River of Tears 第1回
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 いつもの学校のいつもの退屈な授業の風景。
 クラスの真ん中辺りで自分の一つ前のポツンの空いた席。一週間近くその席に座る女の子を見ていない。
 その子のことがクラス、いや学校内でちょっとした噂となっていた。
 ――レイプされたんだって。
 噂好きの子達も決して大声で語ったりしないものの小声でしっかりと囁きあっていた。
 彼女の家は自分の家からそう遠くない。幼馴染という奴だ。待ち合わせをするような仲でこそないものの、
 学校へはよく一緒に行ってた。先週彼女が休んだ時は風邪ぐらいに思っていたが、その日家に帰ってから母さんが
 「彼女乱暴されたんだって」と言った。
 彼女とは別に一緒に何処かに行くとか特別親しい関係ではない。子供の頃は一緒に遊んだが今では部活動も
 違うことがあり、それほど一緒に遊んではいない。ただ学校に来るときは殆ど同じだったしクラスが
 同じ事もあってよく話はしていた。

「ユウ、今日お見舞い行くんだけど一緒に行かない?」
 つまらない授業が終わり、机の上の片付けを行い、いつものようにSF研へ行って適当にだべったり、
ゲームしたりしようと思った矢先に広子から声をかけられた。
 広子も幼馴染である。そして可奈とはよく遊んでいた。
「オレ行っていいのか?」
「はぁ?何言ってんの?」
「いや、男性恐怖症って聞いたから」
 少なくとも母さんはそんな事を言っていた。そしてオレにはしばらく落ち着くまで会いに行かない方がいい言っていた。
「大丈夫だって、昔から一緒に遊んだ仲だし、あんた体は大きくても男って感じしないし」
 前半はともかく後半は何かトゲを感じる言い方だ。
 その言葉にムスっとした顔をした自分の手を半ば強引引っ張られて、広子と一緒に教室を出た。

「今調子どうなの?」
「先週より少しマシになったかな、でもまだ部屋から出れないって……」
 広子と一緒に歩いているがそれで会話が止まってしまった。
 そういえば可奈と会って何を話せばいいんだ。『気にするな』『犬に咬まれたとでも思って』。いくつか言葉が浮かんだが、
そういう言葉って軽がるしくかけていいものじゃないよな。
 そんな事を考えていると胃が重くなってきた。
 ――可奈の方が辛いはずなのになんでオレの方が胃を重くしてどうするんだ。
 意味がないかもしれないが自分にそう言い聞かせることにした。
「ユウちゃん見つけた」
 そういって誰かがオレの背中に抱きついてきた。
 ――背中に感じる誰かの肉付きのいい体。
 いや、誰かではない、少なくとも学内でこんな風に抱きついてくるような人間は一人しか知らない。
「赤井先輩いい加減にそれ止めてくださいよ」
 そう言いながら先輩の体を剥がす。最初の頃こそ赤面していたが毎日のようにやられてはいい加減なれる。
このやりとりは挨拶の延長程度に日常の一部となっていた。
「じゃあ、お姉ちゃんと部室行こう」
 先輩はいつものように人の良さそうな顔をニコニコさせていた。
「私たちこれから用事があるんですけど」
 既に袖を引っ張っていた先輩を広子が止めた。
「ユウちゃん、この子彼女?ひょっとしてこれからデート?」
 いつもの屈託ない笑顔で無邪気に尋ねてくる。
「違いますよ、友達のお見舞いです」
「えー、せっかくユウちゃんに彼女出来たかと思って喜んでいたのに」
 人の手を掴んでぶんぶん振り回しながらそんなことを言う。
「じゃあ、またね」そう言って先輩は部室の方へ行った。
 いつもの事ながら小さな台風のようだ。
「オレ達もいこう」
 そう言って広子の方を向くと顔を真っ赤にして俯いていた。
「相変わらずその手の話に免疫ねえな」
 真っ赤になった顔を覗き込みながら声をかける。こいつは小学校の頃がずっと好きとかそういう話があると
何時も顔を真っ赤にしていた。
「あんたなんかと違って私は純真なの。そういうのは冗談でも恥ずかしいんだから」
 顔を真っ赤にしながら言う。
「はいはい、そうだな」
 軽く笑いながら歩いていった。

