しかし、今の姉貴は……。
「タカ。お姉ちゃんの言うことが聞けないの?」
こんな姉貴、見たくない。
「姉貴、俺姉貴のこと好きだよ」
「なら私の言うとおりに――」
言わないと。姉貴の為に。
「でも。今の姉貴は嫌いだ」
「タカ……?」
「姉貴は綺麗で優しくて、格好良くて頭が良くて、俺の自慢の姉だよ。でも、今の姉貴は……汚い」
「お姉ちゃんが、汚い?」
ゴクリ。喉の鳴る音で気付いた。
「あ、姉貴……?」
唇が震える。冷や汗がどっとでる。
「タカ。タカはあの女に騙されてるからそんなことを言うのよね」
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
姉貴はただ、ちょっと怒ってるだけだ。
だからこんなに怖がる必要なんてどこにも――。
「大丈夫。お姉ちゃんが、タカを目覚めさせてみせるから」
「あ、姉貴?」
ふり向こうとして――
ガンッ!!
「ぐっ!?」
あ、ねき――な、んで
「あ、進藤さん」
「ええと、隆史のお姉さんじゃないですか。どうしたんですか」
お姉さんはうつむいていた。
「今日はちょっと、言わなくてはならないことがあって」
「何ですか。隆史のことですか」
「ええ。その、とても言いにくいのだけれど……」
視線を彷徨わせ、こちらの様子を伺っている。
「言って下さい。今日は隆史が来ていなくて、気になってた所なんです」
「実は、タカ、もうあなたと一緒にいたくないらしいの」
なっ!?
「そ、それは一体どういう……」
隆史、そんな、なぜ、いきなり……。
「本当にごめんなさい。タカは……私とずっと一緒にいたいから、もう進藤さんとはいられないって――」
「そんな……嘘よ……嘘に決まってる……」
「本当なの」
「隆史に直接聞いてみます!」
お姉さんは止めなかった。
しかし……
「うそ……うそよ……」
着信拒否。なぜ。そんなバカな。隆史はそんな……酷いことする人じゃないのに……。
「ごめんなさい」
彼女はそれだけ言って去っていった。
私は、その場から一歩も動けなかった。
「なんてことするんだ!!」
家に帰ってみると、縛り上げられたタカが目を剥いて怒っていた。床を這ったのか、ところどころ汚れていた。
「なんてことって、なんのこと?」
「この……!!」
タカはきちんと聞いていたようだ。
「分かったでしょう? あの子は、私の言ったことを信じたわ」
ツーツーと大きな音を出している電話機に近づき、オンフックの設定を切る。
すぐに帰ってきたけれど、五時間近く繋ぎっぱなしだったから電話代が気になる。
まあ、これでタカが目を覚ましてくれるのなら安いものだ。
「麻妃は絶対に俺を信じてる! すぐに気付くはずだ!!」
「タカ、まだそんなこと言ってるの? あの子が信じようと信じまいと、タカは私のものなんだから関係ないでしょ」
まだ分かってくれていない。
でも大丈夫。私はタカのこと大好きだから、何でもしてあげられる。タカが分かるまで何度でも。
「俺は俺のものだ! 姉貴のものじゃない!!」
「ふふ、必死なのね。あの子とおんなじ」
気にくわないわ、あの子。こんな所まで入り込んでいるなんて。
タカは私の色だけでいい。私だけを見て、私だけと話して、私だけに微笑んで、私だけとセックスして、
私だけのタカになっていればいい。
だから、タカを汚すような真似は許さない。
あの子の影を、タカから追い払わなければ。
「タカ……好きよ」
寄り添うように横になり、そのまま口づけする。
「あ、姉貴やめろ……んむっ!?」
タカの唇。タカの舌。タカの頬。タカの耳。タカのうなじ。
タカの首筋。タカの、タカの、タカのタカのタカのタカの――!!!
