不義理チョコ 第10回
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        *        *        *

 ミカへのマフラー。全然進まない、集中できていない。別の子の事を考えている。
「シロウ、彼女とケンカでもしたの?」
 いつものように人の部屋で漫画を読みながら姉ちゃんが、
まるで今日の夕飯は何かを聞くか、そんな感じそんな事を言ってきた。
 多分、顔に苦悩の色が出ているのだろう。
「別に――」
 彼女――ミカとは何もない。むしろケンカでもしている方がよかった。
そっちの方はもっと単純でオレが謝ればいいだけだから。
「……どっかで完全に吹っ切って忘れた方が楽だよ――それが自分の意志ならね」
 こちら側からは何も言ってないのにまるで何かわかったような口調。
 知った風な口を言って欲しくない。
「――別にケンカなんかしていない」
 これ以上は説明する気はない。したくない。放っておいて欲しい。
「頭の中で下手な理屈捏ね上げてると本質から遠ざかるからね――」
 何処か悟った様な思わせぶりな言葉を吐いて、そのまま部屋から出て行った。
 ――人の事何もわかってないくせに。
 結局マフラーを編む手は止まっていた。
 何でこんないい加減な奴の事好きだ何て言う奴がいるんだ――

「はい、これ。昨日より頑張ってみたんだ」
 電車の中で満面の笑みでミカは昨日と同じ包みの弁当箱を渡してくれた。
「……ありがとう」
 ――頑張らなくていいのに。こんな嘘つき相手に。
 本当はもっと気の利いた感謝の言葉を出すべきなのに、それ以上言葉が続かない。
「お母さんが、久しぶりに会いたいから、また連れてきなさいって」
「あ――うん」
 なんでもない会話の筈なのに心が痛い。
 受け取った弁当箱はとても重く感じた。

 そういえばいつも一緒にいるはず智子の姿が見えない。風邪でも引いたのか――
「あのさ、神崎君」
 深井さんから話しかけられた。そういえば朝の電車ではいつも一緒にいるとはいえ殆ど話した記憶がなかった。
「なに?」
 顔を向ければそこには何か睨むような形相があった。
「……いや、やっぱり何でもない。多分気のせいだと思うから」
 彼女はミカの方へと視線を一度移してから結局口を閉じた。
 言いたいことがあるならはっきり言えよ――それはオレも同じか。

 

 空が高い――昼休みの屋上でそんな事を考えていた。
 日が沈むとまだまだ寒いが、風のない日中はうっすらと春の陽気すら感じさせるものがあった。
 別に友達同士が一緒に昼を過ごすなんて普通の事だ。でも今オレがやっている事は背信行為以外の何者でもない。
 今手元にある弁当箱、それが罪悪感を増大させていた。
 もうやめよう――って言えたら楽なのに。
 ――誰に言うんだ。
 本当はわかっている癖に――

「……これ」珍しく控えめな声。
 差し出されたのは弁当箱。
「どうしたんだ、それ」
 ――聞かなくても意味ぐらいわかっている。
「今日早起き作ったんだ。でも流石に遅刻しそうになってね」
 そうだこの顔、今朝のミカと同じ顔。
 手元には既に蓋のあいた弁当箱。
 今手元にある弁当箱と彼女の手の中にある弁当箱、二つの間を目は何度も往復していた。
 目を彼女の方へ向ければさっきまでの表情は小さく震えていた。
「いや――もうあるし……」
「捨ててよ!そんなもの!」
 そういうなりオレの手から強引に奪い取り中身をぶちまけた。

 ――ごめん。
 この場にいない彼女に心の中で謝った――でもこんなこと彼女には言えない。
そんな勇気も覚悟もない。ただ無理にでもいつもの顔をして一緒に過ごすことしか出来ない。

 彼女は泣きながら激昂していた。
 彼女の顔――知っている顔。
 ずっと昔見たことのある顔。忘れてしまいたいぐらい昔――
 思い出したくない頃の――

「なんで!なんでよ!どうして私を見ていてくれないの!」
 変な物思いにふけっているいる時じゃない。彼女の両肩をつかみ体を揺さぶる。
「おい、おちつけって!」
 その一言で我に返ったのか今度は急に黙り込んだ。
 俯いたまま彼女は何も言わなくなっている。
「……ごめん」小さな声
 それだけ
 無理にでも引き止めるべきなのだろうか。
 ――結局出来ないまま屋上を立ち去る彼女を黙って見送った。

 一人残された屋上
 残ったものはぶちまけられた弁当とまだ手の付けられていない弁当箱。
 指先で残された弁当箱を二度叩く。
「なあ――こういう時ってどうしたらいいのかな」
 物言わぬ貯水タンクに話しかけている。
 意味のない行為――わかってる。

 ――悪いのはオレだ。

 

        *        *        *

 昼が終ってからも士郎からは話をしてこようとはしてこなかった。
 放課後になっても黙ったままだった。

 ミカにお弁当箱を返している――私のじゃ駄目なのかな。
 二人は何か話しているけど聞こえて来ない。
 惨めだ――

 嫌われた――かな。
 何で私あんな事しちゃったんだろう――
 困らせようとかそういう気はなかったのに――
 喜んで欲しかっただけなのに――
 一緒に話して、一緒に笑っていたかっただけなのに――

「トモちゃん」
「え、あ、うん?」
 ミカから声をかけてようやく降りなきゃいけないこと気づいた。
 慌てて電車から飛び降りる。
 士郎も別れの挨拶ぐらいしてくれもいいのに――