 電車で揺られている間、通り雨が街の汚れを気持ち程度落とそうとしていた。そんな雨を見ながらこの雨も
可奈の心を洗い落としてくれるのだろうかと思っていた。
「先輩と仲いいんだね」
「悪ふざけが過ぎるけどな」
「ところで、なんで『お姉ちゃん』なの?ユウのお姉さんってもっと年上だったよね」
 先輩はもちろん実の姉でもない、従姉でもない。近所のお姉さんでもない。姉が結婚して出来た義姉とか、
親の再婚相手の連れ子とか、歳の近い叔母とか姪とか、間違っても生き別れの姉とかいうものでもない。
「SF研の新歓の時に寝ぼけて先輩に姉ちゃんって言ったら、そのまま周りから公認になった……」
「何よそれ」
 笑うだろうなと思っていたがやっぱり広子は電車の中だというのに大声で笑った。

「ユウちゃんまで悪いわね」
 久しぶりに会ったおばさんはそう言ってオレ達を迎えてくれた。
「可奈ちゃん、広子ちゃんとユウちゃんが来てくれたわよ」
 そういっておばさんは可奈の部屋のドアを開いた。
 可奈の部屋の中はまだ日が高いというのにカーテンは締め切られ暗かった。
 その部屋の主は薄暗い部屋でベッドの隅でうずくまっていた。
「可奈、元気?」広子は部屋の中の可奈の前でそう声をかける。
 元気な訳がない。どう見ても活力のある顔をしていない。
 何て言ったらいいのかと思いつつオレも部屋へと足を踏み入れていた。
「ほら、今日もユウを来てくれたんだよ」
「よお」何言ったらいいか分らず適当に挨拶で濁した。
 可奈と視線があった。その体を震わせあとずさる。
 ああ、そうか――
 彼女の目の奥には恐怖の色があった。
「大丈夫だって、可奈。ユウだって」広子は可奈を抱きしめながら言い聞かせていた。
 こういう時ってどういう顔したらいいんだろうな。
 わからなかったから、その場では背を向けるしかなかった。
「悪い、オレ今日はもう帰る」
 ――今オレはここにいるべきではないのかもしれない。
「ごめんね、ユウちゃん。あの子ずっとあんな感じだから……」
 おばさんは済まなそうな顔をして謝っていた。
 母さんの言ってることは正しかったか。
「別にいいですよ」
 そう言って可奈の家を出た。
 何か出来るとかは思ってはいなかったが、やっぱり何も出来なった。それどころか傷つけたのかもしれない。
訳もなく空を見上げれば虹が出ていた。
 携帯がなる。広子からだ。
「よお、どうかした?」
「ごめんなさい……」
 電話越しの声は広子の声ではなかった。
「可奈?」
「ごめんなさい、ユウ君のこと嫌いになった訳じゃないから……」
 その声は電話越しとはいえ泣いているのがわかった。
「ごめんなさい。今日せっかく来てくれたのに……」
 女の子に泣きながら謝られてると、なんかオレが一方的に悪い気がしてきた。
「気にしてないからもう泣くなって」
「ごめんなさい……」
 ――また謝られた。
 多分このままのペースだと電話が切れるまで謝られ続けそうな気がしてきた。
「電話越しなら大丈夫?」
「……うん」
「窓――開けられる?今虹出ているんだけど見る?」
 そう言ってからしばらくして二階の可奈の部屋の窓が開いた。
「虹なんて久しぶりに見たね……」
 窓からは遠くの虹を見つめている可奈と広子がいた。
 こちらに気づいたらしく二階の窓から可奈は遠慮がちに手を振ってきたのこちらも手を振った。
「……今日は本当にありがとう」
「だから気にすんなって」
「……明日も来てくれるかな?」
「いいけど」
「……ありがとう」
 ――また声が少し泣いていた。
「じゃあ、また明日な」
 そういって電話を切った。それでも可奈は窓から手を振っていた。しばらく自分も手を振っていたが、
流石にどこで打ち切ったらいいのかわからず、見えなくなるまで腕を振らされた。

 家に帰りほどよくくつろぎ始めた頃再び携帯がなった。着信は広子からだ。
「可奈か?」
「私だけど」声の主は広子だった。
「なんだお前か」
「なんだは何よ!?なんだは」
「お前だから『なんだ』なんだよ」
 電話越しで二人して笑った。
「まあ、それはそうと今日はありがとうね」
「別にオレ何もしてないじゃん」
「昨日までだとカーテン開けただけでもビクビクしてたんだよ。立派な進歩だよ」
「――そうなんだ」
「明日はちゃんと話すんだって言ってたから、また行こうね」
「また明日な」

