姉貴と恋人 裏 第4回
[bottom]

「ありがとう。ようやく分かってくれたのね」
 満面の笑みを浮かべ、縄を解いていく姉貴。
 さっき俺が言った言葉は、『姉貴のことが好きだ。姉貴とずっと一緒にいる』だった。
 身体の中ではまだ、ぐるぐると罪悪感が渦巻いている。
 胸が破れそうなくらいに、自己嫌悪が広がっている。
 さっきからドクンドクンと心拍が落ち着かない。
 こうするしかなかったんだ。
 こうしなければ、ずっとこのままで、麻妃に会える可能性はゼロのままだった。
 戒めが解かれれば、会えるかも知れない。
 もし退学したのだとしても、まだアパートにいるかも知れない。
 退学していないのだとすれば、学校で会えるはずだ。
 会いたい。その為に、姉貴に嘘を吐いて、麻妃を裏切ったんだ。
「タカ、さっそく明日買い出しに行きましょう? お祝いしなきゃ」
 これ以上ないほど明るく、姉貴は笑う。
 その姿は昔を彷彿とさせる爽やかさで、格好良さで、美しさで。
 さっきまで俺を監禁し、麻妃の不幸を喜んでいた人には見えなかった。
 どうしてこうなってしまったのか。
 どうして、俺も麻妃も苦しまなければならなかったのか。
 どうして、どうして……。
「タカ、泣いてるの……?」
 姉貴は……優しく俺を抱き締めて、背中をさすった。
「悲しいんだね……。ごめんね……。お姉ちゃんのせいなんだね……」
 見れば、姉貴も涙を流していた。
 なぜ……?
「お姉ちゃんはね、ずっとタカといたかっただけ。そのせいでタカを傷つけたのは分かってる。
そして、進藤さんにとても酷いことをしたのも分かってる。でも、それでも、タカを泣かせても、
進藤さんを苦しめても……私はタカと一緒にいたい。そのためって考えれば、どんなに酷い
ことだって当然に思えた。そして、そうしたことに後悔もしていないわ」
 姉貴は、きゅっと腕に力を込めた。
「だって、こうして……タカは私の所へ戻って来てくれたんだから」
 ポタポタと肩に落ちる感触。じんわりと冷たさが広がっていく。
「ほら……タカはここにいる。私の腕の中に……いるんだから……タカの意志で、ここにいるんだから……」
 ギュッと、心を鷲掴みにされた気がした。
 肩に落ちた涙が重かった。

