陽の光のなかで舞う雪 第5回
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私、鈴木雪は、朝起きればまず顔を洗う。
鏡に映る自分の姿はまるで幽鬼のようだと思う。
目が隠れるほど伸びた前髪、胸に届くほど長い黒髪。
けれど、その表情は決して暗くはない。
昨日のことを思い出すと、自然と頬がほころんだ。
彼を想うと、世界中が光に包まれている気がする。
……大げさだと思うか?
顔を洗ったあと、私は台所へと向かった。
いまのうちに弁当を作ろうと思ったのだ。
"鈴木雪"という人間からすればかなり異常な行動かもしれないが、
なに、これも「恋は人を変える」というやつだ。
ご飯にふりかけを混ぜ、茹でた野菜を並べる。
彼と一緒に食べる光景を思い浮かべ、またニヤついてしまう。
……いけない。集中しないと。
野菜を切るとき手元が狂わないか心配だったが、なんとか弁当は完成した。
うん、なかなか良く出来たと思う。
その弁当を、私はいそいそと鞄に詰めた。
「朝ごはんは?」母親が訊ねてくるのに「いらない」と返す。
まったく食欲がない。
早く学校に行きたい。
鞄を引っつかむと、私は玄関へと向かった。
手早く靴を履いてドアを開ける。
途端に、冷たい朝の空気が流れ込んでくる。
一気に駆け出した。
早く、早く会いたい。

私は坂を駆け下りていく。
冷たい風が耳元を通り抜けていく。
学校まで伸びたこの坂道。
私は駆け下りていく。
前方に彼の姿を認めたとき、私はその勢いのまま飛びついていた。
「うわっ」
驚いて振り返る彼の顔を、たまらなく愛しく思う。
腕にしがみついたまま、とりあえず挨拶を。
「おはよう、山田優治」
「な、なにやってんだよ?」
「む? 愛するもの同士が腕を組んでおかしいか?」
「なっ……!」
絶句する彼の腕を引きずるように、私たちは校門へと向かう。
彼はしばらく黙り込んでいたが、
「……ねぇ、今日、なんか変じゃない?」
恐る恐るといった様子で、私の顔を覗き込んできた。
「変だろうか?」
「うん、変だよ」
「どこがだ?」
「どこがって……なんか、まるで……」
「まあいい、恋は人を変えるというやつだよ」
お決まりのフレーズで、反論を封殺する。
「……恋?」
「そうだ。君と私は恋人同士だろう?」
「さっきも愛する者同士とか言ってたね……冗談にしては性質が悪いよ」
「冗談? 冗談であるものか」
どうして冗談だなんて言うのだろう。
私の中に懐疑の念が芽生える。
――もしや何かあったのではないか。
可能性は十分にある。
ただでさえ彼は優柔不断なところがあるのだ。
昨夜、あの女に言い寄られて、あっさりと押し倒されてしまったのではないか。
彼は不安げな目で私を見ている。
胸騒ぎがする。
そんな目で見るな。見ないでくれ。
「……忘れたのか? 昨日、あんなにも愛し合ったことを。君は私は抱いてくれたではないか。
 君は私のカラダを貪って、あんなにも満たしてくれたではないか! 忘れたのかっ!?」
最後の方は、もはや絶叫に近かった。
通りすがりがチラチラとこちらを見ているのを感じる。
けれど、そんなものを気にしてはいられない。
「私は――」
「なにをやっている」
ぴしゃりと、私の声を遮るように、背後で声がした。
冷たくて厳しい声だ。
振り向くと、
そこには、
――鈴木雪が立っていた。

「なにをやっている」
鈴木雪がもう一度、繰り返す。
いや違う。こいつは偽者。
鈴木雪の、偽者。
「手を離せ。君が掴んでいるのは、私の恋人だ」
少し焦ったような声で、偽者は言った。
へぇ、彼女でもこんな風になるんだ。
「優治は私の恋人だ。……なあ、そうだろう?」
私が訊ねると、優治は困惑した表情で、私と偽者のあいだに視線を彷徨わせた。
どうして即答してくれないんだ。
言ってくれ。私を愛してるって。
「……僕を好きだって言ってくれるのは嬉しい。でも、僕が好きなのは鈴木さんなんだよ」
「あはっ。あははっ。ほら、聞いたか? 優治は私の方を好きなんだって言ってる」
おかしくてしかたがない。
偽者は呆然としている。
おかしい。笑ってしまうくらいおかしい。
……何がおかしいのだろう。
何もおかしくない。
なのに、どうして優治は怯えているの?
「……おまえは、誰だ?」
私?
私は――
「鈴木雪。私は鈴木雪」
「……違う。おまえは佐藤陽子だ」
偽者がなにか言っている。
負け犬の遠吠えってやつ? ……惨め。
「行こう、優治。もう授業が始まる――どうした?」
私は優治の腕を引いたけれど、彼は動こうとしなかった。
優治はじっと私を見つめていた。彼の瞳は、怯えているけれど、真剣だ。
頭が、ずきりと痛む。
「それはこっちのセリフだよ。どうしちゃったんだよ、陽子ちゃん。君は、陽子ちゃんだろ?」
……頭が痛い。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
優治はどうしてこんなことを言うんだろう。
優治を惑わせているのは誰?
……あなた?
「そうよ。そうよね。偽者がいるから優治が迷うんだわ。偽者さえいなければ、優治は『あたし』しか見ない」
「……陽子、ちゃん?」
「優治、今日もお弁当作ってきたの。昼休みに一緒に食べようね」
にっこりと笑って、優治の腕から離れる。
ポケットを探りながら、あたしは偽者に近づいていく。
偽者は怯えた顔で後ずさりする。
あたしが近づく。
偽者が後ずさる。
いつもの冷静ぶった態度はどうしたの?
情けない顔で、あたしから逃げようとしてる!
ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろっ!
私はナイフを取り出し、振りかざした。
偽者の顔が恐怖に歪む。
ああ、楽しい。ああ、楽しい。
「――これで、本物になれるわ」


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