 昨日と同じように広子と一緒に可奈の家へと向かっていた。
「なあ、お前確か陸上部だろ?」
「そうだけど」
「陸上部って二日続けて休みなのか?」
 SF研なんて基本的に適当に遊んでいるから出ようが出まいが別にどうこう言われない。
しかし陸上部ってそうそう休みってなかった気がする。
「ここんとこ朝練だけ出て放課後はサボり中。親友の方が大事だからね」
「友達思いなんだな」
「なんか照れる言い方だよ、それ」
 そういって広子は顔を赤くしていた。

「今日はカーテン開いてるね」
 広子に言われて気づいた。確かに開いている。多分今日は調子がいいんだろう。
 インターフォンを押した時出迎えたのは可奈だった。
 調子がいいとは想像していたが、出迎えに来るまでは思っていなかった。
「今日は元気なんだな」
 昨日の怯えていた雰囲気とは違って、少しだけやつれているものの、いつもの――自分の知っている可奈がいた。

 近所のファミレス。
 目の前によく知っている少女二人。そしてその二人の前にチョコパフェ。
「ありがとうね」そういって可奈は屈託ない顔で笑いながら食べていた。
 ついさっき彼女の家で元気になったら何か奢ってやると言った。まあ軽い励まし程度の気持ちだったが、
彼女の口からは「じゃあ今すぐ」という言葉が出た。そして今に至る。
「悪いわね、奢ってもらって」
「広子、オレはお前にもおごってやるなんて一言も言った覚えないんだけど」
「こういう時、男が奢るのは常識でしょ」
「断固として拒否する」
 クソッ!今すぐ全力ダッシュでこの店から逃亡しちまおうか。
「ユウ君も頼めいいのに」そんなやり取りを見ながら可奈はクスクス笑った。
 オレの目の前には水しかない。
「そういう甘ったるいの駄目だからね」
 チョコパフェなんか見ているだけで胃の中がムカムカしてくる。
 結局オレはチョコパフェ二つ分キッチリ払わされた。

「じゃあ、明日学校でね」
 ファミレスから家まで可奈を送った際に彼女は確かにそう言った。
「あ――うん」
 可奈が家の中へ消えた後、その言葉に意味にしばらく広子と顔を見合わせていた。

 

「ユウ電話よ」
 風呂上りに母さんからそう言われた。電話って誰からだろう。友達は大抵携帯の方に電話をかけてくる。
「もしもし、ユウですけど」
 電話の相手は可奈のおばさんだった。
「あの子、明日から学校行くっているんだけど――」
「それは今日聞きましたけど」
「まだ一人じゃちょっと心配でね、あの子の送り迎えとか頼めるかしら」
「別にいいですけど」
 別に今までもよく一緒に行ってたから別に大して変わらないだろう。
 ――そう思っていた。

 

 朝、少々遠回りにはなるが可奈の家へ行くこととなった。
 別に何が変わる訳ではないと思っていた。少なくとも電車に乗るまでは――。
「大丈夫か?」
「大丈夫だから……大丈夫だから……」
 とても大丈夫には見えない。酷く落ち着かない様子で体を震わせ、瞳に涙を蓄えていた。
 まだ朝のラッシュ時の人ごみの中では相当緊張するのだろうか。
「女性専用車両行ったらどうだ? それとも今から帰るか? 今日はここまでこれたんだから、また明日にでも――」
 そう言ってたら可奈に抱きつかれた。
「おい――」
「しばらく、こうしてれば落ち着くから……落ち着くから……」
 そう自分に言い聞かせるように呟いていた。
 いつも先輩にしているように引き剥がそうと思ったが、その言葉を聞いては手を止めるしかなかった。
 頼られているのかな――オレ。

「ごめん――」
 結局彼女のいった『しばらく』は結局学校前の駅まで続いた。
「気にするなって」
 抱きつかれるのは誰かさんのお陰でなれている。
「あと――手繋いでくれるかな……」
 彼女は恥ずかしそうに下を俯いていた。
 もう勝手にしろ――そう心の中で呟いてから手を差し出した。
 そうして結局教室まで手を繋いで行くはめになった。
 そういえば手を繋ぐなんて小学生の頃以来だな。そんな事を思っていた。

