妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第2章 第5回
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 さすがにそういう宿に連れ込むつもりなどさらさらなく、
 駅前のビジネスホテルに飛び込みで部屋をとる事にした。
 受付のお姉さんにダブルの部屋もありますよ、と気を利かされてしまって赤面する。
 言われてみれば、カップルでシングルの部屋っていうのは逆に生々しいな……
 樹里ちゃんを背負ったままエレベーターに乗ったはいいが、
 たまたま乗り合わせた眼鏡のエリートサラリーマン風の男性がぎょっとする。
「あ、あはは……」
 ……犯罪だと思われないことを祈っておく。
 
 樹里ちゃんをベッドに寝かせ、スーツを脱がせ、シャツのボタンを開けてやる。
 ……躊躇したが、スカートも脱がせてしまうことにした。
 たとえやましい気持ちはなくても、ここだけ写真に撮られてたら間違いなく後ろに手が回るだろうな、
 なんて馬鹿なことを考える。
 楓で女性の体は見慣れたと思っていたが、友人の裸だと思うと変な艶かしさがあるな。
 黒のストッキングに包まれた下半身はどうしようもなく蟲惑的で、思わず吸い寄せられそうになる。
 ……いかんいかん。せめて楓に履いてもらって、それで遊ぶことにしよう。
 エアコンを調節して、加湿器をセットして、ついでにアラームもセットしておこう。七時でいいだろうか?
 準備万端整えて、後はメモを残して去ろう。
 起きたら知らないホテルの部屋で半裸だった、なんて動揺させたらかわいそうだからな。

 

「……先輩」
 樹里ちゃんはベッドに横たわったまま、視線を彷徨わせている。
「ああ、起きた? えーっと……」
 どこから説明したもんかな。へまをやるとマジで犯罪者にされかねん。
 だがそこはそれ、頭の回転の速い樹里ちゃんのこと。
 アルコールでクロック数が極端に下がった大脳をフル活用すること7秒弱、現状の認知へと至った。
「……今日は本当にすみません」
「いや、いいよ」
「式は神前式がいいです」
 責任取らされるようなことやってねえ。
「冗談です」
 一瞬、目が本気だったような気がするのは忘れよう。
「のど渇いてない?」
「……はい、少し」
 買ってきておいたスポーツドリンクのペットボトルを渡す。
「……何から何まで、今日はお世話になりっぱなしですね」
「気にしないで、なじみの友達じゃないか」
「……ともだち、か……」
 樹里ちゃんはベッドの上に体育座りして、窓から夜景をぼんやりと眺めている。
 その顔を、一瞬だけひどく冷たいものが通り抜けたような気がしてぞっとする。
 おれが想像している以上に、疲れているのかもしれない。
 
「……先輩?」
「うん……?」
「どうして私が、父の秘書なんかやってるんだと思いますか?」
 ってことは、やりたくてやってるわけじゃないんだな。
「……私、近々結婚しなくちゃならないかもしれません」
「け、結婚!?」
「……父が秘書として私をそばに置くのは、私の婿探しのためです。
 弁護士は仕事上、本当に様々な人間との付き合いがあります。
 その中から前途有望な若い男性を見つけて……」
「そんなことって……」
「あるところには、あるみたいですね」
 まるで他人事のように、樹里ちゃんは淡々と言葉を紡ぐ。
「……私が文学部なんて、半ば趣味みたいなところに居られたのは父との約束があったからです。
 大学までは自由にさせてやる、その代わり卒業したらすぐに結婚して子を作れ、と。
 ……父には持病があります。一年二年でどうこうなるようなものじゃありませんが、
 それも父を焦らせているんでしょうね」
 樹里ちゃんは、自分の膝を抱きかかえるようにして、膝頭に顔を埋める。
「……ねえ、先輩……?」
「……うん」
「……なんか、もう、疲れちゃいました」
 この子は、ずっと人知れず戦っていたのだ。
 何と向き合えばいいのか、誰が敵なのかすらよくわからないまま、近づいてくる足音に怯えていたのだ。
 瞳を潤ませて、樹里ちゃんがしな垂れかかってくる。
 はねのけるのはたやすい。だがそれで失ってしまうものはあまりに大きすぎる気がする。
 彼女の重みを受け止める。優しい体温。一瞬だけ楓の顔が脳裏をよぎる。
 これは裏切りだ。いずれ楓も、樹里ちゃんすらも傷つけるだろう。
 それでも手を、差し伸べずにはいられなかった。

 

 新雪を踏んだのはこれで二度目のことになる。
 自然な行為とはいえ、女の子が顔を歪めて痛がるのを目の当たりにして愉悦を感じられるほど、
 おれはサディストではない。
 樹里ちゃんは弱りきっていた。
 それに追い討ちをかけることになりはしないかと心配したが、彼女は最後まで要求した。
 それに応えるのが正しかったかどうかは、今となってはわからない。
 ただ、おれを使った自傷でなかったことを信じたい。
 静かに穏やかな眠りを食む彼女の姿はいとおしい。
 誰に肯定されずとも、その心音だけは確かだった。


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