合鍵 第25回
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病院前のコンビニで雑誌を買い、藍子の病室に戻るため、ロビーを通る元也。
こうやって元也が自由に行動できるのは、今のように藍子が薬で眠っている時だけだ。

ロビーの待合場を通り過ぎようとした時、後ろから声をかけられた。
その声には聞き覚えがあった。後ろを振り返りたくなかった。

「……事情は分かるけど、電話の一本ぐらい寄越してくれても良いんじゃない?」
元也「………ゴメン、サキさん」

顔を見なくても、声だけで、サキの不快感が伝わってくる。

藍子の両親から、リストカットの事は学校に言わないでくれ、と頼まれ、元也もその方が
良いと思い、誰にも言わず黙っていた。
しかし、家に服を変えに言った時、元也の家の前で待ち伏せしていたサキに捕まり、彼女だけには
本当の事を話したのだった。
ただ、藍子が手首を切るまでの状況は隠して。

サキ「で、藍子ちゃんの容態はどうなの?」
元也「命がどうこうって事は無いようです。
   ただ、手首には傷が残ってしまうらしいです」
サキ「そう、残念ね」
元也「はい、やっぱり、女の子ですから、傷が残るのは、可哀想ですよね」
サキ「…………」

エレベーターの中で、すっかり消耗しきった元也を見ながら、サキは考える。
やっぱり、あなたはいい子ねえ、元也君。
私が残念がったのは、藍子ちゃんが死ななかった事なのに。
ホント、死んじゃってくれれば良かったのに。中途半端な。

自分が、こんなに酷薄な事に驚きながらも、藍子の生存が不愉快だった。
こんな嫌な女になるとは、自分が信じられない。

元也「…本当に、お見舞うんですか?」
サキ「当然よ、元也君の幼馴染が大変なんですもの、私も当然心配だわ
   ……………それとも、私が行ったらダメなのかしら?」

今なら、藍子も薬が効いて、一時間は起きないはずだ。
その間に、ちゃちゃっと済ましてもらえば、良いだろう。

藍子の、サキへの嫉妬心は、既に嫌と言うほど見せ付けられていた。
だが、まだ、元也は気付いていなかった。
サキもまた、藍子への嫉妬心がその胸に溢れんばかりにあることを。

サキ「ふーん、良く、眠ってるわねえ」

スヤスヤと穏やかな顔で眠っている藍子。

そういえば、藍子ちゃんが私を睨んでない状況ははじめてかしら?
こうやって見ると、本当にかわいい娘ね。

視線を、顔から腕へと移す。手首には包帯が巻かれ、逆の腕には点滴がしてあった。

何でまた、こんな事したのかしら?
理由は分かりきっている。
元也の気を引くためだろう。
なんていやらしい子。こんな幼い顔してるくせに、やる事がえげつない。
それとも、幼いからこそ、こんな直接的なことするのかしら?
でも、元也君、あなた、こんな方法で、転んだりしないでしょうね?

元也「あと、一時間は起きないと思いますよ。
   すいません、わざわざ来て貰ったのに」
ほんとは、助かったけど。

サキが買ってきた花を、花瓶に移しながら、元也はそう言った。

その元也の後姿を見ていると、急に、もう何日かキスもしていない事が思い出された。
藍子を見る。本当によく寝ている。………ここは、個室だ。うん、大丈夫。窓は……
外から見られる心配も無い。唾を飲む。

サキ「ねえ、元也君……」
後ろから元也に抱きついて、体を擦りつける。
そのまま、顔を元也の方へ向ける。後は、元也がこちらに首を回せば良いだけだ。
サキの好きな、キスの仕方だった。

だが、いくら待っても、元也は顔をサキのほうへ向けない。
更に強く、体を、密着させる。それでも、反応が無い。

元也「ごめん、サキさん……」
絞り出すような声で、元也が呟いた。

その一言で全てを悟った。
体を密着させたまま、サキは問う。

サキ「藍子ちゃんに、何言われたの?
   藍子ちゃんに、何されたの?
   ……いいえ、大体は想像つくわね
   最低ね、この子。
   こんな子の言う事、聞く事無いじゃない。
   ほっとけば良いじゃない」

元也「ごめんなさい。
   ……けど、こんな状態のこいつ、ほっとけるわけ無いじゃないですか
   それに、こいつ、俺が側にいなきゃ、また同じ事しちゃうかもしれないんです。
   おれが、側にいなきゃ、ダメらしいから…
   ゴメン、サキさん」

 

………………………ふうん、そう。
元也君が、側にいなきゃ、ダメ?
そんなの、私も一緒よ。
そっか、その事が、伝えられていなかったのね。
それに、さっきの言葉、アレから察するに元也君、藍子ちゃんが好きでたまらないから、
私から乗り換えたって訳じゃあ無いみたいね。ちょっと、安心。
藍子ちゃん、元也君の優しさにつけこんで、こんなマネしたの。
上手い事したわね。さすが、幼馴染。
悔しいけど、私より元也君がどんな人間かを理解してるみたいね。
…………………それなら、どうやって取り戻せば良いのかしら?
…………………………ああ、そうか、私も、元也君がいなくっちゃ、もう生きていけない事を
分かって貰えればいいんだ。簡単じゃない。

元也から離れ、サキは出口のほうへと向かっていった。
サキが離れていくのを見るのが辛くて、窓の外を見た。
バタン、とドアの閉まる音。

ハア、と溜息を付く元也。目頭が熱くなる。

ぼんやりと元也が外を見続けること十数分、今度はカチャ、とドアの開く音。
藍子のお袋さんかな?と思い振り返ると、そこにサキさんがいた。
ガチャリ、と後ろ手で、鍵を閉める音がした。

鍵を閉めると、手に持っていた白いビニール袋から、ガサゴソと、何かを取り出した。

カッターだった。

元也が息を飲む前で、サキは左の手首を切った。
続いて、カッターを持ち替えて、右の手首を切った。

両の手首から、血を流すサキ。
サキ「ほら、元也君、藍子ちゃんは左だけでしょう?
   見て、私は両手よ」
見せ付けるように、血を流す両手を前に出した。
そして、サキはいつもの様に、クスクスと笑い始めた。
部屋に、サキの控えめな笑い声と、血が床に落ちる音だけが響いていた。


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