姉貴と恋人 裏 第5回
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「さっ、行こ!」
 快晴。雲一つ無い青空。手を伸ばし誘う姉貴。その笑顔。
 全てが最高、のはずだ。
「ああ、ちょっと待ってくれよ……」
 久々のデートだと姉貴は張りきっているようで、しっかり化粧までしている。
 どうやっているのか、ほんの少しのはずなのに見違えるほど華やかというか、
 その美しい顔立ちが強調されるというか。とにかく、姉貴が美しいことに対して疑念の余地はない。
 対して、俺はと言うと……。
「姉貴、俺地味だったかな」
 GパンにYシャツ。組み合わせには一応気を遣ったが、別に大学生の普段着と変わりない。
 だが、姉貴はまったく気にしていないらしい。
「ん? いいんじゃないかしら。タカはそんな感じで似合ってるから」
 なんて言って微笑んでいるのだから。
 悪い気はしない。だが、申し訳ない気持ちのせいでどうしても素直には喜べないし、楽しめなかった。
「どうしたの、タカ。こういうの嫌い?」
 顔をのぞき込んでくる姉貴。ドキリとした。
「い、いや全然嫌いなんかじゃないよ、ただ……」
 今この瞬間にも、俺は姉貴を騙している。
「ただ?」
「その、姉貴が、綺麗でさ。戸惑ってる」
 嘘を吐くのはまだ慣れない。それ以前に吐きたくもない。
「あ……タカったら、可愛いんだからもうっ!」
 でも今はそうしないと。
 まだ、姉貴に知られる訳にはいかない。
「うわ、ちょっと姉貴……」
 しかし、いつになったら言えるのだろう。
 姉貴が話を聞いてくれるようになったら、だろうか。
 そんな判断、できるものではないし、第一そんな日が来るのだろうか。
「行きましょ、早く早く!」
 ぐいぐいと引っ張っていく姉貴。
 その曇り無い笑顔は、幸せに満ちていた。

 見たくもない光景。
 隆史と、あの人が。
 だが、私は動けなかった。
 分かっている。今、隆史に最も近しい女性はあの人なのだと。
 分かっている。今、二人が愛を囁くのを遮ることはできないと。
 分かっている。今、私が出て行っても意味がないと。
 分かっている。
 分かっている。
 分かっているのに。
 この慟哭。
 この憤怒。
 この憎悪。
 不思議と冷静だった。冷静で、そしてはち切れんばかりの感情が渦巻いている。
 こんなことは初めてだ。
 前、本当に昔に感じるけれど、隆史とあの人の交いに遭遇したときとは全く違う。
 静かに燃える青い炎が、心の内に灯るのを、私は感じていた。

 麻妃と連絡が取れるようになってから一ヶ月あまり。
 始めの頃に比べて姉貴の監視も弱まり、僅かながら麻妃と直接会うこともできるようになった。
「おす」
「あ、隆史」
 いつもの喫茶店、いつもの席に麻妃はいた。
「今日はゆっくりできるよ。姉貴、丸一日校外実習だっていうから」
「本当? よかった」
 コーヒーとサンドイッチを注文し、一息吐く。
「最近会えなかったからな。久しぶりじゃないか」
「二週間と3日ぶりね」
「そんなになるか」
「ええ……淋しかった」
 ドキリとした。
「何びっくりしてるのよ。私が淋しいって言うのそんなに変?」
「え、いや、だって」
「はっきり言わないと隆史は分からないって、分かったから」
 麻妃は微笑んだ。
「そ、そっか」
「そうよ」
 ……麻妃はさらっと言ったが、よく考えれば、そのせいでこうなってしまったんだ。
 麻妃の気持ちに気付かないふりして姉貴を求めてしまったから、こんなことになったんだ。
「……すまない、色々」
「いい」
 短い言葉だった。
 しばしの沈黙の後、再び麻妃は口を開いた。
「私、直接話してみるわ」
「話す? 誰に何を」
「隆史のお姉さんに、私と隆史のことについて」
 一瞬、何のことだか理解できなかった。
「なっ!? ちょっと待て、そういうのは慎重にやらないと……」
「そんなこと言っても、このままじゃ埒が明かない。
 様子を見るって言ったって、いつになれば大丈夫かなんて隆史にだって分からないんでしょう?」
 麻妃は毅然としていた。
「そりゃ、そうだけど」
「ならもう、これ以上待っても仕方ない」
「待てって、まだ早い」
 脳裏に浮かぶのは幸せそうな姉貴の顔。麻妃の提案はつまり、それを壊すと言うことだ。
 そうすべきだとは思う。でも、嫌だった。
「どうして? お姉さんの方が、あの人の方がいいの?」
「そういうことじゃない」
 じゃあどういうこと――。
 そう言いたげに、麻妃はじっと見つめている。
 深い鳶色の瞳は、僅かに震えていた。

