妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第1章 第10回
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 男女に限らず、人間関係で一番恐ろしい事とは何だろう。
 それは、拒絶されることだと思う。
 人間はひとりひとりが少しずつ違っていて、それが時として致命的な破綻を引き起こす。
 そして、零したミルクは二度と戻らない。
 
 身内の恐ろしさっていうのは要するに、そこにあるのだ。
 人間の本質を見るには、共に旅をするか生活するかしかないという。
 それこそ十数年同じ釜の飯を食い、良いところも悪いところも、
 相当プリミティヴな部分まで曝け出して、それでもなお切れない絆ってやつに
 他人は容易には立ち入れない。
 
「お、おにいちゃ、あ、ぎもぢぃ、いい、あう、もっと、ぐちゃぐちゃ、してっ」

 異常な行為だ。
 きっとそうなのだろう。
 顔を洗う。髭を剃る。風呂に入る。用を足す。
 そういう日常の動作のうちに、いずれ『これ』が組み込まれていく。
 それが当たり前になる。楓はそう、最初に言った。
 
 近親相姦は一度はまると抜けだせないという。
 微妙に違う、と思う。
 抜け出せないのではなく、やめようなんて発想に至らないだけだ。
 “そと”に漏れれば社会的な死は免れまい。
 だが、その秘密を知っているのはお互いだけだ。
 囚人のジレンマは成立しない。
 完全。完結。閉鎖。排他。
 緩慢に滅びへと向かうタナトスの円環の中、
 ただ歓喜に躯を震わせる“もうひとり”が居るだけだ。
 
 ついこの間まで穢れを知らなかったそこは、度重なる行為によって拡張され開発され、
 ただひとりの実兄のストロークを受け止められるだけの器量を持つに至った。
 おれは衝動に流されるまま、荒々しく擦り、突き、性感を高めてゆく。
 ひたすらに高みへ向かってゆく。
 
「せ、せーしほしい、せーしほしいのっ、もう、だめ、いっちゃ、いく、いく、いくのおぉ……」
 
 弛緩しきった顔で快楽に身を任せる楓。
 こいつが望んでいたのは、こういうことなのか?
 おれは、楓の想いに応えてやれているのか?
 霞が掛かった頭では、もう、まともに、
 
 ―――なにが、まともに、なんだろう?
 
 射精する。
「あ、あ、あひ、ああ、あああぁぁぁぁっ!」
 楓の膣はうねり、本人の意思とは関係なく尿道に残った一滴すらも絞り出さんとする。
 今日何度目かもわからないのに、びっくりするほどの虚脱感に見舞われる。
「……あ、すご、あったか、じわって、んっ、あはっ……」
 かえではわらう。
「楓の卵子、おにいちゃんの精子で包まれて、ぜったい受精しちゃうよ……
 あかちゃん……できちゃうよ……にんしん、しちゃうよ……」
 ……だったら、もう、いいじゃないか。
 かえでが、こんなに、うれしそう、なんだから。

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 先輩の私に対する態度は微妙に変わってしまった。
 あまり目を合わせてくれなくなった。
 昼どきに学食に現れることがなくなった。
 常にどこか上の空の返事しかしなくなった。
 デートもどきの日の私の態度に腹を立てているのかといえば、そういうわけではないらしい。
 そして態度には出さないが、楓さんの話題を出されるのを酷く嫌がっているようだった。
 
 どうにも、おかしい。
 
 それとは対照的に、楓さんは最近花が咲いたように明るい。
 塞ぎこんでいるような印象は完全に払拭され、まるで花が咲いたようだ。
 これまでどおり自分から誰かに話しかけることはしないが、
 日常を過ごすための必要最低限の会話の中で彼女は「微笑む」。
 だが、私にはわかる。
 その笑みはどこに向けられたものでもない。
 それは何か、あるいはこの世全てに対する勝利宣言であり、
 敗北者を哀れむ強者の眼差しだ。
 ……きっとあったのだ。私が憂慮するようなことが。
 
「楓さん」
「あら、森川さん。何だかこうして話すのも久しぶりね」
「……そう、かもね」
 楓さんは僅かに興奮しているのか、頬が少し紅潮している。
「もう春ね」
 楓さんは空を仰ぐ。
「ええ」
「春は好き?」
「はい」
「どうして?」
「暑いのも寒いのも嫌いですから」
「そうね、そうかもしれないわね」
 背中まで伸びた長い黒髪がそよ風に踊る。
「楓さんは」
「?」
「春は好きですか」
「わたしね、こころがどこか壊れているの。だから実はね、わたしには好き、嫌いってあまりないの。
 でも、今年の春はきっと、ずっと、死ぬまで忘れない」
「どうして……ですか」
「貴女がそれを訊くの?」
「……」
「すべてはここから、はじまるの。ずっと停まったまま、足踏みしていた時間はもう終わり。
 もう誰にも邪魔させない。世界はきっと敵ばかり。誰もがわたしにやさしくない。誰もわたしを愛さない。
 それでもね、」
 楓さんは振り返り、私を真正面から抱きしめる。
「救いはあったわ。この狂った世界を生きていくに値するだけの確かなものを、わたしは見つけた。
 誰のものでもない、わたしだけのもの。誰にだって、渡さない」
 
 だからね、と楓さんは私の耳元で囁く。
 
「―――わたしからそれを取り上げようとする人間を、わたしは決して許さない。
 それが誰であろうとも、何の目的があろうとも。
 わたしは全力で『それ』を叩き潰す。
 それでこの身が穢れても、わたしは一向に構わない。
 命なんてはなから惜しくない。
 わたしはただひたむきに、それだけのためだけに生きてゆくわ」
 
 訣別の言葉。
 それはきっと、短い友情の終わり。


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