 いつものように売店でパンを買ってSF研の部室へ遊びに来たところ、いつものようにアニソンが流れて、
いつものように清水と佐藤先輩がカードゲームをやっていた。
 可奈はまだ学校に落ち着けてない感じだったが、まあ広子もいるし問題ないだろう。
「ようフタマタ」
 いきなりそんなことを佐藤先輩に言われた。
「なんですかフタマタって?」
「何白々しく言ってるんだ。お前今朝電車で別の女の子と抱き合ってただろ」
 フタマタ――ああ、二股のことか。って何でだ。
「今朝いた子は別に付き合っている訳じゃないって。それに何で二股なんだよ。オレ誰とも付き合っていないって」
「ウソこけ、お前赤井とつきあってるだろ。同好会内でその知らない奴いないぞ」
「違いますって。赤井先輩とはそういう関係じゃないですよ」
 いつの間にそんな風になってなっていたんだろうか。別にそういう関係はない。
 それに身に覚えは――そういや何かに付けてベタついてくる。勘違いされても仕方ない気がした。

「修羅場が来るかな」今まで黙っていた清水がボソッと吐いた。
「ユウちゃん彼女出来たんだって」
 なんというか、凄くいいタイミング渦中の人が入ってきた。
「赤井、お前もいい加減付き合ってるって認めろよ」
「わたしお姉ちゃんだもん。弟の恋愛はちゃんと見持ってあげるよ」
 そういっていつもの笑顔でオレの頭を乱暴気味に撫で回した。
 清水の方はなにやらつまらなそうな表情をしていた。
「佐藤先輩、そういう訳です」自分でも、もうどうでもいいって感じの声だ。
「ところでユウちゃんの彼女ってこないだの子?」
 こないだの子、多分広子のことか。
「違いますよ。それに先輩達の言って子だって彼女じゃないですよ」
 多分今頭の上にある手を払ってもすぐまた頭の上に来る気がしたのでそのまま放っておくことにした。
「好きなら好きってちゃんといいなさいよ。ちゃんと言わないと後悔するよー」
 頭の上の手の動きが強くなった。頭も揺れる。
「あれは、可奈のおばさんに頼まれているだけで……」
「もう親公認なんだ。変な言い訳はやめた方がいいよ」
 頭をゆらす赤井先輩の手のせいか、少し気分が悪くなってきった。
「……前ちょっと噂になったでしょ、一年三組の子……。その子……」
 あんまり言いたくないけど言った。言ってしまった。
 部室の内部が水を打ったように静まり返った。頭の上の手の動きもとまった。
「ごめん……でもユウ君優しいんだね」
 暫く止まっていた頭の上の手はまた動き始めた。やっぱりこの手は払った方がいいかもしれない。

 帰り道では一言の断りもなく、まるで当然のように勝手に手を繋がれていた。
「あのね、ユウ君、ちょっと寄りたいトコあるけどいいかな?」
 別に用事があるわけでなし、このまま真っ直ぐ家に帰ったところで暇をもてあますだけだったから断る理由はなかった。
「寄りたかった所って喫茶店か?」
 どこにでもある普通の喫茶店だ。普段は気にもとめないような場所の。
 向かい合うように座っている可奈はなんだか笑っている。
「こういうトコ、男のコと二人っきりで来たかったんだ」
 そういうのは恋人相手にでもしろよ、と心の中で呟きながら視線を窓の外へと向けカップを口にした。
 これ美味い――コーヒーなんて何処で飲んでも大して変わらないと思っていたのに。
「隣の席行っていい?」
「いや――別に構わないけどさ」
 断る理由はなかったが、隣の席に来る理由はもっとわからなかった。
 頬杖をつき視線は窓の外に向けながら答えた。
 別に外に何がある訳ではない。ただなんとなく外を見ている。
「ねえ――」
 何か言ってくるので渋々顔を向ける。
 直ぐそこに顔があった。内気そうな顔が。
 そして近づいてくる――不自然な距離までに。
 ――唇が触れたのがわかった。
「こうしてると恋人同士みたいだね」
 顔を離した後、隣の席の彼女は少し恥ずかしそうに笑っていた。

 

  泣きながら泥水で口をすすぐ
  「実はお前のこと……」
  「実は先輩が……」
  「実は広子が……」
  「穢れた女がベタベタするんじゃねえ!」
> 元気になったな……
  お前アッサリ変わりすぎ。本当ならもっとイベントあるものを……
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