妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第2章 第6回
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 兄さんとの生活はかつて思い悩んでいたよりもずっと平穏だった。
 それがたとえ、他者に極力干渉しない都会の暮らしだからこそ得られる偽りのものだったとしても。
 それこそ生まれたときからずっと一緒に暮らしてきて、今さら意見の相違で仲違いなどするわけもない。
 わたしは、かつて夢見ていた世界で生きている。
 しあわせすぎて、ふと気がつくと涙を流していることが多い。
 ―――どうにも情緒不安定。だめだこんなんじゃ。兄さんが心配する。
 
 兄さんの帰りはいつも遅い。
 本当にやりたかったこととはちょっとずれてしまっているらしいが、真面目な兄さんのことだ。
 やるべきことをきちんとこなして、それを評価された上で仕事が忙しいなら素晴らしいことだろうと思う。
 そんな兄さんに、わたしがしてあげられることは何だろう。
 それはきっと、平和な日常を守ることだ。
 仕事から帰ってくれば部屋には灯りがともり、
 栄養のバランスの考えられた食事が黙っていても出てくる。風呂は既に沸いている。
 疲れていても安心して戻ってこられる住処を保ち続けること。それがきっと、良妻の役目だ。
 時代錯誤と言われようがかまわない。
 結局のところ、しあわせは自分たちの内側にしか存在しないのだから。
 
 肉じゃがを作ることにした。
 私の作るものは何でもうまいうまいといって食べてくれる兄さんも、
 これだけは別格らしく、目の色を変えて喜んでくれる。
 じゃがいもの皮を剥きながら思う。
 兄さんは、わたしの作った料理を食べて命を繋いでいるのだ。
 まいにち、まいにち、ずっと、ずっと、ずっと、これまでも、これからも……
 背筋がぞくぞくする。
 それだけで、いってしまいそうになる。

 ……またやってしまった。
 多種多様なわたしの体液でどろどろになってしまった兄さんのワイシャツを前にうなだれる。
 以前にも同じことをやって、洗濯籠の中で被害者を見つけた兄さんにとても微妙な顔をされて以来、
 もうやめようと思っていたのだが。
 毎晩のようにあれだけ愛されて、まだ足りないというのだろうか。
 業の深い嫁だ。本当にそう思う。
 ……でも、まあ、兄さんが調教した躯だからね。
 暴走の責任は、開発者に取ってもらうことにしよう。うん、そうしよう。
 ……今からあらためて準備、しちゃおうかな、と指を伸ばしたとき、
 テーブル代わりに使っているコタツの上の携帯が振動した。
 濡れていない左手で何とかヒンジを開く。
 えーと……?
『会社の上司と飲みに行くから、晩飯は先に食べててくれ。
 遅くなるかもしれないから、その時は俺を待たずに寝ること。』
 ……疼きはますます、ひどくなるばかり。

 何だか最近、とみに帰りが遅い。
 帰ってきたらきたでいつもお酒臭いのも気になる。
 自分の仕事ぶりがきちんと理解されていて、
 昇進もそう遠くないことかもしれないというのも兄さん自身から聞いて知っているし、
 それを踏まえた人付き合いというのもきっとあるのだろう。
 それでも、こう毎度毎度酔っ払って帰ってくるのはあまり気分のいいものではない。
 わたしと部屋で飲むのでは駄目なのだろうか。駄目に決まっている。
 ……会社の人にやきもちを焼いてどうするというのだろう、わたしは。
 待つのは慣れていても、やっぱりつらいものはつらい。
 
 久しぶりに、メールが来なかった。
 決して多くはない、早上がりの日だ!
 しかもタイミングのいいことに、今日のメニューは兄さんの大ッ大好物のカレーである!
 たとえ殴られようが誰にも教えてはいけないと、母に念を押されたレシピに基づく代物だ。
 パートが休みの日なのをいいことに、朝から丁寧に作った甲斐があったというものである。
 おもむろに鍋のふたを開ける。
「……愛情、愛情、あいじょう、あいじょう、あいじょう、あいじょう、あいじょう」
 いそいで閉める。
 ……これでますますおいしくなる、はず。
 
 …
 ……
 ………
 
 ……帰ってこない。
 やることもないので部屋を掃除し、洗濯物をかたし、何故か薄く化粧までしてしまったというのに。
 最初こそ怒りもあったが、時計の短針がつり上がる頃になるとさすがに不安になる。
 連絡を入れようにも、携帯は電源を切っているのか繋がらない。
 月面にひとり、置き去りにされてしまったような感覚。
 外に出ている兄さんとわたしを繋ぐのは、この手のひらサイズの小型機器だけだ。
 昔の人は本当にえらい。
 こんなものがなくても、たとえば手紙だけで年単位の時間を耐え忍んだのだから。
 わたしには絶対できない。
(……連絡ひとつ入れてくれるだけで、ぜんぜん違うのに)
 目が覚めたら、一度お説教しよう。
 散ってしまったぬくもりをかき集めるように、
 兄さんの匂いのする毛布に包まれて眠りについた。


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