妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第1章 第7回
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 人間の支えかた、護りかたなんてものは星の数ほど、
 それこそ千差万別でひとりひとり違うのはわかる。
 だが、このやりかたはまずい。
 極めて依存心が強い人間に対して、ちょっと突き放してすぐに拾う、
 そういうことを繰り返していったらいずれどうなるか、
 私の目の前でとろけているおばかさんにはわからないらしい。
 私にはわかる。
 私もまた、この人の底知れない温かさに惹かれた女だから。
 この人になら絶対に助けてもらえると、見捨てられることはないと、
 そういう幻想を勝手に積み重ねた挙句に自壊するのだ。
 かつての私のように。

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 その日の夜、先輩の携帯に電話を掛けた。
 あらかじめ予告しておいたのが良かったのか、2コール目で繋がった。
(もしもし)
「こんばんは、森川です。本題から入らせていただきますが、そこに楓さんはいますか?」
(え? いるけど。代わろうか?)
「……先輩、寝言は寝てから言ってください」
 やっぱり先輩にとって、この問題は些細なことなんだろう。
 ちょっと変な妹が、ちょっと奇行に走っているだけ。その程度の認識に違いない。
 大した度量なのか単なる考えなしなのかは、残念ながら判別できない。
(あ、ああ、そうだよな。すまん。で、どんな作戦なんだ?)
 ……もう、何も言うまい。
「……明日、十一時にS駅前の噴水で。よろしいですか?」
(え、ああ、うん)
「詳しいことはその場で教えます。
 この電話が終わったあと、先輩は携帯をその場に置いてお風呂に入ってください」
(よくわからんなあ)
「わからないなら言うとおりにしてください」
(わかった、じゃあ明日な)
「おやすみなさい、先輩」
 ブツッ。
「……愛してますよ」

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 樹里ちゃんは約束の五分前に現れた。
 女の子のファッションは正直よくわからないが、
 いつもより少しだけ気合が入っているように見えた。
「失礼のないように、自分なりに気を使ってみたつもりですが」
 ……だ、そうだ。
「ところで、楓さんは」
「さあ。家に居るんじゃないか?」
「……そうですか」
「さて、さっそく作戦の続きとやらを聞かせてもらおうか」
「先輩、私と付き合ってください」
 ざわ……
 公衆の面前での突然の告白に、周囲が一瞬どよめく。
「―――もちろん、フリだけですよ」
 正直、かなりびびった。
「一体、何のために?」
「鬱陶しいくらいにいちゃつく兄と友人、傍から見ていた妹はどんな気持ちになるでしょうね」
「だから、楓は家に居るって」
「ありえませんね」
 さらりと否定される。
「昨日の電話の後、楓さんは絶対に先輩の携帯の着信履歴を調べたはずです」
「いや、あいつはおれの携帯の暗証番号知らないはずだし」
「生年月日、電話番号の下四桁、安直な語呂合わせ。このうちのどれかじゃありませんか?」
 ばれてた。しかも一番最初。
「楓さんは、先輩と私の間に親交があることを知りません」
「あれ? そうだっけ?」
 言われてみれば……三人一緒に居た記憶がない。
「楓さんから見れば、先輩と私は単なる『兄とわたしの友人』でしかありません。
 その二人が外で待ち合わせて連れ立って歩く。楓さんはすぐにその理由を悟るでしょう」
「それで“あの”楓が諦めると思う?」
「今日だけなら難しいでしょうね。でも明日、明後日、一週間、一ヶ月とそれがずっと続いたら。
 それと平行して、先輩が楓さんをあくまで『妹』としてしか扱わなかったら」
「……いける、か?」
「楓さんからしてみれば、多少酷かもしれませんが」
「でも、そんな長丁場に樹里ちゃんを付き合わせるわけには」
「かまいませんよ」
「でも」
「それに、」
 樹里ちゃんは一旦言葉を切り、
「もし先輩が本当に私のことを好きになってしまったとしても、それはそれでかまいません」
 樹里ちゃんは、ほんとうに、よくわからない。

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「デートの定番といえば恋愛映画ですね」
「……おれ、こっちのほうが……」
 シネコンの入り口で貰ったパンフを指差す。SF超大作の最新作だ。
「そうですか、ならそうしましょう」
「いいの?」
「折角ですから、楽しみましょう。丁度私も観たいと思っていましたから」
 樹里ちゃんは常にクールで、悪く言えば女の子っぽくないから、
 言いたいことが素直に言えて、おれみたいな手合いからすると気楽でいい。
 だが周りはカップルだらけで、おれたちもそう思われているかと思うとどうにも尻がむずむずしてすわりが悪い。
 だが決して、悪い気分ではなかった。