 ――謝ったら許してくれるかな。
「ごめん、ミカ。用事思い出したから」
 駅を出てから踵を返した。ちゃんと話そう。駄目だったらその時は――
 最後にもう一度、さっきまで隣にいたミカの方を見る。
 なんであのコが士郎の心の中にいるんだろう――

 

        *        *        *

 無言でベットに寝そべったまま天井を見上げる。
 何をしていいのかわからない。
 本当はやらなきゃいけない事がわかっている癖に、その覚悟がない――
 電話が鳴る。相手が誰かも確認しないまま電話に出る。
「もしもし、私メリーさん。今あなたの家の前にいるの」
「……変な冗談はやめてくれよ」
 電話は智子からだった。
 そういえばこの冗談オレが昔やった奴だった。
「――ごめん。顔見てちゃんと話したかったから……今家の前にいるけど会ってくれるかな?」
「……上がって来い」
 ――何話したらいいんだよ。
 
 玄関から上がってきた彼女は何も言わずに只ついてくるだけ。
 部屋の中で腰を下ろしても黙っているだけ。
「なあ上着ぐらい脱げよ」
「……うん」
 それだけ言ってマフラーを外して上着を脱いだだけ。それだけだった。
 オレの送ってやったマフラー。なんであの時好きだって言えなかったんだろう。
 オレもあいつも座り込んで貝のように口を閉じたまま。
「……ごめん」ようやく彼女から聞けた言葉はそれだけ。
 ――こんな関係嫌だって一言言ってくれればオレの中での決着はつくのに。
「何か飲む物淹れてくる」
 多分今日はこのまま何もないまま終る。そんな気がした。
 腰を上げようとした瞬間両肩を掴まれていた。

 しばらく何が起きているのかに時間が必要だった。
 目の前に彼女の顔があった――
 自分が仰向けに倒れていた――
 彼女が自分に馬乗りになっていた――
「ねえ――しようか?」
 彼女はなんで泣きそうな顔になりながらこんな言葉を吐くのだろう。
「……そういう気分じゃない」
 彼女の顔を見ていられず顔を背けた。
 衝動だけに任せて生きられたらどれだけ楽なのだろう。
 今その衝動に従うと大事なもの全部壊れてしまう気がした。

 

「私の事嫌いになっちゃった……」泣き声がした。
 ――お母さんの事嫌いになった?
 その声で顔を戻すとなやはり泣いていた。そうだ、この顔だ。
 ようやく思い出した昼間のコイツの顔。子供の頃お父さんとケンカしてた頃の母さんの顔だ。
 大嫌いだった顔。でも母さんは嫌いになれなかった。
 ケンカした後ボクと二人きりになった時、そう――今のこいつと同じ様な顔をしてそんな事を言っていた。
 この時の顔を見ていたら辛いことも少しは我慢できる気がしていた――
「……そんな事ない」
 こいつの事嫌いになれたら楽なのに。何のためらいもなくこの体を押しのける事が出来るのに。
 こんな関係止めようって言えるのに。
「じゃあさ――抱きしめてくれるかな」
 そういいながら彼女の体重は既にオレの体に預けられていた。
 自分の手は無言のまま彼女の背中にまわっていた。
 ――最後までやらなければいいって理屈か、ただの偽善だ。

 抱きしめている体が震えているのに気がついた。
 オレか震えているのかもしれない――
 それとも彼女か――
 ――どっちでも変わらない。中途半端な状態をズルズル引き摺っているオレがいるだけ。

 彼女を抱きしめたまま仰向けの状態で天井を見上げる。
 今抱きしめている彼女ではなく別の女の子の事を考えていた。
 ――お前はこんな関係でいいのか。
 いま心はどこか遠くにあった。

 最低だな。

 

        *        *        *

 視界の隅に編みかけのマフラーがあった。私のとよく似ている、ミカへのだ――
 こいつはまだミカと付き合っているから。ミカと私、どちらが好きと言う質問は出来ない。
 もし私じゃなくてミカを選んだら、私きっと――

 でもいい――
 今こうしていられるから。
 こうして抱きしめられていると嫌な事何も考えずに幸せな気持ちになれるから。
 こうしている間は私の事だけを考えていてくれている。私だけ見ていてくれている。
 ずっとこうしていたい――

 体が震えているのがわかった。
 ――士郎もひょっとした怖いのかな、だからさっき拒絶したのかな。
 そう思うと彼との境界線である服がとても邪魔に感じてきた。
 でもやらない――士郎を困らせたくないから。

 十分か一時間か、とにかく時間は流れていた。
 彼の手が背中を軽く二回叩いた。
「そろそろ姉ちゃん帰ってくるから――そろそろ、な……」
「……うん」
 ずっとこうしていたいのに――
 でもしかたないよね。
 士郎から体を離そうとすると不思議な感覚だった。
 まるで一つに溶け合っていたものを無理矢理引き剥がしていく感覚。体は一緒にいたいって言っている。
 やっぱり嫌だ――ずっとこうしていたい。
 本当はこんな中途半端で人目を忍ぶような関係じゃ嫌だ。
 いつも一緒に居たい。みんなにこいつは私の恋人だって自慢してやりたい。
 なんでもっと早く言わなかったんだろう。そうすればもっと一緒にいられた。
 ミカの事なんて気にする必要なかったのに。士郎をこんな風に困らせる事もなかった。

 ――馬鹿だよね。

 そんな事を考えていると自然に涙が流れていた。

「ねえ、土曜空いている?」
 今士郎の方を向いちゃいけない。泣いている顔をみせる事になるから。
「ごめん――」
「……ミカと?」
 士郎の返事はなかった。返事してくれないって事はそうなんだろう。
 ――私何をしているんだろう。


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