った。
 私の足は自然と神埼の家へ向かっていた。
 前に一度だけみんなと行ったことのある神崎の家。
 まるで誰かに誘われるように住宅街の路地を迷うことなく突き進んでいる。
 そして直ぐに神崎の家の前へ来ていた。
 ――わからない。何でここに来たのか。ここで何をしたいのか。
 今頃二人きりで何をしているんだろう。そんな事を考えて神埼の部屋を見上げる。
「うちに何か用?」
 後ろから女の人に声をかけられた。その一言で全身の気が逆立ち、ボンヤリとしていた頭が覚醒をした。
 後ろを向けば制服を着た知らない女の人。
「シロウの友達? そのマフラーってもしかして――」
「ごめんなさい」
 何を言っていいか分らず、怖くなってその場から全力で逃げ出した。
 少し走って息が切れて足を止めた。
 ――私何をしているんだろう。
 その疑問に答えてくれる人は誰もいない。

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 母親が帰ってくるのが遅い日。彼女と二人きりの我が家。
 ――よく考えれば滅茶苦茶美味しい状況じゃないのか、コレって。
 オレの家でやりたいと言った時は全く意識してなかったが、今になってようやく気がついた。
 そんな事を意識し始めた頃になって一階から短い間隔の音。それは一気に階段を駆け上がってくる音。
 ――なんでこういう日に限って早く帰ってくるのかな。
「――変なのが来るかもしれないけど気にしないでね」
 思いっきり嫌な予感がするから彼女には予め警告しておくことにした。
 嫌な予感の発信源である足音は一直線にこちらに近づいていた。
「ただいまー。あ、シロウ、友達来てたの? よろしく」勢いよく背後のドアを開け、
 いかにも誰か来てたのしりませんでしたって振りして話しかけてくる。
 なんでワザワザ、オレの部屋へ直で帰って来るんだろう。
 このわざとらしい言い方は多分玄関の靴で気づいたんだろうな。
「おかえり。じゃあね、バイバイ」
 大体どんな顔をしているが想像出来たので振り向くことなく返事をする。
「シロちゃん、この人って?」
「シロウの妻です」声色一つ変えることなくさらりと言ってくる。
 ――何でこういう冗談いうのかなこの人は。
「えっえっ? 結婚してたの?」目の前のミーちゃんは目を白黒させている。
 ――何でこういう冗談を真に受けるのかな、この子は。
 天然とか純朴を通り過ぎて素直に馬鹿と言ってやったらいいかも知れない気がする。
「義理の姉、神崎涼子。歳は一つ上。以上」
 放っておくと何をしでかすかわからなくなってきたから腰を上げ、無理矢理部屋を追い出すことに決めた。
「ちょっと待ちなさい、そっちの子の紹介終ってないでしょ」
「月島美香、オレと同い年。以上」
 それだけ言って部屋の外まで追い出す。
「シロちゃん、お姉さんと結婚しているの?」本気で尋ねている目だ。
「――違うって」
「え、お姉さんじゃなくて――」
 ――本当に大丈夫かな、この子……

 ――なんだろう。嫌な予感が収まらない。
 また階段を上ってくる音がする。ただ今度は普通に上ってくる。それがかえって嫌な予感を膨らませた。
 キッチリノックをしてからドアを開ける――でも返事を待たずに開けていた。
「いやー、悪いわね、愚弟はお客様にお茶の一つも出さない子で」
 かなり早いご帰還だ。紅茶を淹れて来たのか――体の良い侵入理由だ。
 ミーちゃんに一つカップを渡し、自分に一つ。
 ――盆の上に何故かカップが一つ余っている。
 盆の上の方にある顔は不敵な笑みを湛えている姉の顔があった。
 しばしアイコンタクトでの会話。その結果、無言でそのカップをとり自分の前に置く。
「サービスしてくれたんだ。ありがとう」
 盆の上にある顔の口元が歪む。
「じゃ、じゃあね」
 背を向けた今となっては顔は見えないがきっと歯を食いしばっているに違いない。
 ――勝った!
 拳を握り締め小さくガッツポーズをとる。
「シロちゃんのお姉さんって一個多く持ってくるなんて親切なんだね」彼女は真顔でそんな事を言う。
 ――ひょっとしてコイツは会っていなかった十年間の間に体は成長しても頭は成長していなかったのかもしれない。

