姉貴と恋人 後編 第1回
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 土曜日。麻妃が俺を呼び出したのは学生街の喫茶店だった。
「よっ」
 窓に面した丸テーブル。彼女は微笑んだ。
「あ、隆史。良かった来てくれて」
「麻妃の誘いだ、来るよ。まあ、あまり長居はできないが」
「……お姉さん?」
「そうだ。外出は合計五時間まで。遅くとも日没までには帰れだとさ」
 麻妃は面を伏せた。
「ねえ、辛くない?」
 腰を下ろしてから俺は答えた。
「辛くはある。でも姉貴がそう言うなら」
 麻妃はじっと俺を見てから、息を吸った。
「実は、今日はそのことについて話したかったの」
「そのこと?」
「お姉さんのこと」
「……またか」
「ごめんなさい。でも、やっぱりおかしい。私は、その、隆史のこと大切に思ってるから
無視できない。人ごとなんかじゃない」
「そんなこと言って、この前みたいに謎かけして終わりじゃないだろうな」
 彼女は眉を寄せた。
「あれは……ごめんなさい。でも、今日はきちんと話すから」
「……それで?」
「隆史。お姉さんとは元の姉弟に戻って。そして、私と一緒にいて」
「何だって?」
「傲慢に聞こえると思う。それに、私の希望が混ざってないと言えば嘘になる。でも、
今の隆史を見るのは忍びなくて……」
 麻妃も姉貴と一緒だ。自分の為に俺を利用して……。
「余計なお世話だ」
 そう思うのに、辛い。麻妃の瞳を見られない。
「うん、本当に余計なお世話だと思う。だけど、余計なお世話でも焼きたくなるのは、
隆史だからなの。隆史が苦しんでいるのは辛いから」
「麻妃、俺は……」
 そんなこと望んじゃいない。
「うん」
「俺は、その」
 姉貴のこと本当に好きだから。
「俺は……」
 麻妃は静かに答えを待っている。早く答えないと。
「あ、えっと」
 しかし、言葉が出なかった。分からない。なぜ言えない。
「……ごめんなさい。いきなりすぎた」
 と、麻妃はそこで追求をやめてしまった。
「麻妃、俺は別に……」
 彼女はじっと、見つめている。
 その瞳を見るとなぜか許された気がした。
「その、麻妃の気持ちは嬉しい」
 ようやく、本当の心を言える。
「うん」
「でも、まだ整理できてない」
 姉貴の影のない言葉を発したのは本当に久しぶりで。
「うん」
「だからもうちょっと待ってくれ。そうすれば、答えを出せると思うから」
 麻妃の前では自由になれる。タカでなく、岸本隆史に戻れる。
「うん。待ってる。待ってるから」
 彼女は許しに満ちていた。

 

 遅いなあタカ。
 もう出て行ってから二時間と十七分も経つ。今ごろ誰か別の女とでも会っているんじゃ――
 いや、タカはそんなことはもうしない。
 あの進藤とかいう女とも別れたんだし、タカはそんなに不実じゃない。
 あれ以降、タカが例の香水の臭いをさせてくることもなくなった。
 タカは私だけのものだ。
 だってタカは私のこと大好きだから。
 私の言うことなら何でも聞いてくれるし、私の為に色々なことを犠牲にしてくれる。
 だから私は愛されている。実感できる。
 最近タカはどこか上の空だから、心配になってしまうけれど。
 タカはずっと私と一緒にいる。
 だって姉弟だから。恋人だから。
 そうでしょ、タカ?


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