陽の光のなかで舞う雪 第1回
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「山田優治。約束だ、一緒に昼食を取ろう」
その瞬間、陽子は椅子ごと後ろに倒れそうになった。
時間は昼休み。
陽子はいつものように優治の机に自分の机をくっつけて、
購買で買ってきたジュースと自作の弁当を広げているところだった。
このクラスには暗黙の了解がある。
すなわち、"陽子と優治の食事に同席してはならない"という鉄の掟が。
いくら二人が付き合っていない(と主張している)とはいえ、
昼休みのたびに展開されるストロベリー空間に割り込むほど野暮な人間は、このクラスにはいないのであった。
否。
いない、はずだった。
「一緒に食べよう」
優治の前に立つ鈴木雪は、そう繰り返した
「ちょ、な、いきなりやって来て何言ってんのよ!?」
思わず陽子は爆発していた。
だってだって、これから優治と一緒に昼食で、
今日のお弁当はわりと自信作で、それがなんでいきなりこんなことに!?
勢いよく立ち上がった陽子に、しかし、雪は冷ややかな一瞥をくれるだけだった。
「佐藤陽子、少し黙っていてくれないか。君に発言権は無いのだよ。
 彼は昨日、私と一緒に昼食を食べたい、と言ってくれた。先約は私の方なのだ」
憎らしいほど落ち着き払った声。
どことなく胸を張っているように思えた。ちなみにFカップだ。
貧乳もいいところの陽子は思わず気圧されてしまう。
「ちょ、ちょっとどういうこと、優治? 先約ってなによ?
 あたしと一緒の食事は不味くて食えないってワケ!?」
矛先を変えると、当の優治は腰を引き気味にしつつ泣き笑いを浮かべていた。
「……えーと、落ち着いて、陽子ちゃん」
「これが落ち着いてられるかってのよっ!」
ダンッ、と机を叩く。弁当箱が浮く。
「まさかアンタ、鈴木さんと付き合ってんの?」
「ふむ、いずれそうなるだろうな」
「な、ホントなの、優治!? どうしてあたしに言ってくれなかったのよ!」
優治と雪が? 付き合うって? だって、そんな素振り全然なかった!
一抹の寂しさと共に悔しさが込み上げてくる。
――この女が!
陽子は雪を睨みつけた。
「え、いや、僕の話も聞いて――」
「そういうわけだ。負け犬は引っ込んでいたまえ」
「誰が負け犬ですってぇ!?」
「貴様だ、佐藤陽子」
「アンタに貴様呼ばわりされる覚えは無いわよ、バカッ!」
「バカというほうがバカなのだ。統計的にも証明されている」
「どこの統計よ!?」
「あの……僕の話も聞いて……無視しないで……」
昼休みを喧騒の渦に巻き込む二人の少女に、その間でおろおろと惑う優治。
クラスメイトたちは遠巻きに、呆れたような視線を彼らに向けていた。
この日、クラスには新たな暗黙の了解ができあがった。
すなわち、"鈴木雪と佐藤陽子は混ぜるな危険"。