――ぜんぶ、わたしのものだ――
お客様の電話番号は現在着信拒否に設定されています――
無機質な応答メッセージが再び耳に届いた。もう何度目だろうか。
「隆史……嘘だよね」
だが隆史は答えてくれない。
「こんな終わり方嫌だよ……」
唯一の望みは、まだ直接聞いた訳ではないということ。
あの人経由で伝わった情報でしかないということ。
しかし着信拒否になっているということは、つまりはそういうことじゃないのか。
いや、でも、まだ。
「返事してよぉ……たかし……」
あの日から大学へ行っていない。
私が行かなければ隆史が行けるかも知れない。そういう考えがあるにはあった。
しかし一番の理由は、行くだけの気力がないことだった。
視界が歪む。
さっき一気に飲んだウイスキー……グラスで三杯?四杯?覚えていないけど――が効いてきたんだろう。
やけで一杯まで注いでしまって、こぼしてしまったのが無性に悲しくて悔しくて嫌だった。
なんでそんなことで高ぶるのか分からなくて、またそれが堪らなく苛立たしくて……
ヒュッ――ガシャンっ!!!
いつの間にか投げ捨てていたウイスキーグラスがクローゼットに当たって砕け……
その音が、破片が耳の奥まで突き刺さった。
「いたい……いたいよたかし……」
本当にガラスが刺さったわけでないことくらい分かってる。でもいたい。さみしい。
くるしい。いたい。いたい。いたい。いたい。
なにがなんだかわからない。
ぐるんとせかいがまわった。
ひょうしにすがったボトルがあまりに頼りなく落ちてきて、めのまえにおちてはねた。
あ、まずい、のみすぎ――たかし、たすけて。
たかし、たすけ――
「ああ、岸本君。弟さんの具合はどうかね」
教授が手招きしていた。
「まだ良くならないみたいです。本人は大丈夫だって言ってるんですけど、危なっかしくて」
「岸本君みたいなしっかりした人が見てくれているなら、安心だよ。弟さんに言っといてくれ、
お姉さんの言うとおりにしてれば間違いないって」
本当、その通りなのに。
「言いすぎですよ、先生」
ハハハと笑って退室していく。
まったく、隆史ったら先生にまで心配かけて。
いつになったら分かってくれるのだろう。
「うえぇ……」
洗面所は酷いことになっていた。これ全部、私の中から出てきたのかと思うと自分のことながら信じられない。
「はぁ、はぁ……うっ」
出てくる出てくる、朱色に染まったウイスキー。もとは綺麗な琥珀色なのに、汚い色だ。
昨日からキリキリと胃が痛んだけど、やっぱり出血してたんだ。
よく考えれば、ここ数日まともな食事をしていない。いや、何も食べていなかった。
酔っては寝て、酔っては寝て。
「まるで、あの時みたい――っ」
あの光景がフラッシュバックする。アルコールが入ると、こういうことが多い気がする。
「キツイの思い出しちゃった……ひっ」
肺がヒクンヒクンと震える。しゃっくりの酷くなったようなものだ。
「っく……っあ……っう……」
ひどい――こんな飲んでたのか。
これが出たのは生まれて二回目だ。
一回目は、二十歳になったときに好きなだけ酒が飲めると喜んで、羽目を外しすぎたとき。
あれは失敗だった。アルコールに慣れてなくて、ペースを知らないないこともあって、その上、
ボトル一本開けてやると無駄に意地を張ったのも悪く作用して……朦朧としながらも救急車を
呼べたから良かったものの、医者の話では、下手をしたら死んでいたという。
今は……まあ、いいか。死んでも。誰も悲しまない。親は私に興味がないし、大学での友人も
広く浅く作っているから、きっと一日で忘れ去られる。隆史は――
「ひっく……っく……あれ?」
ぴちょん、ぴちょん。シンクにアルコール以外の液体が落ちていく。
何だろう。
どうでもいいや……たかしだって、きっとあの人の方がよかったんだから。
グッと胸の奥が締まり、むかつきが酷くなった。
「なんで、たかしのこと考えると気分悪くなるのよ……もうやだぁ……」
たかし。どこにいるの。やめて。私はこんなに辛い思いをしてるのに。もう隆史なんか考えなくていい。
助けに来てよ。はやく。ねえ。たかし。やめて、やめてやめて。私はここにいるよ。ほら、こんなに苦しんでるよ。
隆史なんか忘れて! だから助けに来てよ。はやく。いますぐ。
嫌っ!! おねがいだからたすけにきてよたかしっっ!!!