 

 ――まだ嫌な予感がする。
 そもそもあの程度で尻尾みせていくような性格だとは思っていない。
「なにやってんだよ姉ちゃん……」
 カーテンを開けてみると隣の部屋から繋がってるベランダを通ってオレの部屋の前にいた。
「シロウちゃんは、もうお姉ちゃん嫌いなんだ」
 やたら芝居がかった話し方で泣きまねすらしてみせる。
「生まれた時からずっと見守っていたのに」
「――オレ姉ちゃんと初めて会った時にはもう8歳だったんだけど」
「私なんかよりずっと小さかったのに、背ばっかり大きくなって……」
「――初めて会った時は目線の高さ同じだった気がするんだけどさ」
「虐められて時、守ってあげたのに」
「――姉ちゃんに虐められてた記憶なら一杯あるんだけど」
 ――訂正。これは現在進行形。
「小さな頃は一緒にお風呂入ったのに」
「――入ってない」
「大きくなったらお姉ちゃんのお嫁さんになるって」
「――言ってない」
 過去を次から次へとどんどん捏造しながら身振り手振りが段々大袈裟になってきた。
「姉ちゃん、嘘はそのぐらいにしてよ」
 ――後ろにいる子がうっかり信じちゃうから。
「怖いテレビ見たから一人で寝れないって言ってきて」
 ――それは言った。
「中学に上がるまでヌイグルミと一緒に寝てて――」
「……姉ちゃんゴメン」
 放っておくとエスカレートしそうな気がしてきたので素直に頭を下げた。
 上目遣いで姉を顔を覗き見ると腕組みをし勝ち誇った顔があった。

 結局、彼女は小姑にとって格好の玩具だったらしく、変な事を吹き込む、
 オレが訂正するのローテーションが帰るまで延々と繰り返された。
「姉ちゃん……もう変な事を言うのやめてくれよ……」
 彼女を見送った後、滅茶苦茶疲れた体で意味のないであろう釘を刺しておく。
「『この泥棒猫め』『このさかったメス豚め』『私のお腹にはもう赤ちゃんが』とか言って欲しかったのかな」
 楽しくってしょうがないって顔だ。
 ――神様なんでこんなのが一つ屋根の下に住んでいるんですか?
「そういや、言い忘れてたけど」
「なんだよ?」
 どうせロクでもないことに決まってる。
「今日他の子と遊ぶ約束とかしてた?」
「いや、別に」
 一応誘われてたけどキッチリ断ったし。
「――ふうん」
 何か意味ありげな笑顔だった。

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 ――なんでここにいるんだろう。
 自分がここにいる理由がわからなかった。あれから意味もなく神崎の家の周りをうろついている。
「トモちゃん、ここで何しているの?」ミカだ。
「……ちょっと――ね」
 自分でもなんて答えたらいいかわからず、返答にならなかった。
「じゃトモちゃん一緒に帰ろうよ」
 今まで一度も人に対して疑いを抱いたことのない顔。
 裏切られたり騙されたりなんてした経験は一度としてないのかもしてない。
「……一緒に帰ろうか」
 ――私がここにいる理由なんてないんだから。

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 人がせっせと編んでいる中、こいつは人の部屋で漫画など読んでいる。
「シロちゃん」人を猫なで声で呼んでくる。
 無視して手元の作業に集中する。
「シロウ、彼女にどんな事教えてあげたらいいと思う?」
「……なんだよ」
 思いっきり嫌な顔をして睨んでやる。
「前にあんたがマフラー上げた子って今どうしてる?」
「別に――」
 只今失恋で落ち込んでいて、今日背中で泣かれましたなんて正直に言ったら何言われるかわからない
 ――そんな事を考えていたら知らず知らずのうちに眉間に皺がよっていた。
「――ふうん、そうか」
 少しだけ何かに納得した顔をしてうなずいていた。


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