合鍵 第29回
[bottom]

藍子「んーん、もとくん」
元也「うん?何だ?」
藍子「んん、何でもないよ」
元也の膝の上に乗っている藍子は、まるで仔猫の様に元也に擦り寄る。
とろけそうなほど、幸せそうな顔をしている。

そんな藍子を抱えたまま、元也は心の内で溜息をつく。
もう、丸三日、家から出してもらっていない。

藍子は、退院すると自分の家にも帰らず、元也の家に直行した。
元也が藍子の家に帰そうとすると、手が付けられない程興奮し、喚き散らした。

「側にいてくれるって言った。アレは嘘だったの?」
「私が側にいないと、どんな人が寄ってくるか分からない。私が守らなきゃダメなの」
「それとも、私が側にいると迷惑なの?」
「そんな筈ないよね?側にいてくれるんだよね?」
「だれか、他の人を呼ぶつもり?だったら、その人教えて。話してくる」
こんな意味のことを、大泣きしながら叫び、まわりの物を投げつける。

投げられた本が顔に当たり、元也が鼻血を出すと、顔を青くして駆け寄ってきた。
元也に、ごめんなさい、ゴメンなさい、と振るえながら謝り続けた。
そして、側にいて、側にいて、側にいて、側にいて…………
と、何度も繰り返した。

そんなに、縋り付く様な様子の藍子だったが、夜、元也が
「サキさん、大丈夫かな」
と一人でつぶやくと、目を見開いて、元也を叩きつけた。
藍子の爪が元也の唇に当たり、血が出た。
「もとくんが、悪いんだからね。サキさんの事なんか考える悪いもとくんには、お仕置きが
 いるんだからね?」
そう言って、更に叩き続けた。

叩き続けるうちに再び藍子は泣き始め、叩かれて赤くなった元也の頬を撫で、
ごめんなさい、ゴメンなさい…と謝り始める。

もう、元也はどう対処すれば言いか分からなかった。ただ、藍子を刺激しないように注意する
事しか出来なかった。

二人揃って学校に行った。
久しぶりの登校なので、周りからもどうしたの?と質問攻めにあった。
藍子のリストカットの事は隠してあったし、藍子の手首にはリストバンドをはめさせてあるので
異常な状態である事はばれなかった。

ただ、休み時間のたび、藍子は元也を責めた。
「私を見てなかった」「私が見たのに目を逸らした」「私以外の人と喋った」
元也は大人しく謝った。
謝る元也を見ると、藍子は
「これは、もとくんの為なんだから、そんな嫌そうな顔しないでっ!」
と叫ぶ。
その後、決まって、元也と体を合わせた。

学校に行き始めて数日後、藍子が学校に行かせない、と言い出した。
元也は逆らう事は無かった。

家に篭ってする事は、体を合わせる事がほとんどだった。
藍子から求める事も、元也から求める事もあった。

ある日、藍子が料理中、元也が電話に出た。
つまらない勧誘の電話だった。二言三言喋って、電話を切り、振り返ると、
藍子が包丁を持って立っていた。
誰から?と聞かれて、元也が、勧誘の電話、何でもないよ、と答えると、
藍子は電話線を引っこ抜いた。

買い物も、一緒に行っていたが、今では元也を残して藍子が一人で行っている。
元也が、他の人の目に入る事が我慢できず、逆に、元也が自分以外の人を見るのも
我慢できないらしい。
買い物の間、ずっと携帯電話で話しながら行動している。
帰ってくると、元也から携帯電話を取り上げる。誰にも連絡させないためだ。

食事が終わり、一日のやるべき事がすむと、藍子は元也に甘え出す。
後ろから抱きつき、膝に乗り、元也の胸に顔を擦り付け、元也のにおいを気が済むまで
感じ続ける。

このときの藍子の顔は、昔の、サキと会う前の顔に戻る。

そのまま、元也の膝の上で眠ってしまう事もある。
今日もそうだ。
だが、眠ったからといって、藍子から離れるわけにはいかない。
起きた時側にいないと、また暴れ出すからだ。

穏やかに眠っている藍子を見ながら、元也はサキの事を考える。
すっかり連絡が取れなくなってしまったが、大丈夫だろうか。
お見舞いに行きたい。いつ頃退院できるか知りたい。
謝りたい。
いろんな事、ひっくるめて、謝りたい。

だけど、藍子を放っていく訳にもいかない。
もう、どうしたら良いのか分からない。
泣けてきた。

藍子「……ん?どうか、したの?」
涙が当たり、藍子が目を覚ました。
元也が答えないでいると、藍子も泣き始めた。
泣きながら、元也の涙を舐め始めた。
その舌の感触がくすぐったく、元也は笑った。藍子もつられて笑い出した。
その藍子の笑顔が、昔のまま、可愛らしく、幼いものだった事が、元也を更に
混乱させていった。


[top] [Back][list][Next: 合鍵 第30回]

合鍵 第29回 inserted by FC2 system