 携帯が鳴った。
 発信先は分からない。公衆電話か何かか。まあ、誰でもいい。
「はい」
「もしもし……麻妃か?」
 麻妃……って、私は麻妃だけど……そうじゃなくてこの声はまさか――!!
 たか、し……?
「麻妃? 麻妃だろ? おい麻妃っ」
 隆史がどうして、なんで、もう私のこといらなくなったんじゃ、いなくなったんじゃないの――?
「あ……う……」
「どうしたんだ麻妃? 返事してくれ、早くしないと姉貴が――!」
 たかしはもういない。たかしはもういない。たかしはもういない。そうやって言いきかせて、ようやく
落ち着いてきたところだったのに。やっぱり私は、こうして隆史の声を聞くだけで――!!
「たかしぃっ!!!!!!!!! さみしかったよぉっ!!!!!!」
 声が、隆史の声が、いなくなった隆史の声が、その息づかいまで、全部、全部、愛しい――!
「たかしっ!! どうして今まで!! 早く来て!! 淋しいの!! もう隆史がいなくちゃ駄目なのっ!!」
「麻妃、落ち着けって! 姉貴がすぐに来るから!」
 そんなこと言うんなら、隆史がすぐに来てくれればいいのよ――!!!
 そう言いたかった。だが、しかし、隆史の必死な声が……なんとか、私を止めてくれた。
「っ……ごめん、取り乱して。でも、隆史が悪い――」
「ああ、そのことは後でしっかり謝るから、すまないが、俺の話を聞いてくれ」
「……うん」
「まず、今までずっと会いに行けなかったことは謝る。そして、俺は今でも……」
 一瞬の間。
「麻妃が、好きだ」
 ああ――!!
「隆史っ!!」
「麻妃……」
 互いの名前を呼ぶだけで良かった。それだけで繋がれた。それだけですべてが満たされた。
「隆史……好きよ」
「ありがとう、麻妃。……その、すまない、話をさせてくれ」
「えっ、う、うん……ごめん」
「いや……。それで、今まで会いに行けなかった理由なんだが……」
 隆史は言葉を切った。言いにくいことなのだろうか。
「姉貴に、監禁されてた」
「……え?」
 監禁。ドラマか何かの話に思えた。
「電話すらできなかった。すまなかった」
「そんな、いいけど……監禁なんて」
「姉貴は、今、普通じゃない」
 普通じゃない……。
「だから、暫くはまだ会えないけど……麻妃のこと好きだから」
「うん……私も好きよ。隆史を信じてる」
「あ――すまない、また後で」
 ガシャン、ツーツーツー……
 切れてしまった。きっと、お姉さんが来たのだろう。
 それにしても、監禁なんて。こんな形容をしたら失礼だと思うけれど、隆史の言うとおり異常だ。
 愛情というにしては度が過ぎている。
 隆史はまだ、その檻から抜け出せていない。
 なら、私のすることは。
「隆史を、助けなくちゃ」
 恋人として。
 あの人の、ライバルとして。

「タカ、誰に電話してたの」
 電話ボックスから出たところで、姉貴に訊ねられた。
「友達。明日の講義の代返頼んだんだ」
 これは、予め頼んでおいたから裏を取られても問題ない。時間まで問われるとボロが出るかも知れないが……。
「そう。でも、どうして明日?」
「明日、姉貴は午前で終わりだろ。だから午後どこかに遊びにでも行こうかと思って」
 不自然にならないよう、姉貴が不審に思わないよう、電話をかける日時を調整した。
 もし、姉貴に麻妃と連絡しあっていることがバレたら、今度こそ終わりだ。
「ホント!? ありがとう、タカ……お姉ちゃん本当に嬉しい――!!」
「うわっ、姉貴、ここ往来だって……」
 ぎゅうっと抱き締められて、心が苦しくなる。
「そんなの知らないっ! だって嬉しいんだもの!」
 端から見ればカップルだろう。
 いや、カップルじゃなきゃいけない。
 いい年した姉弟が、熱い抱擁を交わしていいものじゃない。
 以前なら身体が熱くなるその抱擁は、今は脳の奥を急速に冷やしていくものになっていた。

 不思議なものだ。
 あれだけ絶望したというのに、隆史のためとなれば、隆史がいてくれるとなれば、こんなに元気になれる。
 退学は撤回した。今学期の単位は、いくつか落としてしまったけれど、
 多めのレポートと追試で何とか進学に影響は無い程度だった。
 そして、隆史とあの人との問題――。
 正面からぶつかっていくのでは駄目だ。あの人は……その、頑固だから。
 説得しなければ。そうでなくては、きっとまた、隆史が苦しむ。
 そしてそれは、私と隆史の関係を壊すに充分なものになるだろう。
 もういやだ。
 もう隆史を失いたくないし、あんな辛い思いはしたくない。
 ……こうして外から見てみれば、私は良く死ななかったなと思う。
 いつ自殺してもおかしくない、というより自殺しなかったのが不思議なくらいだ。
 なんで、生きようと思ったのだろうか。
 ……今からでは思い出せない。
 アルコール漬けの頭では、記憶ができなくても仕方ない。まして、とりとめのない思考など残っている訳がない。
 なんにせよ、私は今、隆史と共にいるために生きている。生きていられる。
 それに素直に感謝しようと思った。


[top] [Back][list][Next: 姉貴と恋人 裏 第5回]

姉貴と恋人 裏 第4回 inserted by FC2 system