「なかなか良かったとは思うけど、最後のトンデモ展開は蛇足だと思った」
「商業的な理由があるのはわかりますが、伏線を次作に丸投げにするのは個人的に最悪だと思うんですが」
 映画の感想を言い合いながら、近くのハンバーガーショップで昼飯。
 樹里ちゃんは指に付いたてりやきのたれを舐め取りながら、バーガーをもしゃもしゃと咀嚼しているんだが、
 それがどうにもいやらしく見えてしまって辟易する。
 普段からわりとちょくちょく会っていたのに、こうして街にでて二人きりだとまた気分も変わってくるのだろうか。
「食べたいんですか」
 じっと見つめられていることを誤解したのだろう、樹里ちゃんはこちらに歯形の付いたてりやきバーガーを向けてくる。
「……うん」
「先輩のもください」
 こういうことに対して抵抗はないらしい。
 わざわざ食み跡を避けるのも失礼かと思って、そのまま何も意識せずかぶりついた。
 樹里ちゃんはちょっとだけ驚いた顔をして、それから嬉しそうにおれのチキンタツタに挑みかかった。

「他にどこか行きたい場所はありますか」
「海!」
「夏になったら行きましょう、お供します」
 軽く流された。

「先輩、子供相手にゲームで勝って嬉しいですか?」
「別にいいだろ」
「ごめんねボク、あのお兄さんはちょっと頭がおかしいひとだから」
「うるさいよ!」

「ネコミミを買ってあげよう。百円だし」
「倦怠期の夫婦じゃあるまいし、やめてください」
 割と本気で嫌そう。
「どうせなら首輪とリードも買ってください、先輩に着けて外を連れまわしますから」
 謹んで辞退させていただきました。

「この指輪、樹里ちゃんに似合いそうだな」
「そうですか、よくわかりません」
 シンプルなデザインのそれは、彼女のほっそりとした白い指に良く似合うのではないかと思った。
 これは銀か? 結構いい値段がついてるが、はっきり言って指輪の相場なんて知らん。
「おうおうニイちゃん、随分可愛らしいカノジョ連れてるじゃねーか。
 まけてやるから、プレゼントしてやんなよ」
 露店のおやじに煽られて、ついその気になる。
「樹里ちゃん。手を出して」
「……なんだか照れますね」
 一瞬逡巡して、観念したように左手を差し出す樹里ちゃんがいじらしい。

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 思うさま遊びに遊び尽くして、気が付けばとっぷりと日が暮れていた。
「……そろそろもういいでしょう」
「ああ、そうだな。そろそろお開きにしようか」
「もしかして先輩、本来の目的を忘れてはいませんか」
「本来の目的、って」
 ああ、そういえばそうだった。
 恋人のフリ。いちゃつくフリ。
 それを楓に見せ付けて間接的に兄離れをさせるつもりだったのだ、本来は。
「……先輩?」
「……うん」
「指輪、ありがとうございました」
「かまわんよ」
 樹里ちゃんの左手の薬指には、細身のシルバーリングが光っている。
 この子も楓と同じように、あまり身を飾ることをしないようだから、
 逆にこういうアクセントは強烈だ。男から見れば。
 
「……私、先輩が怖いです」
 ぽつり、と樹里ちゃんはこぼした。
「……怖い?」
「残酷なんですよ、先輩は」
 樹里ちゃんの瞳が揺れる。
 
「嘘なら嘘って最初に言ってください。
 もう何も信用しませんから。
 その声も、眼差しも、優しさも、暖かさも、
 みんな偽物だって、そう言ってください。
 じゃなきゃ……私が見てきたものが全て嘘になってしまう。
 私も、楓さんも、誰も救われない。
 最初から、期待させないでください。
 こんな幸せな嘘、嬉しすぎて、吐き気がします」
 
 樹里ちゃんの瞳は、夕日を受けて紅く燃え上がっているようにも、
 宵の泥濘を得て濁っているようにも見える。

「樹里ちゃん?」
「……今日は帰ります。作戦放棄してごめんなさい」

 樹里ちゃんは背を向けて走り出す。
 掛けてあげられる言葉は、ひとつも見つからなかった。


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