 帰り支度を終え、人気のない廊下を歩いていると意外な人物に出会った。
「こんにちは」
「あら、進藤さん……だったわね。聞いた話によると退学したとか」
「してません。……ところで、隆史は」
 視線を巡らし、進藤は質問した。
「講師に質問してるわ。変なところで熱心だから」
「付いてなくていいんですか?」
「大丈夫。もうあなたみたいな子はいないから」
 彼女の身体がこわばった。
「いえ、私は諦めてません」
「何言ってるの。もうタカは私のことを選んだんだから、あなたの出る幕はない」
「本当にそう思ってるんですか」
「私はタカを信じてるから」
 進藤は何も言わなかった。しかし、どこか余裕がある。
 不可解だ。
「隆史は私がもらいます。タカもそれを望んでいるから」
 この子、動じない。
 どうして?
 私の方が絶対に上にいるのに。タカの愛情は全部私のものなのに。
「まだ言うの、負け犬」
 不安が広がっていく。
「私が負け犬かどうかは、隆史に聞いてみれば分かります」
 自分の頬がヒクンと引きつるのが分かった。
「聞くまでもない。タカは私のものよ」
「いいえ、違います」
「だってタカは、私が一番好きだって言ったんだから」
「監禁して、無理矢理言わせた言葉に縋るんですか」
 この――!!
「私のものだって言ってるでしょ!」
「それは違い――」
 まだ言うの――!!
 パァン!
「……っく」
 右手がジンジンする。平手なんて生まれてこの方使ったことはなかった。
「……とにかく、タカは私のものよ。あなたになんか、絶対に渡さない」
「隆史が好きなのは私なのに、ですか?」
 彼女は頬を押さえたまま、強い視線で私を射た。
「っ……そんなはずない! タカは私のことを好きだっていったのよ!
監禁して言わせたなんて――」
 待て。何で知ってる。
「進藤さん、なぜ、あなたが、私がタカを拘束してたなんて知ってるの」
 彼女は僅かに眉を動かした。
 答えはない。
「……まさか」
 タカが。それしかない。でも、そんな、タカは――
「答えなさい。いったい誰が、そんなことをあなたに教えたの!」
 タカじゃない。タカじゃない。タカは私を裏切ったりしない。だから、
別の誰かが、勝手にこの女に――!!
「隆史です」
「嘘」
「本当です」
「違う!! タカは私のこと好きなんだから、そんなこと言うはずがないの!!」
 彼女の両肩を掴み、その瞳を覗き込む。
「本当、なんです」
 パァンッ!!
「……痛い」
「この嘘つきめ。嘘つきめ。嘘つき、嘘つき嘘つき嘘つき!!!!! タカじゃない!!
タカなわけない!! タカがそんなこと、あなたに言うわけがないのよ!!!」
 ガクガクと揺さぶっても、本当のことを言おうとはしない。
 この女――!!

「そうやって、私とタカの仲をひっかきまわそうっていうのね! なんて姑息な女。
そんなの、タカに聞けばすぐに分かるのに」
「隆史は優しいから、本当のことは言わないんです」
「っ!! そうやって、私を不安がらせようとしても無駄。だって、タカと私は姉弟なんだから。
 タカが嘘をついているかいないかくらい、すぐに分かるもの」
 そうだ、不安になることなんてない。
「だって私はタカのお姉ちゃんなんだから。タカのことは何でも分かるのよ。何でも知ってるのよ。
 それに比べてあなたなんて、ちょっとタカと一緒にいただけで何でも分かってるつもりになって。
 何でも知ってるつもりになって」
 そうだ、不安になることはない。
 タカの言葉に嘘はない。タカは私のことが大好きだ。だからこの女に告げ口する
なんてありえないし、この女のことを好きだというのもやはりありえない。
「私は、あなたより隆史のことを分かってます」
「そう。せいぜい虚勢を張るがいいわ」
 なぜか、声が震えそうになった。
 でも、まあ、問題はない。いざとなれば、またタカを私の側に繋ぎ止めておけばいい。
 自分でも危険な考えだと分かっている。でも、何の問題があろう? タカが私の側にいる。
それ以上に優先すべきものはない。それだけが全て。それだけが私の全て。
「失礼します」
 進藤はそれ以上何も言わず、ぺこりと頭をさげると、私の隣を抜けて歩いていった。
 タカは私のものだ。
 もう一度、噛みしめるように呟く。
 あの女には負けない。いや、負けるはずがない。
 だというのに私は。
「姉貴、遅れてごめん――わっ!?」
 タカがこうして私の腕の中に帰ってきたことに、心から安堵してしまっていた。


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