姉貴と恋人 前編 第4回
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 最近、タカの元気がない。やはりあの女のせいだろうか。
 強引にふり向かせたいとは思うけれど、あの女に負けるみたいでそれは嫌だった。
 いや、そもそも。
 私は既に勝っている。タカは私を選んだのだ。
 その証拠に、タカは今も私の隣でぐっすりと寝ている。
 男にしては綺麗な髪の毛を梳く。
 愛しい。全てが愛しい。絶対に離さない。絶対に。

 隆史に会いたい。

 あれから一週間、麻妃は大学に来ていない。講義は無断欠席、レポートも出していなかった。
 麻妃は今ごろどうしているだろうか。
 そう思うたび、無責任な自分を殴りたくなる。
 俺は幸せになるために、幸せになれると信じて、姉貴を選んだはずなのに。
 あれは間違いだったのだろうか。
 いや、違う。違うはずだ。俺は確かにあの時、姉貴と共にある未来に幸せを想っていた。
 そう、間違いがあるとすれば。
 きっと、麻妃と知り合ってしまったこと。
 そして、麻妃を好きになってしまったこと。
 俺は麻妃が好きで、そして姉貴が好きだ。その上で姉貴を選んだのだから、俺は、間違ってない。
 間違っては、いない。
 なのになぜ、麻妃は苦しんでいるのだろうか。
 麻妃の気持ちが何なのか、薄々気付いてはいた。だから、そのせいにするのは容易い。
 ただ、俺は、姉貴に告白されるまで自分の気持ちに気付いていなかった。
 姉貴にキスされて初めて、麻妃を想って胸が痛んだ。
 あの時にはもう手遅れだった。
 そう考えれば原因は、己の愚鈍。
 しかし、あそこで姉貴を断ることを想像するたび、自らの足場が崩れていくような不安が
起こる。もし気付いていたとしても、どうしたか分からない。
 だからあの判断は間違ってはいない……のだろうか。
 どちらにしろ、既に起こってしまったことだった。
 時を戻すことなどできないし、丸く収めることもできそうにない。
 せめて、麻妃に謝りたかった。
 自分の重荷を下ろしたいからなのかも知れない。それでも、麻妃が救われるなら。
 偽善だとしても救われるなら、それでいい。
 今日、麻妃のアパートへ行ってみよう。二週間ぶりくらいだろうか。麻妃の様子が気になった。

「今更何の用があるのよ」
 ドアを開けて一言目に、麻妃は言った。
 思わず怯んでしまう。
「あ、その……謝ろうと」
 麻妃の目がスッと細くなった。
「で?」
「ああ……その、麻妃には本当、悪い事したから……すまなかった」
 言った途端、麻妃に胸ぐらを掴まれた。その瞳にゾクリとした。
「ふざけないで。なに、哀れんでるのよ。あんたのせいでこうなってるっていうのに、自分だけ楽なところにいて」
「そんなつもりは――」
「そういうつもりでしょ! 何が、すまなかったよ。何が、悪いことしたよ。全部アンタの自己満足じゃない。
それで、全部アンタが救われたいからじゃない! 私はあなたの為に生きてるんじゃない! これ以上私を使わないで、
私はあなたの道具じゃない……」
 それを言ったきり、麻妃はぐったりと俺にしなだれかかってきた。両手に力はなく、弱々しく震えていた。
「……ってやる」
 ぼそりと呟いた声色に背筋が寒くなった。と、急に麻妃は俺に抱き付き、部屋へ連れ込もうとする。俺は為す術もなくしたがった。
「ちょっと、待て、どうして」
 久しぶりに入った部屋は薄暗く、どこか退廃的な雰囲気がしていた。アルコールの臭いが鼻を突く。
 彼女は普段からウイスキーを好むが、見ればテーブルの上にはハーパーのボトルが数本置いてあった。
 あれを一週間で飲んでしまったのだろうか。
「麻妃、待て」
「待たないよ! 待てない! 待ってたら、隆史はあっちへいっちゃうんだから!!」
 涙声だった。
「この、バカッ!」
 麻妃は叫んで、俺をベッドに引き倒した。
「ばかぁっ!!」
 そして自身も倒れこんで、シャツを掴んで何度も何度もバカと繰り返す。
「すまない」
 思わず抱き締めたくなったが、そんなことをすればまた彼女を傷つける。
 何もできなかった。
「うるさい、バカ!!」
 麻妃は、俺の胸に顔を埋めてわんわん泣き出してしまった。
「何で今更、もう顔なんて見せないでよバカ!」
「すまない」
「顔見たら、辛いじゃない!! それくらい察しなさいよこのバカ!」
「すまない」
「なんで……もう、私の前から消えてよ……ばか」
 言われた。ここまで拒絶されたなら、もう文句はないだろう。麻妃への未練は断ち切れる。
 なんだ、結局、俺は麻妃への未練があったからこの部屋へ来たのか。最低だな。
「……分かった」
 もう去るべきだ。
 覆い被さっている麻妃の方に手を添えて、そっと押し上げる。

 麻妃の瞳が揺れた。
「あ……」
「すまなかった。本当に。もう、二度と麻妃と関わらない。大学では、顔を合わせるかも知れないが、関わらないようにする」
「あ、待って、たかしまってよ」
 麻妃の虚ろな瞳がすがってきた。
「たかし……さみしいよ」
 さっきの言葉とは逆に、麻妃はギュッと抱き付いてきた。
 どうすればいいのか……。
 さっきの言葉は本気だったと思う。しかし、今の麻妃の様子は一人にしておいたら死んでしまいそうに見えた。
「さみしいよ」
 再びの言葉と共に、麻妃の顔が迫ってきた。
 予想はできた。しかし、避けられなかった。
「たかし……」
 そして、唇が触れ合った。
「麻妃……」
 すき、と彼女は言った。
「なっ」
 頬を染めたかと思うと、麻妃は俺の身体を抱き締め、弱々しく、しかし艶やかに微笑んだ。思わずくらっとした。
「落ち着け麻妃。こんなことして、後で後悔するぞ」
 麻妃は首を振った。
「後悔……してもいい。このまま隆史を帰すよりはずっといい」
 その瞳は泣きそうで、嬉しそうで、辛そうで、苦しそうで……どこか穏やかにも見えた。
「待て、麻妃。待ってくれ」
 何としても、思い留まらせなければ。これ以上彼女を傷つければ、取り返しのつかないことになる。
「麻妃、俺は……その、姉貴と」
 麻妃は微笑んだ。
「分かってる。いいの」
「俺は、きっと麻妃を選べない。それでもいいのか……」
 ふっとその瞳に影がよぎり、麻妃は俺を見た。
「いい。私は、あなたのことを」
 その瞬間の麻妃は、まるで聖母のようだった。
「だいすきなのだから」


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