結局、雪は強引に優治を引き摺っていってしまった。たぶん食堂に行ったのだろう。
優治が陽子の作った弁当を持っていったことは唯一の救いだったが、
それでも面白くないことに変わりはなかった。
陽子は仲のいい数人の女子と一緒に、ようやっと食事を始めていた。
喚き散らしながら。
「むかつくむかつくむかつくー!」
「はいはい、陽子、口にモノ入れながら叫ばない。
 ってか、アンタ、山田君とは付き合ってないんじゃなかったの?」
「付き合ってないわよ! なんであんなバカとっ!」
「じゃあなんで怒ってんのよ。付き合ってないならいいじゃない」
「なんでかわかんないけどイライラするのっ!」
箸をブンブンと振り回して、陽子はいっそう声を張り上げた。
「むかつくーーーーーーっっっっっっ!!!!!!」
「うわ、ご飯粒飛んできた」
周囲の顰蹙を買いつつ、なおも陽子は不満を垂れ流す。
「鈴木さんもさぁ、……急に何? いつから優治のこと好きだったの?」
「あ、それ私も思った。そんな話、聞いてないよね」
「『昨日、彼と昼食を一緒にする約束をした』って言ってたっけ、たしか。
 授業中に接触はなかったはずだから、放課後になんかあったのかなぁ。陽子、なんか知ってる?」
陽子はむすっとした顔で、
「昨日は、優治はクラブがあるって言ってた。あたしは先に帰った」
「山田くん、逢引してたんじゃないのぉ? クラブはサボってさぁ」
「そんな! 優治があたしに嘘つくわけないじゃない!」
「わっかんないわよ〜。浮気されたくないなら首輪付けとかなきゃ〜」
友人たちは完全に面白がっている。
陽子はよく茹でられたアスパラガスを口に入れて、鼻から大きく息を吐いた。
いまごろ優治とあの女はなにしているのだろうか。
一緒に仲良く食事?
楽しそうに会話?
弁当の中身を交換しちゃったりして。
その弁当は陽子が作ったものなのに。
(このアスパラガス美味しいなぁ……)
優治と一緒ならもっと美味しかったかもしれない。
燃料の切れたロボットのように、陽子はぼんやりと青い空を眺めるのだった。

――昨日の放課後。

雪はいつものように校庭を横切って下校していた。
サッカー部と野球部の境界を縫うようにして歩くのだ。
もちろん両側から注目を浴びるのだが、雪は意に介していなかった。
――もう日が暮れそうだな。
夕日を見て思う。
図書館で過ごした時間は思ったよりも長かったようだった。
少し足を速めようとして、雪は行く手に誰かが倒れているのに気付いた。
いや、大の字になってグラウンドに寝そべっているのだ。
仰向けになったその顔に見覚えがあって、雪は呟いた。
「山田優治か」
臥していた体が傍目に分かるほどビクッと震えた。
慌てたように優治は体を起こしてきょろきょろと周囲を見回し、
そして雪の姿をみつけてにっこりと微笑んだ。
「なんだ、すごくびっくりしたよ」
――それは私に話しかけられたことに対してか?
内心苦笑したが、表情にまで出ずにそれは消えていった。
「なにをしていたんだ?」
「えーとね、寝転んでたんだ。疲れちゃってさ」
あはは、と優治は笑った。
疲れていると口にしながら、それを疑わせるような笑顔だった。
「真面目に励まなくてもいいのか?」
「いいんだよー。監督だって、あんまり頑張るなよって言うしね」
「なんだ、それは」
馬鹿馬鹿しい。雪は思った。
優治はどうしてこのクラブに入っているのだろう。
練習に励まないで、なんのための部活なのか。
「あ、笑った」
「え?」
優治は雪の顔を指差して、
「鈴木さんの笑った顔、はじめて見たよ。これって自慢できるね。なんか嬉しいなぁ」
――笑っていた? 私が?
雪がきょとんとしていると、彼はそんな雪を見てさらに笑った。
本当に楽しそうな、心の底からの笑顔だと思った。
優治の傍にいれば、自分もこんな風に笑えるのだろうか。
そう思ったとき、雪は口を開いていた。
「明日の昼食、一緒に食べないか」
なぜそんなことを言ったのかわからなかった。
このまま、ただのクラスメイトに戻ってしまうのが惜しくて、
だから何らかの繋がりを求めたのかもしれない。
優治は一瞬あっけに取られた顔をして、すぐにまた笑った。
「いいね」
ちょっと驚いた。
もう少し渋ると思っていたからだ。
「本当にいいのか? 佐藤陽子と約束しているんだろう」
山田優治と佐藤陽子の仲はクラスでは有名だ。
こんな浮気のような真似をすれば、後々面倒なのではないかと思った。
けれど、優治の答えは明快だった。
「うーん、いいんじゃないかな。陽子ちゃんとはいつも一緒だし、たまにはね。
 って、よく考えてないだけなんだけどさ」
そう言ってはにかむ優治を見ていると、それだけで頬が火照ってくるようだった。
さよならを告げて、雪は再び帰宅の途についた。
明日が楽しみだった。


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