妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第2章 第4回
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 わりかし頻繁にメールが来るようになった。
 電話も来るようになった。
 ちょっと気まずい別れ方をしていたから、嫌われていたわけではないとわかってちょっとほっとする。
 と、噂をすればなんとやらだ。
 
 お仕事お疲れ様です。
 良かったら今夜、また会えませんか?
 美味しい焼酎を出すお店があるんです。
 お返事待ってます。
 
 焼酎ときたか。また渋い趣味だな。親父さんの影響だろうけど。
 よろこんでお供します、っと。送信。
「奥さんとメール?」
「え、ええまあ。そんなとこです」
 澤田さんが興味深げにおれの携帯を覗き込んでくる。
「ちょ、勘弁してくださいよー」
「若いってのは……いいねえ……」
 黄昏ながら自分の席に戻っていくおやじ一匹妻子有り。
 言うほど年、離れてないと思うんだけどな……
 実は結構、年いってるのかな? 係長なのに。

 
 待ち合わせに指定された駅のホームを出る。時間はまだちょっとあるな。
 楓には会社の付き合いって言ってあるが、毎回酒の匂いをさせて帰ってくるとまずいかなあ。
 最近は随分落ち着いているが、就職してすぐの頃はちょっと遅く帰るだけで半狂乱だったからな……
 罪悪感がないわけではない。ないけど……
 ま、なるようになるか。
 
 ……!
 ………!?
 
 何だか騒がしいな。痴話喧嘩ならよそでやってくれよ。公衆の面前なんだからさ。
 
 …から……たし……そんな…!
 ……でも…きみ…って……!
 
 女性のほうが微妙に優勢か? 断る女と言い寄る男って感じか。
 嫌がってんだから、やめてやりゃあいいのに。
 女性はハンドバッグを振り回し、いいすがってくる男を跳ね除ける。
 ……なんか見覚えのあるシルエットだな。嫌な予感がする。
 
「……先輩、見てないで助けてくださいよ」
「やっぱりお前か」
 事情はわからないが、とりあえずチョップを入れてから俺の背中に回してやる。
「何で私を叩くんですか」
「こんな人通りの多いところで騒ぐんじゃないよ、迷惑だろ」
「な、何なんだよ、お前!」
 神経質そうな細身の男が金切り声をあげる。
「……ナニって」
 何だか面倒な事態に巻き込まれてしまった気がする。
「恋人です」
 俺の後ろから顔だけ出して、樹里ちゃんが男と相対する。
 ますますややこしいことになりそうなので、訂正はしない。
「なあ、あんた。事情は知らんが、樹里が嫌がってるんだが。やめてやってくれないか」
 ……呼び捨てると何だか本当の恋人みたいに思えてきて、頭がくらくらする。
(……先輩、グッジョブです、頼りになる年上の彼氏って感じです)
(……後で事情は聞くから、おとなしくしてなさい)
「なあ、森川君。君のほうから誘いを掛けてきたんじゃないか。今日だって視線をたくさん向けてきて……」
「貴方の肩に乗っていた糸くずが気になってただけです」
 周囲から失笑が漏れる。
「私、この通りこころに決めた男性がいますので。勘弁してください」
「……本当に、僕の勘違いだったのか?」
「そういうことです」
(……なあ樹里ちゃん)
(……なんですか)
(……かわいそうになってきちゃったんだけど、彼が)
(……じゃあ、さっさと私を連れてここから逃げてくださいよ) 
 騒ぎを聞きつけたのか、結構な数の野次馬に囲まれていることに気づく。
 おれは樹里ちゃんの手をとり、そそくさとその場を離れた。

「お手数おかけしました。それと、ありがとうございます」
「いや、それはいいけど。後でフォローしておきなよ?」
 樹里ちゃんくらい素敵な女性なら、男には不自由しないんだろうなあ。
 あの男が勘違いしたくなる気持ちもわからないでもない。
「憂鬱です」
 ため息をつく樹里ちゃん。恐ろしいほどコップ酒の似合う子だなあ。ちょっと怖い。
 樹里ちゃんに連れてこられたのは、飲み屋というよりはちょっとした小料理屋のような風情の店だった。
 本当にこの子は不思議な子だ。
 大学時代からそうだったが、予想も予測もつかない。
「……私、そんなに誘ってるように見えますか」
 火照った顔で見つめてくる樹里ちゃん。
 酒の匂いと、ほのかなコロンのような甘い匂い。
 黒曜石のような深い色の瞳に、吸い込まれそうになる。
「……いや、そういう風には見えないけど」
 かっちりとしたスーツと、怜悧な顔立ちはむしろ“できる女”といった雰囲気で、
 男からすると劣等感を感じてしまって、逆に近寄りがたい気がする。
「樹里ちゃん、美人で頭もいいから。さっきの人も弁護士か何かでしょ?
 そういう人から見ると、理想の女性みたいに見えるんじゃないかな」
「……彼は父の事務所で働いてる、いわゆるイソ弁ってやつです。悪い人じゃないのはわかってるんですけど」
「そういう風には見れない?」
「……はい」
 樹里ちゃんには樹里ちゃんなりの悩みがあるらしい。当たり前か。
 それきり樹里ちゃんはおれの肩に体重を預け、黙々と手酌を繰り返した。
 おれははっきり言って色恋沙汰はさっぱりわからないから、力になれそうもないのがちょっと寂しかった。

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 結局、樹里ちゃんは酔いつぶれてしまって、おれの背中で寝息を立てている。
 心配する店のおやじに見送られて何とかタクシー乗り場の近くまでやってきたのはいいものの、
 どこまで送り届ければいいのかほとほと困ってしまった。
 樹里ちゃんを近くの植え込みの近くに座らせ、しばし思案する。
 うん、悪いと思ったが緊急事態ということで許してもらおう。
 彼女のハンドバッグを漁ると、携帯と名刺ケースが出てきた。
 名刺には事務所と思われる住所しか書かれていないし、携帯もロックが掛かっていて操作を受け付けない。
 かつてこの子に指摘されたとおり、四桁の数列を思いつくままに入力してみるがそううまくはいかない。
(まいったな……)
 春とはいえ、夜はまだ冷える。風邪なんてひかせたら大変だ。
 しかたない、後でどう謗られようとおれが我慢すればいいだけの話だからな。
 おれは樹里ちゃんを背負いなおし、暇そうに煙草をふかしている運ちゃんに向かって歩き出した。


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